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Who knows what a GURU is? (歴史篇)

「グル」の歴史を見てみよう。

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スタンがみるラマ

さらに孫引きを。今度は R.A.スタン著,山口・定方訳,『チベットの文化』, 岩波書店,1971. という本からのようです。

「師匠(slop dpon)の毛のたった一本を崇拝することでも、三時(過去・現在・未来) のすべてのブッダを崇拝するよりも大きな功徳(bsod nams)である」と、ある ダーキニー(妖精、荼枳尼)が聖者ガムポパ(Gam po pa 一〇七九--一一五三)に 語った。ここで<功徳>というときには、それによって生ずる実利、利益を も意味している。ダーキニーはまた彼に次のように言った。「疑問(the tshom)を いだいてはならない。思弁的思考(rnam rtog)を行なってはならない」と。 (中村 p.30) (スタン p.34)
うーん。でも「ラマ」という実在の人物に盲目的に従属するという図式は、 新興宗教の教団、とくに教祖がカリスマ性を持ってるような教団ではよく 見られるかもしれないですけど、ある程度の歴史を重ねた教団では、 時間とか歴史の積み重ねとともに、信仰における「グルという実在の人物」が 占める比重は下がってくるはずなんですけどねー。チベットではそういう 気配はぜんぜん見えないんですよ。なんで??
輪廻転生の信仰は、一般のラマ僧の宗教的霊威決定のうえにも強くはたらいて いる。高徳の僧はそれぞれ、むかしの何々というラマ高僧の生まれかわりで あると信じられている。最近代ではチベットのうち、いたるところに数百の 転生者が散在し、各自定められた僧院をもっている。(中村 p.92)
なんかこれって「いまそこにいるグルを見てるようでいて、じつは過去の チョーえらい人を見ているのだ」という図式なのかという気もしてきます よね。そうなりますと マヌ法典 とか、 シュリーチャイタニヤ派 の事例と ほとんど同じ図式になって収まりがよさそうに思うんです。 けど、それだと「仏よりもグルが一番」という、このページの最初のほうで 見てきた価値観とは合わなくなっちゃいそうですよね。

うーん。もうすこし調べてみよう。今後の課題 (^_^)

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