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十王讚歎鈔

伝 日蓮上人 撰(伝 1254(建長6)年)『十王讃歎鈔』の大雑把訳です。

[ 底本: 立正大学宗学研究所編(1954)『昭和定本 日蓮聖人遺文 第三巻』総本山身延久遠寺, pp. 1966 -- 1993. ]


[前] 7:泰山王/藥師如来

8:平等王/觀世音菩薩

百箇日は平等王、本地は觀世音菩薩である。

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鉄氷山

この王へ参る途中に鉄冰山という河原あり。河原の広さ500里。 普通の氷ではなく、分厚い鉄の氷である。 罪人、近づくと寒くて五体が縮こまる。氷に触れる前から、 肉がちぎれて血が流れる。 [p.1987] 吹きすさぶ寒風が氷を掠める音は、雷のごとし。 罪人が氷に入るのを躊躇して立ち止まるが、獄卒が後ろから呵責して 「悪業をつくって冥途に趣く者がかような苦患を受けること、なぜ知らぬのか。 なのに罪業を造り、ここまで進んで来たのに何故今更のように歎くのか。 ほら渡れ」と責めるので、罪人は叫びながら氷に入る。 氷の厚さは400里であるが、罪人が入る瞬間に氷が割れる。 入ったのちは氷が塞がる。塞がるだけでなく、氷が剣のように身体を破る。 こんな大苦難を経て、平等王の御前に参る。

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平等王の裁定

大王が罪人に「ここに来たのは他人のせいでなく、本人の心がけのせいだ。 汝の生前、風前の灯火、水上の泡のごとき身体であるのに、 眼前にある無常さえ他人事で、老少不定の(年齢順に死ぬ訳ではない)境遇、 前後相違の別れも気に留めず。千年万年も生きるつもりで、 殺鬼(寿命)は来る時を選ばずの真理を思うこともしない。 ただ狂言綺語で戯れ、大笑いして何も考えずに過ごしてきた果報である。 だから楽は苦の原因であり、苦は楽の原因ということも知らぬのだ。 ここまでの王たちからも聞いたはずだ。 今言っても仕方ないことだが、なぜ仏道を成さなかったのか。愚か者め」と 辱められると、ただ後悔の泪のみ。

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追善こそ大事

いま頼りになるのは娑婆の追善だけ。 是非にも追善を営み、亡者の重苦を助けましょう。 同じ樹の木陰で休み、同じ河の水を汲んだだけでも多生の縁と [p.1988] いうのに、まして親子なのだから。 あの丁蘭が木像を刻んだのも、張敷が形見の扇を手放さなかったのも、深い孝行心ゆえである。

 仏教以外の典籍では、父のみが尊敬の対象であるとして、父の恩を重視する。 だが母の恩も浅くない、なぜなら最初は母の胎内にいて、 最初の柯羅邏から出胎までの三十八転の間、座るも寝るも大変で、 どれほど母を苦しめたか。日数にして260日、約9月のあいだ。 生まれたのちは、苦を飲み、甘きを吐き、乾を回して、湿に就く、 そんな厚恩を受けたのだから、月日をただ過ごし、 三途の重苦に沈んだ親の菩提を弔わないとは、あってはならぬことだ。 諸天に憎まれぬ訳なし。

 さらに子を思うために、地獄の重苦を受けることも多い。 何があっても弔うべきは親二人の後生の菩提である。 だからこそ大覚世尊も忉利天に登られての90日の安居のとき報恩経を説かれて、 摩耶夫人の十月懐胎の恩に報われたのだ。 大聖でもそうなのだ。まして凡夫なら当然のこと。

 この王の前で転生先が決まらぬときは、次の一周忌の王へと渡される。

[次] 9:都弔王/大勢至菩薩