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[地名メモ] 秋田県秋田市外旭川字朝鮮

題 [地名メモ] 秋田県秋田市外旭川字朝鮮
日付 2013.11



いまいち よくわかっていませんけど、とりあえずネットなどで見つけた情報を 列挙しておきます。

朝鮮地区は昭和53年の住居表示によって部分的に桂町と向山となり、現在はあまり広くはないが 住宅地なので人家が立ち並んでいる。「新編・秋田の地名(三光堂書店)」には 「朝鮮地名は明治からの呼称だというが、真澄のゆきのおろちねに「朝鮮闢は、長仙という人の新墾せし田畠なん」とある。 朝鮮は太陽の新鮮さの意。」と書かれている。 (朝鮮/ちょうせん(秋田市))
秋田藩から命じられ、長仙某が開拓した土地。字図上の地形が韓国に似ていたからか。 (外旭川郷土史編さん委員会編(2004(平成16))『秋田市外旭川郷土史--語りつぐ外旭川のあゆみ--』,p.600)
朝鮮という刺激的な字名であるが、この朝鮮は、いわゆる朝鮮人とは無関係で、朝鮮部落ではない。
現在、字朝鮮とされる地区は、二十数戸の住宅が並ぶ、住宅街の一部である。 (通信用語の基礎知識)
「朝鮮」という名前を聞くと、正直「えっ?」と思うんですけど。しかし結論からいえば、 上で紹介した各情報源にもあるように、 どちらも朝鮮人の人たちとは無関係のように思えます。 外旭川村というのは秋田近郊というか、土崎近郊というか、 どちらにしても ちょっと前までは農村だった地域ですから、そこに「よそ者」な人たちが 固まって村を作るなんてことは無理だったろうと思います。

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集落の起源はわからない

 1730(享保15)年の「六郡郡邑記」(『秋田叢書2』[NDL]) には 朝鮮村についての記述か? と思えるような 記述が見当たりませんでしたので、朝鮮(当時は「長仙」?)は 単独で「邑」と呼べるほどのものではなかったのか、あるいは長仙さんの開拓が1730年以降か‥ といったあたりのことは不明です。たぶん「邑」と呼べるほど大きな集落にはならなかったろうとは思いますけど。 (場所的にいって、八柳村系(p.102;コマ65)だと思うんですけど。とくに記述なし)

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「朝鮮」の名付けの詳細は不明

 ではなんで「朝鮮」なんて名前が付いてるのか? 上で紹介したページでは 「長仙という人が開墾したから」説を、18世紀初頃? の菅江真澄が紹介している、との 三浦鉄郎(1987)『新編 秋田の地名』の記述(p.80)を紹介しています。 ‥‥ただこの三浦1987がこの記述をどこから持ってきたのかは確認できていません。 出典は「ゆきのおろちね」となっていますが、しかし菅江真澄「雪能袁呂智泥」 (『秋田叢書 別集 第4 (菅江真澄集 第4)』[NDL]; p.213;コマ124) に対応箇所が見当たりません。 いちおう「月迺遠呂智泥」とか「勝地臨毫 出羽国秋田郡」[APL] も目を通してみたんですけど、 それっぽいのは見当たりません‥

 これ以外の理由として、『秋田市外旭川郷土史(2004)』は「字地上の地形が韓国に 似ていたからか」と推測しています。同書には、 石川理紀之助(1896(明治29)〜1902(明治35))『適産調』の一部が「資料」として 紹介されています。その中、大字:八柳 の 小字の13番目として「朝鮮」が紹介されています(p.701)。 朝鮮地区の地図がそこにありましたので、それを私が筆写したものを右図として 紹介してみます。

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1900年頃の朝鮮半島と日本

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李氏朝鮮から大韓帝国へ(1894)

