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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


[前] 中国の死後:魂と魄

中国の死後:泰山府君

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泰山の死者世界

中国における冥界に「泰山」というものがあります。「泰山」については後漢期(1〜2世紀?) あたりから出てきたものみたいで、以下:

 中国には古来人々の崇拝を集めてきた山がいくつかあ る。その代表が五嶽であり、泰山はそのひとつである。東 にそびえているので東嶽と称された。
 日の出ずる山はまた生命のはじまりをしろしめす山でも ある。 ‥(略)‥ はじまりの山泰山では、古代から封禅と呼ばれる儀式が行なわれてきた。 ‥(略)‥ 命の生まれ出ずる山は、いずれ命の帰り着くところになっていく。やがて死者の魂は泰山にもどっ てくるという信仰が広まった。 (菊地章太(2012)『道教の世界』講談社選書メチエ520, pp.75--78)
山東の泰山には、人間の寿命の長短を知り魂魄を召す神がいて、それ ぞれの寿命を記した帳簿が山上にあるという俗信がみられ、泰山は死霊の赴くところと考えられてい たようである。 (増尾伸一郎(2000)「泰山府君祭と<冥道十二神>の形成」『死後の世界』東洋書林, p.231)
こんな感じ、つまり、生命のはじまりと生命の終わりの両方に深く関係した場所、 といった感じの信仰のようです。いまいち魂とか魄などとの関係が不明ですが、 中国はとにかく広いですから、それぞれ別の場所からそれぞれ別の信仰が出て、 それぞれ勝手に広がった‥なんてことは普通にありそうな話ではありますよね。

 そして、ここでちょっと気になることとしては、生まれる前の生命のタネみたいなもの、 それとか死後に残った霊魂みたいなやつ、それらの本拠が泰山にあるのか、それとも 泰山は彼らの出入口になってるだけで本拠地は別の空間にあるのか‥それらのことも、 現状ではちょっとわかりません。

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死籍を司る神・泰山府君

しかしその後、実際に広がった泰山信仰では「死」のほうだけが重視され、 「生まれ」のほうは消滅してしまったみたいですね。曰:

おそらく、泰山を死者世界とし、あるいは司命神的神格とするのは、漢代以降に生まれた 泰山を含む山東地方の俗信であろう。これが緯書などにとり入れられ、広く流布する。‥(略)‥ 泰山を死者世界と考える信仰が、後漢代にはかなり広く流布していたことは間違 いない。そして、その信仰が一つの神格を生む。『捜神記』巻四には、泰山に集った霊魂を治める神と して泰山府君なる神格が記される。すなわち冥界神である。‥(略)‥ 泰山の霊魂を取り締まる泰山府君は、冥界の盟主であり死籍を司る絶対神でもある。 (山田利明(2000)「冥界と地下世界の形成」『死後の世界』東洋書林, pp.109--110)
死霊たちの集まる場所が擬人化された結果なんですかね。人の生命を司る 神様としての姿を取るようになり、それが流布した、と。

 結果として、人間の寿命を記した帳簿と その管理をする神様が「泰山」におられ、 何かの方法でその帳簿の記述を書き換えれば人の寿命は伸びたり縮んだりする‥、と いった感じの泰山信仰が出来上がっていったんですね。

中国側の資料をみても、泰山は単に死者の魂が集まる所という以外に、運命の変更の鍵を握 る場所とも考えられた。‥(略)‥ 死後の入冥生還、つまり死没後に泰山で自分の寿命が記されている書類を書き換え、 また生き返ったという説話は多く見受けられるが、それ以外にも泰山は生前の救済能力を持つと考え られていたのであろう。 (田中文雄(2000)「泰山と冥界」『死後の世界』東洋書林, p.151)
たしかに「死簿」(今風(?)に言えばまさに「デスノート」)に書かれた名前を 消してもらって生き返ったとか寿命が延びた‥的な話はよくある気がしますけど、 それはこの泰山信仰が発祥ということなんでしょうか。

