[Top]

西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


[前] 冥途の道のり(4:臨死体験)

[Table of Contents]

[Table of Contents]

シーンとしてる?

死出山は静かかどうか。明治初期くらい?の宇留藤太夫直伝『目蓮尊者地獄めぐり』には 以下のように書かれているそうです:

急がせ給へば、こは如何に、娑婆でもかくれじ死出の山、何と 登らん様もなく、暫し呆れて御座します。死出の山路の苦しさは、岩降り峠が百十町、 この峠の有様は、大磐石が遥か宙より降りかかる。娑婆で喩へて申[す]なら、秋風に木の葉を 散らす如くにて、心も言葉も及ばれず (岩本裕(1979)『仏教説話研究4地獄めぐりの文学』開明書院, pp.156--157)
‥秋風で舞い散る落葉のように、岩石が舞い散る峠‥すごい設定だ(^_^;

 でもこれって絶対すごい音がしてるはずですよね。 岩石舞い散るけど、しーんとしてる‥そんなスピーカーが壊れたテレビみたいなこと、まさか

[Table of Contents]

後退のネジは外してある?

室町時代のものになりますが「平野よみがへりの草紙」によると以下:

暗き処をただ一人、足にまかせて、矢を番ぐやうに歩み行き候へば、跡にて呼び候声、 微かに聞こへ[候間]戻りたくて、帰らんとすれば一足も後へは戻らず、先へならでは 歩まれず (岩本裕(1979)『仏教説話研究4地獄めぐりの文学』開明書院., p.279)
こんな感じだそうです。 つまり、戻ろうとしても足は動かない、動くとそれで先に進んでしまう、 という感じみたいですね。うわー。

[Table of Contents]

地獄は山中にあり

どこに註をつけていいのかよくわからなかったので、とりあえずここに付けます。

 昔から「地獄」と称する場所があちこちにあることが知られています。越中立山とか 陸奥恐山などが有名ですが、それ以外にも出羽川原毛など、江戸時代はスゴかったはずなのに 観光地化されず現在はイマイチ‥という場所もかなりあるはずです。 (川原毛には 川原毛地蔵というのも一応あるみたいですが、その例大祭は 「硫黄鉱山で亡くなった人々を供養する」[URL]と、かなりスケールダウンしてます。)

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

【新品】【本】須弥山と極楽 仏教の宇宙観 定方晟/著
価格:756円(税込、送料別) (2017/11/21時点)


 仏教の伝統では「八つの地獄は重なりあって贍部洲の下に存在する」(定方晟(1973)『須弥山と極楽』講談社現代新書.p.38) はずなのに、日本では何故「山中」という、ふつう我々が住む場所よりも 高いところを「地獄」としたのでしょうか。

 よくわかりませんが、 やっぱ「死出の山路」と言われて なんとなくイメージする情景と重なってしまうからでしょうか。 「死出の山」は、地獄とは違うんですけどね。でも、なんか「地獄」というのが『往生要集』などで 語られてるような苛烈なものじゃなく、単なる「死後の世界」程度で使ってるんじゃねこれ? と 思うこともありますから、それだと「死出の山」が「地獄」になっても、まあ、アリかも。 ‥というのはさておき。

 川村2000を見ると、ある修行僧が立山で地獄に堕ちた女に会ったと『法華験記』にある(p.131)とか、 立山の噴火口の岩石のあいだから地獄に堕ちた母親の呼ぶ声が聞こえたと『今昔物語集』にある(p.132)とのこと。この後者の今昔の例ですと、火山の噴火が 地獄の責苦と繋がっていて、 地獄の焔がそのまま地上まで吹き出してしまっている、というイメージがありそうですけど。 そっちの方が「死出の山路」よりも大きな影響を与えてるんでしょうか。 ‥でも前者の法華験記の例とか、あるいは 「地蔵十王経」 [URL]の 「ここから亡者は死山を登ることとなるが、急坂で杖が欲しいし、 路面がボコボコで草鞋が欲しい。」 といったあたりの「死出の山路」系もなかなか影響は大きそうですよね。

[Table of Contents]

大善人は極楽直行?

澁澤・宮名義の本ですけど。この文は 地獄絵の横に添えた解説文なので、編集部が付けたものと思われます。典拠不明です。

 ちょっと気になるのが「息切れて 四十九日の中有の世界を通って初めて大王の前に出る」とあることです。 地蔵十王経 [URL]などの 十王信仰では閻魔王は五七日、五週間、つまり35日後のはず。 かなり後の時代の文献が典拠なんでしょうか。

[Table of Contents]

臨死体験:医学の見地からは

医学的には、病室における対外離脱は、まだ病 状がそれほど深刻ではなく、薄い意識が残存して いる状態で起きると考えられている。トンネル体 験などが起きて、死後の世界に一歩近づくのは、 血圧が急激に下がるなどの変化によって、意識状 態が別のレベルに移行するからだと考えられる。 (立花隆(1996)『証言・臨死体験』文藝春秋, p.148a; 大熊武志氏の場合)

[Table of Contents]

せん妄?

2012(平成24)年9月に亡くなった岡部健(東北大学医学部)が同年6月28日読売新聞夕刊などに 掲載されたインタビューでこう語っておられるそうです(孫引き‥)

死ぬということは闇に降りていくことであり、道しるべもなく、真っ暗なところに落ち ていくことのように思われますが、どうもそうじゃないようなのです。3000人が亡く なるのを見たから確信を持って言えます。精神医学的には『せん妄』(意識レベルの低下に よる認識障害)ということになりますが、本人には実体として見えている感覚です。『戦 艦陸奥で爆死した兄がそこに来ているのに、なぜ先生に見えないの』などと言われます。 そういう体験を受け入れて会話ができる家族は、良い看取りができます。まれには、お迎 えに来た人に引っ張られて怖いという場合もありますが、大多数の患者は『お迎え』体験 によって、死に対する不安が薄れて安心感を抱きます」 (鵜飼秀徳(2018)『「霊魂」を探して』KADOKAWA, pp.79--80.)
せん妄、つまり「意識レベルの低下による認識障害」ということですけど。

 これって所謂「アイソレーションタンク」による感覚遮断、 「変性意識状態」と同じようなことが 起こってるという感じなんですかね。 (なんかこのへんの単語、妙に懐かしい気がするのは何故なんでしょうか‥)

 でも、もしそうなら確かに「真っ暗なところに落ちていく」のではなく、 (体験したことがないので実際はよくわからないのですが) 何かの特別な意識状態で、 特殊な何かを見ているのは確かということなんでしょうか。

[次] 中国の死後:魂と魄