ミラレパと師マルパ
さっそく関連部分の引用です。
ところでチベット仏教を一般仏教から区別するところの、もっとも重要な
特徴は、生きている個人としてのラマを、仏よりも、法よりも
以上に、尊崇することなのである。プトンによると、師、善知識は金剛持
そのものであるということを理解しなければ、さとりはありえない。
師は金剛持そのものであり、師がなければ仏もない。また呪術者マルパは、
若き弟子ミラレーパに対して、師に対する弟子の信仰を試した。この信仰が
完全でなければ、弟子の霊的進歩は行なわれない、と考えたのである。
これはイギリス人のベルがいうように、「これは信仰をあまり問題と
しなかったゴータマの教えから、いまやはるかに遠ざかっている」。
これはむしろヒンドゥー教のグル(師)崇拝に対応するものである。(中村1989, p.85)
「マルパがミラレーパの信仰を試した」とありますけど、
それはミラレーパ(
mi la ras pa)
がマルパ(
mar pa)
の弟子になった最初の頃(11世紀)、師マルパが不条理なまでに
ミラレーパにつらく当たったことを指しているんでしょうね。以下の記事:
石濱裕美子 訳,「偉大なる行者ミラレパの伝記」,
『季刊 仏教 No.26』pp.134-148.,法蔵館,1994.
この記事によりますと、こんな感じだったそうです:
尊母の隠し財産の赤い大きな良質のトルコ石をいただき、
私はそれをマルパに献じ、「今この灌頂を私にもぜひ
授けてくださいませ。」とお願いして、灌頂の列にすわっていますと
‥(中略)‥
トルコ石をお首におかけになり、「ダクメマ、汝は豪気だ。
汝のすべては私が支配しているのだから、トルコ石は私のものである。
大呪術師よ、汝に宝があるなら持って来い。灌頂を授けてやる。
トルコ石は私のものである。」とおっしゃいました。しかし
「尊母がトルコ石を献じたお返しとしてお願いしてみようか。」と
思っていると、
ラマはお怒りになられ、突然お立ちになって、「出ていけといっても
いかないおまえの傲慢さは何なのだ。」とおっしゃって、
日没のようにうつむけにして殴り、
夜明けのように蹴りあげられたのでした」(石濱1994, pp.140--141)
個人的にはこの「日没のようにうつむけにして殴り、
夜明けのように蹴りあげられた」という表現が
ものすごく心に残ってしまうのですが、それはさておき。
中村先生の記述では、「師がなければ仏もない」と、仏よりも師を重視する
態度は「むしろヒンドゥー教のグル(師)崇拝に対応する」とありますけど、
どうなんですかね??
マヌ法典 とか、
シュリーチャイタニヤ派 の
事例を見てみますと、ヒンドゥー教では何だかんだ言ってても、
いちおう理念的には、
師よりも仏(というより最高神)のほうが大事に思われてるように
私には見えるんですけどねー。