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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


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中国の死後:魂と魄

日本の死後世界は なんとなく水平的・平面的な空間としてイメージされてきた、 だから人は死後、テクテク歩いてどこかに向かっていく‥こんな感じのことを書きましたが。 これは日本独自のものなのか? ということでちょっと中国の死後世界を紹介して みたいと思います。

 中国古代の死後観、霊魂観についてですけど。 儒教では人は死ぬと(精神を主宰する)「魂」と(肉体を支配する)「魄」に分離するんだそうです。 このうち魂は雲のように現実世界の空中を漂っている(加地伸行(2011)『沈黙の宗教--儒教』ちくま学芸文庫.p.44)感じで、また魄は地下に行き、これは骨(遺骨)と密接に関係している みたいです。

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フワフワしてる「魂」

「魂」については [ 鬼=魂は雲のごとく漂う ] をご覧ください。 ポイントは「魂は、この世界のどこかでフワフワ漂っている。雲の如し」という点です。 つまり 人は死後にどこか別世界に行くのではなく、形をかえてこの世界に留まり続ける、という ことですよね。

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 こんなフワフワしたイメージの「魂」のたまり場といった感じで 登場してくるのが「鬼門」というものみたいで、 『山海経』に「滄海の中に土朔山という山があり、その山上に大なる桃の木がある」、その木に鬼門あり、と山上の桃の木の薄暗い枝の中に死者世界が想定されています(山田利明(2000)「冥界と地下世界の形成」『死後の世界』東洋書林, p.104)。

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地下に沈んでいく「魄」

古代中国における「地下の死後世界」として有名なのが「黄泉」。 「ヨミ」と読みそうになりますが、これを「ヨミ」と読んでしまうと「古代日本のヨミ」と ゴッチャになってしまいそうですので、「こうせん」と読んでおきましょう。 (江戸後期の平田篤胤翁は、両者を区別するため古代日本のヨミに「夜見」という漢字を当てています。 [ [おまけ]人は冥途に行かない説(2) ])

 この「黄泉」の歴史的起源についてですけど。 たとえば『孟子』などにも黄泉が「地下の 冥界というよりは地下の黄濁した水を指す」(山田2000, pp.94-95)例があったり、 『詩経』などからは「地下の黄泉は単なる墓穴であって、それ以上の意味をもたない」(山田2000,p.103) 感じのようです。最初は「死後世界」といった感じのものではなく、 墓穴とか そこからしみ出す水とか、その程度ですね。

 他方、地下の冥界についてですけど。中国では最初はそもそも冥界という観念はなかったみたいです。 戦国時代『楚辞』には「幽都」という地下世界が登場してますが、これは土伯という地下神(怪物)の居場所として描かれており、死者世界とは違うようです。『左伝』に戦国末期(BC3c?)に黄泉での再会を誓うシーンが出てきており、ようやくその頃には地下の死後世界という考えが出てきたようです。 こちらは魄のたまり場、といった感じでしょうか(山田2000,pp.104-106)。 このへん墓の存在が大きそうです(頭蓋骨つきの遺体を葬る墓ができたことが大きい? 山田2000, p.113)。

 ここで「魄」と書きましたけど。じつは「魄」についてはよくわかりません。 Wikipedia見ると「肉体を支える気」とありますけど、なんか、わかったような、わかってないような、そんな感じです。 キョンシーの例を出されると、なるほど、とか思ったりもしますけど。でもその「魄」が行き着く先の「黄泉」ってどんな感じ? ‥とか考えてみてもまったくイメージできません。 あるいは「魄」じゃなくて別のものが行き着いてるんでしょうか‥。

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