つまり、この世とあの世を つなぐ、冥界の出入口なのである。 (田中2000, p.166)
あの世とこの世があいへだたっている。それは越えることのできない鉄則である。それはそうなの だが、物語のなかでは死者は冥界と現世のあいだを足しげく行ったり来たりする。とても別世界とは 思えない。それは中国冥界物語の特徴といってもいい。 (菊地2012, p.75)
なるほど。泰山信仰においては、泰山は「冥界の出入口」なんですね。ただし、 とくに物語などでは人は頻繁に泰山の向こう側の世界に行ったり来たりしてますから、 「あの世」のはずなんだけど あまり「あの世」という気がしない、と。

 確かにそれは言えますね。仏教世界における死後の世界といえば「地獄」、 また日本独自のようにも思える「死出の山路」「賽の河原」などは どう考えても「この世」と同じようなものではないですからね。 それと比較すると中国の死後世界は基本的に緩すぎなのは確かなようです。 イメージとしては「なんか知らない道を歩いてたら、知らない村に着いちゃった」 的なノリなことが多い印象がありますし‥。

 つまり、 死者のおわす泰山も「あの世」とはいいながら決して別世界ではなくて。 じつは「この世」の一部であり、だから 死者の霊魂(?)は割と自由に あちらと こちらを行ったり来たりできる‥。 そんな感じのイメージのようですね。

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泰山の地獄化

 そんな信仰ができつつあった時期の中国に仏典が流入したとき‥

布施濟衆。命終魂靈入于太山地獄。 [ 『六度集經』(大正152) p.3:1a24 [SAT] ]
[大雑把訳] 布施をして衆生を救済したのに、 生命終わって霊魂は泰山地獄に入ってしまった。

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 ‥ここには「泰山地獄」と書かれています。これ以外にも 同様な「泰山獄」「泰山餓鬼畜生」「泰山の鬼」などの表現が散見されるようです(田中2000, p.149)。

 つまり。中国に仏教が、そして恐怖の「地獄」の観念が入ってきた、と。 でも当時の中国人は「地獄」と言われてもいまいちピンと来なかったので、 同じ「死者が集まるところ」ということで「地獄」を「泰山」という語で 説明しようとして、その結果 「地獄」に「泰山」を書き足して 「泰山地獄」のような表現を使ったということなんでしょう。

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閻魔大王の誕生

んで最初はそれでも良かったんでしょうけど。時間の経過とともに、 中国独自でなんかお気楽な雰囲気だったはずの「泰山」と、 仏教由来の恐ろしすぎる「地獄」が混じり合って発展してしまった、と。 そんな感じみたいです。

泰山の霊魂を取り締まる泰山府君は、冥界の盟主であり死籍を司る絶対神でもある。死 者の霊魂を裁き治めるその姿は、後の閻羅大王(閻魔大王)のモデルとなるが、その府君の強権的存 在や幽都土伯の怪異性が重って、「恐るべき冥界」が地獄となって再構成される。 (山田2000, p.110)
そしてその結果、閻魔王というのはもともと「ヤマ」で、インド起源の「死者たちの王」という 感じの存在だったはずが、 それに泰山府君がもっていた「死籍を司る絶対者」という役割が 「泰山地獄」という言葉をキッカケにして追加され、 いま私たちがイメージするような(ヤマではない)「閻魔大王様」が誕生した。‥ということ?

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小まとめ

とにかくここまでのポイントは、 中国の死後世界は インド仏教的な垂直な死後世界とは違う構造を持ってるらしい、という ことですよね。

 そして、その「魂」が あちこちフワフワ漂って経験した‥ということかはわかりませんが、 中国古典文学における「冥界巡歴説話の 最初は泰山府君の主宰する冥府への遊行であって、固有の民間信仰に基づくもので あった」(岩本1979, p.184)ということのようです。 「泰山府君の主宰する冥府」というのは現実世界の一部なのか、 あるいは異世界別世界として存在するのか‥よくわからないですけど。 あるいは。中国はやっぱり広いですから、儒教的な「魂と魄」とは別の 地方で生まれ育った死後世界観が「泰山府君の主宰する冥府」というやつで、 その両者が混じってしまったため死後世界観がなんか複雑になってしまった。 ‥とか、そんな感じなんでしょうか。(よくわかりません)

あるいは、時代ごとに死後世界が変わっていったりしてるんでしょうか。

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