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ここまで書いた文を読み返してみると、これでは終われないことに気づいてしまいました。 何故かというと『妙法蓮華経』の記述と Wikipedia の項目が一部合ってないじゃ ないですか! Wikipedia は
「(19)人身(じんしん) / (20)非人身(ひじんしん) / (21)婦女身(ふじょしん) / (22)童目天女身(どうもくてんにょしん)」と書いてありますけど、 上の『妙法蓮華経』では
(19)が「長者(婦女身)」、(20)が「居士(婦女身)」、(21)が「宰官(婦女身)」、 そして(22)が「婆羅門婦女身」となっています。
Wikipediaに書かれてる、この4つはどこから湧いてきたの??? えー?! (@_@;
ということで、ちょっと調べてみたんですけど(泥縄‥)、
結論から言えばWikipediaにおける記述はどこから出てきたのか。 つまり「童目天女」なるものが一体何で、どこで「三十三身体」の中に 割り込んできたか。‥これについては全然わかりません。 (いろいろ検索してみてもヒットしない‥)
[Table of Contents]唯一見つけたのが 『攝無礙大悲心大陀羅尼經計一法中出無量義南方滿願補陀洛海會五部諸尊等弘誓力方位及威儀形色執持三摩耶幖幟曼荼羅儀軌』(大正1067; [SAT])という、やけに長いタイトルの密教文献 (通称『摂無礙経』or『補陀落海儀軌』)で、その中に「童目天女」なるものが出てくる ことだけ、何とか見つけることができました。
望月仏教大辞典によればこの通称『摂無礙経』は
「金剛界五部の諸尊並に千手千眼観世音菩薩の 大曼荼羅諸尊の威儀形色を説けるもの。‥(中略)‥第五院に四摂菩薩及び 観音三十三化身等の四十尊を挙げ、各其の威儀形色等を説き」‥という感じのお経みたいです。 つまり、マンダラ内で表現される観音さまの三十三分身を列挙して、 そのそれぞれの姿がどのような姿で描かれるかを述べてる感じの文献ですね。 マンダラ作成者用の虎の巻、的な感じなんでしょうか(よくわかりません)。 [Table of Contents]
実際に「摂無礙経」 [SAT] を見てみると‥
ここで問題となっている、 『妙法蓮華経』とWikipediaの内容が違ってる 19〜22 の4項目は赤で示しています。
さてこの各項目、Wikipedia で紹介されてるような順番で並んで出てくると思ったら 実はそれが大間違いで、順序が驚くほどにバラバラです。 乱数使って散らしたのか? と思っちゃうくらいです。 また「仏身」だけ別格なんでしょうね。仏身だけ他の項目とは かなり離れた場所に出てきます。各行の行頭に書かれた数字の末尾のほうの 「20.0134c09」というのは「大正大蔵経の第20巻の134ページのc段(下段)の09行目」を 示しているんですけど、これを見ると「仏身」が134ページc段、他の32項目が 136ページのb段から137ページのc段にかけて書かれていることがわかりますので、 「仏身だけずいぶん離れた場所にあるなあ」ということがわかると思います。 図像にすると、このへんキレイに納まったりするんでしょうか。 あるいは、順番について述べた 何か別なテキストがあったりするんでしょうか。そのへんは現状では不明です。 ‥‥しかし「童目天女」って何? 私、Wikipedia ではじめて見たんですけど‥
[Table of Contents]さらに気になる点として、Wikipedia の記述、そしてそれと内容が対応してるっぽい 『摂無礙経』では「(19)人身(じんしん)、(20)非人身(ひじんしん)」が 三十三身に含まれていることがあります。
「人」と「非人」という文字は、じつは『妙法蓮華経』の当該箇所にも 存在しています。
しかし「人」「非人」は上の大雑把訳のように「‥といった人や人でないもの」という感じ、 その前に列挙された項目を総括する感じに解釈され、 三十三身には入れないのが普通のはずです。というか、これら二つを加えてしまうと 「三十五身」になってしまいキリが悪くなるのを嫌って、 わざわざ総括的な感じに解釈したんでしょうか。
でも Wikipedia とか 『摂無礙経』では「(19)人身(じんしん)、(20)非人身(ひじんしん)」も 三十三身に入れてますよね。何なんだろ?? ‥‥んー。 現行の『妙法蓮華経』とは別系統のテキストに基づいていて、さらに 「三十三」というキリのよい数に合わせるための やりくりの痕跡??
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