石塚(1959)『日本の憑きもの』
[Table of Contents]外道と犬神
日本の「憑きもの」研究における非常に重要な著作として
石塚尊俊. 『日本の憑きもの --俗信は今も生きている』, 未来社, 1959.
という書物があります。ここでは、この石塚1959において紹介されている
「外道」の概略について紹介したいと思います。
島根、広島の主として山間部では、憑きもののことを
ゲドウといっている。ゲドウとは元来仏教上の用語で、
『資治記』に「言外道不受仏陀別行法」とあるように、
仏陀の教えを受けない異法の者を意味する語であった。
それをこの地方では、一般に人を罵倒する語に用い、
「このゲドウ」といい、あるいは「このゲダ」とも
なまっている。したがって、ここにゲドウといっても、
それはある特定の動物を指すものではなく、元来は
人狐や犬神を罵倒していう語に過ぎなかったろう。
したがって、その正体は人狐や犬神と結局は同じ
ものであったろうと思われる。 (石塚1959, p.46)
「外道」の歴史的用例につきましては、他の
ページ
[このへん?]をどうぞ。
つまり、島根・広島の山間部では憑物のことを「ゲドウ」「ゲダ」という。
ゲドウはもともと罵倒語のはずだから、つまり人狐や犬神への罵倒の言葉が
呼び名として定着したのでは? ということ。
ただ、いまいち「人狐や犬神への罵倒の言葉が呼び名として定着」という
のがいまいち納得しにくいように思えますけど。同じ石塚1959に以下:
『本朝故事因縁集』には、「備後・安芸・周防・長門の賤民、犬神という
外道の神を持ちて、少しの恨あれば犬神を人に憑くる (p.失念^^;
)
『本朝故事因縁集』(1689(元禄2)年)に「犬神という外道の神を持ちて」と書かれた
用例があり、犬神と外道を同一視してるらしき言及が見られること。
また、あの柳田国男が以下:
右の外道神というのは、すなわちよく人のいう犬神のことである。同じ
広島県の中でも、安芸の高田郡などにおいては、犬神といっても外道といっても、
同じ物を意味するそうである。
(柳田国男「おとら狐の話」『柳田国男全集(6)』(ちくま文庫1989),p.548)
このように外道神と犬神を「同じ物を意味するそうである」と書いておられることから、
もう、この両者が違うものとは言えない、という感じのようです。
[Table of Contents]動物的な姿をもつ外道
広島県甲奴郡K村での伝承を聞くと‥(中略)‥外道は鼬くらいの大
きさで、台所の床の下におり、その鳴声は「ウッウッ」または「グッグッ」である。走るのが早
く常に動いている。‥(中略)‥
比婆郡でも、‥(中略)‥ゲドウ
には野外道と憑く外道との二種があるという人もあり、それによると、野外道は鼬よりもやや小
さいくらいのものであるが、憑く外道はずっと小さくて、ほとんど掌中に入るくらいであると説
明する。‥(中略)‥
双三郡でも大体いうことは同じであるが、ただそこでは、その形態を土竜よりはやや大きく、
鼬よりはやや小さく、茶褐色をした、足の短い動物だと説明する。(石塚1959, pp.46-47;
柳田「おとら狐の話」p.546 にも同様な記述あり)
ネズミとかイタチとかモグラとか、そういった感じの小動物の姿をしている、と
されているみたいですね。
(以下、書きかけで絶賛放置中)
柳田によれば「愛らしい」とかあります。でも憑く。女にだけ憑く。
このへんをどう書くか、だ。
何故「外道」と呼ぶかについて。石塚p.175では、神道的な落としでも密教的どうこう‥とある。
吉田系神道
日蓮宗中山派
ちゃんと読もう (^_^)