[前] [付録] なぜ「三十三」? (2) |
と、こう説明されると、何か理解しちゃったような気になってしまうわけですけど、 しかし。ここまでの話では、なんか肝心のことが抜け落ちています。
「そもそも何で観音様は三十三の姿を表すのか。三十三という数字にはどういう 意味が込められているのか」という根本的な問いが棚上げに なってない?? その疑問が解決しないと「なんで観音札所は三十三なのか」が わかったことにならなくね? ‥と思う人もいるでしょう。
そんな人のため、私は敢えてこう言っておきます。 理由はない、たまたま33になったのだ、と。
中国や日本で「法華経」といえば、鳩摩羅什という人がサンスクリット文献を 古典中国語訳した『妙法蓮華経』(大正262)を指すことが多いのですが、専門家の人たちに とっての「法華経」はもうちょっと範囲が広くて、たぶんインドで 作成され伝承され増広された Saddharmapuṇḍarīka と呼ばれる文献(群)、 そのチベット語訳文献、そして何種類かある古典中国語訳文献(その一つであり、 また中国や日本で最も有名なのが『妙法蓮華経』)などの総称として使われます。 これらの文献は、全体を通して見ると同じ文献なんですけど、伝承の途中で それぞれ細部に異なりが生じてしまっています。 これは口伝、あるいは筆写によって伝承されてきた古典文献の宿命というやつで 仕方ないことですよね。人間、いくら気をつけていても写し間違い、しちゃうじゃないですか。 昔の人も やっぱ写し間違いしちゃうんですよね。一語飛ばしたり、一行飛ばしたりとかも[*1]。 あと、自分が気に入ったセリフがあると、ついそのセリフを余計に入れちゃったりとか。 そんなこんなで、いつのまにか法華経ほどの文献であっても 「棒の手紙」[*]みたいな ことが起こっちゃうわけです。 ですから、これら同内容の文献どうしを一語づつ対比しながら読んで 「ああ、この部分はどの文献にも出てくるから、元から存在する記述なんだな」とか 「この部分は一部の文献にしか出てこないから、後の時代の追加だな」なんてことを していくことは結構、いや、かなり大事な作業になってくる訳です。
[Table of Contents]んで、ここでは他の「法華経」文献において「かんのんさまは 三十三とおりの お姿を 現される」の部分がどのように書かれているかをチェックしてみたいんですけど‥
でも、じゃあ何で鳩摩羅什が翻訳に使った元の文献だけ、こんなに 数が増えてしまったのでしょうか。おそらくそれを解くカギは 「第25章・かんのんさまの章」のひとつ前にある「第24章・妙音菩薩の章」 にあるんじゃないかと思います。というか、上で紹介したのとほぼ同じ表現が、 その章では「妙音菩薩は●●の姿をして教えを説く」という文に形を変えて、 同じように列挙されてるわけです。たぶん伝承の途中でこの二つが混ざってしまい、 観音様の姿が増えちゃったんですね? そんな気がしてます。
[Table of Contents]ということで、どうしても観音様の姿が33である理由を答えないといけない というのなら。こんな感じのことは言えるかもしれません。
「鳩摩羅什が翻訳に使った元の文献においては、 たまたま観音様のお姿として33通り書かれていたから。 そして、鳩摩羅什による翻訳の出来がよすぎて、中国でも日本でも 『法華経』といえばこれに決まり! となってしまったから。」
なお。「かんのんさまの章」の中身はだいたいどんな感じなの? ということが 気になる人のため。[ここ]に 法華経(梵文)第24章の大雑把訳を用意しました。梵文ベースなので、 観音様の姿のパターンは16通りしかありませんけど、よろしければどうぞ。