‥んー。いろいろ整理してみましょう。 1902年に完成した『適産調』に「朝鮮」が堂々と掲載されていることから、 この地域が「朝鮮」という名前になったのは1900年以前のことと考えられます。 また1900年前後の朝鮮半島の情勢についてですけど。 1894(明治27)年から翌年にかけて日清戦争、これで朝鮮が清(中国)の属国でなくなり、1897年に 大韓帝国 [Wikipedia]成立、しかし清(中国)にかわって日本の影響力が次第に強くなり、 結局は1910年に大韓帝国消滅・日本統治開始。‥と、そんな感じです。

 このような歴史的変遷を踏まえてみると。まず『秋田市外旭川郷土史(2004)』には 「字地上の地形が韓国に似ていた」とありますけど。これ、たぶん朝鮮半島のことですよね。 地図を横にすれば、まあ、そう見えないこともないかな? ‥という感じですけど。 ビミョーですね。 それと「朝鮮」という名がついたのは、どうやら朝鮮人が日本に入ってくるようになる前の段階 ですね。どうなのかなー。日清戦争とか、大韓帝国成立前後に日本で「朝鮮」ブーム的、 「みんなで朝鮮を開拓しよう!」的なキャンペーンがあったりしたんですかね?? それで「なんか『朝鮮』が熱いみたいだから『朝鮮』の字に変えてみるか!」とか、 なったんでしょうか。

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朝鮮ブーム(らしきもの)はあった?

ちなみに当時、1900年頃の日本ではどうやら朝鮮ブーム(らしきもの)は実際にあったようで、 ネット上でたまたま見つけたんですけど、滋賀県の蒲生郡の例なんですけど:

明治36年(1903)、朝鮮半島への関心が高まるなか、蒲生郡長の遠藤宗義が岡部大人(多賀神社宮司)に「鬼室集斯といへりし学士の古き墳墓の埋もれありと聞く」と教唆を受け、『鬼室集斯墓碑考』を著す。祭神の一つが鬼室集斯に確定し、合祀された。
つまり、鬼室集斯は、後から祭神として追加されたのである。 ( 鬼室神社1|そもそも鬼室神社とは || ハムスターの日本史研究所 )
百済滅亡時に日本に渡来したとされる鬼室集斯という人がいるんですけど。 長いこと不動堂だった場所が明治維新のとき西宮神社になった後、1903年に「朝鮮半島への 関心が高まる中」、渡来人である鬼室集斯が西宮神社の祭神に追加され、さらに 1955(昭和30)年には社名も鬼室神社に変更される‥という話です。

 当時の朝鮮ブーム(?)が、神社の祭神を追加したりするほどのものだとしたら、 現在の秋田市の郊外に広がるのどかな農村の名前を「朝鮮」にしてみたという話も、まあ、 あってもそれほど不自然じゃないのかもしれないですね。 実際に今でも「平成」とかいう地名、つけたりするじゃないですか。 それと似たノリもアリかなー、と。

(‥しかし、それよりも何よりも、菅江真澄が「朝鮮闢は、長仙という人の新墾せし田畠なん」と 書いてあるソースを見つけないと、話が先に進まないよなー。)

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純国産の集落、たぶん

 こんな感じで 由来についてはわからない、としか言いようのない状況ですけど。 しかし朝鮮の人たちとはとくに関係ないんじゃないかと思います。

 まず、電話帳などから察するに、外国の人っぽい名前の人が住んでいるようには思えないこと。 そしてネットにこんな情報が:

海軍少尉 高橋正(20歳)様 秋田県秋田市外旭川朝鮮
昭和20年4月12日 神風特別攻撃隊第28幡護皇隊艦攻隊員(30名)として沖縄周辺海上敵艦船群に体当たり攻撃を敢行す。搭乗機は「彗星」 ( 秋田県特別攻撃隊招魂祭-「言うなかれ 君を わかれを」part2)
これでもまだ、この地区の人たちが日本人かどうかなんて疑いかけてたら、 なんか罰が当たりそうに思えますけど‥


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