伝 日蓮上人 撰(伝 1254(建長6)年)『十王讃歎鈔』の大雑把訳です。
[前] 8:平等王/觀世音菩薩 |
一周忌は都弔王、本地は大勢至菩薩である。
[Table of Contents]罪人がこの王の御前に参って泪して「ここまで参る途中の苦しみは耐え忍び難く感じられました。 今はもうこの身の罪業も尽きたでしょう。もし残っていても、ご慈悲をもって お止めくださいませ」と歎く。
すると「罪業が尽きたなら、 [p.1989] ここまで来るはずない。来たということはまだ尽きてないのだ。 業が尽きたか尽きてないかをハッキリ知ることができる箱がある。 もし罪業が無くなっていれば、光明箱を開くはず」と箱をたくさん取り出し、 罪人の前にお並べになった。 「汝の罪業の有無を確認せよ」と責められ、 どれを開いたらどうなるかと恐れながらも一つの箱を開けると、 中から猛火が燃え出て罪人の身にかかる。 そのとき鬼ども口々に「どうしたどうした」と言い終わらぬうち、何度も打ち叩く。
[Table of Contents]王は「途中の王のところで地獄に堕とされるはずだったのが、娑婆の追善があったから ここまで来たのだ。汝は自身をも思わぬ不埒者だが、妻子が孝養の善人である」と。 一周忌の営みがあったので、第三年の王へと送られる。
第三年への旅の途中の苦しみも堪えがたいと思われ。 王たちの御前に参らずに済むよう、即身成仏するように自身も信心を持ち、 亡者にも回向あるべし。
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