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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


[前] 地獄?

和讃の意図

この和讃でものすごく気になるのは「これは一体、誰に何を伝えるためのものなのか」が いまいち見当つかない点です。

 本文にある「ちちこひしははこひし。こひしこひしとなくこゑは。」のあたりだけが 子どもの泣き声の原因とするならば、この和讃は 子を失った人たちに向けて「汝が子は たまに寂しくて泣くこともあるが。基本的には冥途で無邪気に石積みをして過ごしておる。 汝になりかわり地蔵様が面倒見てくれる。ゆえ左様に悲しむ必要はない。 汝が嘆くとそれが子らの苦となるのだ。だからもう忘れろ。前向きに生きろ」という ことを伝えるメッセージなんでしょうか[*1]

 いやいや待て待て。ここでちょっと基本に立ち戻って、「和讃」をもう一度読み返してみないとダメか。

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仏塔をつくる幼児

 「西院河原和讃」で子どもたちは石積みの「塔」を作ります。それを「廻向の塔」と呼んでる くらいですから、まあ、廻向目的の「仏塔」で間違いないとは思うんですけど。 ふつう、家族レベルの「廻向」となるとおそらく、亡くなった親に対して、子どもが 亡親の冥福の足しになれば‥という感じで「仏教の功徳」になりそうな行為を行い、 その功徳を 「あの世」にいる亡親に送ってやる‥そんな感じになると思うんですけど。

 この「西院河原和讃」の場合も、基本的な状況は同じです。 「すべての子どもは孝行すべし」という原則(?)に基づいて、 子どもたちは ほとんど無意識のうちに、親に対する廻向(追善)を行なおうとします。

これにてゑかふのとうをくむ。一じうくんではちちのため。二じうくんではははのため。 三じうくんではふるさとの。きやうだいわがみとゑかふして。 // [大雑把訳] これで廻向(追善)の仏塔(三重塔?)を組む。一重目は父のため。二重目は母のため。 三重目は兄弟そして自分のため。

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仏塔の功徳は届かない?

でも「この世」にいる子どもが「あの世」の亡親に 送る 一般的な廻向(追善)とは逆で、「あの世」の子どもが「この世」にいる親に 廻向(追善)しようとしても、一般の廻向(追善)とはベクトルが逆になってしまっています。 これだと、うまくいかないんでしょうか。

やれなんぢらはなにをする。 // [大雑把訳] これ、お前らは何をしてるか。
獄卒に「何をしてるか」と言われてます。これを「そんなことをしてもムダだ、やめとけ」と いう意味に取ってしまいそうになるのは、行き過ぎなんでしょうかね。

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泣いてばっかりの親は子を苦します

というか逆にこの場合、生存している父母のほうが 亡き子どものための廻向(追善)を行なって、 子どもの冥福の足しにしてほしいところですけど‥

しやばにのこりしちちはははついぜんざぜんのつとめなく。ただあけくれのなげきには。むごやかなしやふびんやと。 // [大雑把訳] 娑婆(この世)に残った父母は追善作善してくれぬ。昼も夜も「不憫な子じゃ」と泣くばかりだ。
親たちは廻向(追善)どころか、泣いてばっかりいる。 おまえらの親が泣いてばかりいる原因は子どもであるお前だから、それはつまり、 親の嘆き悲しみが強ければ強いほど、その原因となっている お前が抱える罪業は重いということじゃ。 罪業が重ければ重いほど、お前はその罪業の清算のためにも 冥途で余計に苦しむことになる。
おやのなげきはなんぢらが。くげんをうくるた子となる。 // [大雑把訳] 親が嘆けば嘆くほど、それが お前らの苦痛の原因となる。 (「子」という字は、どうやら「ね」の代わりに使われているっぽい。 なのでこの場合「た子」は「たね(種)」)
だからこの和讃を聞く親に対して「おまえが泣き止まぬかぎり、その悲嘆が逆に 『あの世』における子どもの境遇を悪くしているのだぞ。だから、 亡き子どものことを本当に思うのであれば、もう泣くな。立ち直れ」 「そして子どもの冥福のため、きちんと追善供養を行なってやれ」 「『あの世』に行った子どものことは心配だろうが、気にするな。 『あの世』にはお地蔵さまがいて、お地蔵さまが お前のかわりに親となって 子どもを守ってくれるのだから。何を心配することがあろうか」

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地蔵様に完全にお任せ‥ではない

「子どものことはもう心配するな。あとはお地蔵様に任せればいい」 ‥この考え方って、なんかキリスト教などの一神教的な世界宗教の基本スタンスと近いみたいです。

それぞれの死者に死後どのような運命が待ちかまえて いるかといったことは、とくに身近な遺族には気がかりであろう。しかし、そうした問題は、 基本的には絶対の神仏や普遍的な法などにゆだねておけばよいことであって、生き残った者が あれこれと思い煩うべきではない、というのが世界宗教の基本的スタンスだった。‥(略)‥ 唯一絶対の創造神を掲げる教義体型のもとでは、 「死者たちの運命などは、神様にお任せしておきなさい」という命令は絶対化されやすかった。 (池上良正(2003)『死者の救済史』角川選書, pp.26--27)

 でも。日本の仏教的価値観は、それともやっぱり違ってますよね。 基本的に、人は誰でも 死者の「あの世」での運命に干渉し得るのです。いわゆる「供養」(追善供養)というやつ。 我々が「この世」で善行をおこない その果報を「あの世」の亡者に送ることにより、 死者の「あの世」での境遇の改善を(ほとんどの人は習慣として無意識のうちに)目指す行為です。 日本では、意図的にそうしているのかどうかは不明ながら、 「きっぱり忘れさせる」のではなく、 「とりあえず立ち直って、とりあえず供養しながら時間をかせぐ。 そのうち徐々に記憶が薄れていく」という戦略を取っているあたり、なんか やっぱり日本的だなー、と思ってしまえる感じになっています。

 日常生活的な比喩でいえば「お地蔵様に子どもの養育をお願いしますけど、 養育費(功徳)はこちらで一部負担します。なので優しく育ててください」と いう感じでしょうか。


*註1
子どもの早世という、悲しむべき事態が起こってしまった場合。親にも何らかの罪業は あると考えられたのでしょうか。川村2000によれば、江戸時代初期の中川喜雲(1659)『私可多咄』に 熊野比丘尼の語りの様子が紹介されてるみたいなのですが、「どれほど昔のことだったかは 分からないが、産まず女地獄が絵解きされている光景である。聴衆のひとりの女は子供を早世させて しまったのだろうか、それとも間引きしてしまったのだろうか、 産まず女地獄では竹の根を掘らせられるのだが、手で掘るのではなく、 灯心の芯を道具として用いることができるだけで、産まず女地獄に堕とされることには 相違いがなかったのだ。女たちは我が身を哀れみ、あるいは女の哀しみを思いやって涙する とともに、気懸かりなことを熊野比丘尼に尋ねて、この世の重圧から逃れようとした。しかし、 罪を自覚せざるをえなかったのが現実だったのだ」 (川村邦光(2000)『地獄めぐり』筑摩書房(ちくま新書246). p.189.)。 ただ、この熊野比丘尼がこのような絵解きを実際に行っていたのはいつ頃なのか、よくわからない 部分もあるようです。同じ川村2000には、絵解き勧進をして諸国を巡っていた熊野比丘尼は 「江戸時代初期には、絵解きもしなくなって、「ひたすら傾城白拍子」になっていたという」(p.187)、 つまり、かなり早い時期に遊女化していたとの話もあるようですから。
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