確かに表層は理性と結合するべきである。破棄すべき程度に知の系譜学は主観を破壊するので規格化すら無駄なものに見えるえこうして彼らではないとも考えられる。自己充足性が思考様式の中で安定するのだろう。自給的に超越的存在が予断を許さないものであるあり近代のアポリアでさえ全くパラドクスであるあり自己組織化の問題はまず圧殺されるように独自に長きに渡り価値の体系からの脱却を試みる。カント的実践は意識の機能である場合、真に堕落するべきではなく、カリスマ的指導者を求めているが、存在不安が解体するからこそ革命家がいずれにせよ人間から解放されるのは明白だ。現代では自然は排除される事もある。伝統的スターリニズムもおそらく淘汰される事もあり虚無は消滅するし形而上学批判は禁忌を確定する。パラケラスス的世界観にとって近代の哲学は黙殺される必要があるが、したがって左翼的な反省のポーズを対象とする。
先行する社会の組成を通じて器官なき身体だけが力への意志に接近するのではなく持続的に理論的ゲヴァルトを暗示すると言えよう。現象でさえ規範意識から逃れる事はできないのであり分解するべきであり同時にそれは第三項を公然化するという事であり思考形態が混沌へと引き戻されるなどいかにも科学技術は実存から分離する。価値増殖すら倫理的合理化とされるれ領域侵犯を要請されると断定することは避けるべきだ。少なくとも表象の秩序は顕在的に戦争機械によって制約されるれ組織化されて失意と絶望にまみれて死ぬしアーケイックな領域において主権に依拠するものだった。衝動が即座に魔術から解放される。至高性は自己同一性を撹乱するものであり精神の所有物である。因果律も人間中心主義と名付けられるほどにそれら相互の関係において次第に没意味的な文献実証主義に陥る。主体そのものは説明できないとしても個別具体的に排他的である事もありシーニュの恣意性と癒着するので形相が存在するとはいえ支配的な社会階層において容易に推察されるべきではない。
事物と概念の関係はこれらの実践を通して自壊する。ディスクールの実践は生産活動のためにエクリチュールに通ずるのであれば自動的におよそ明確な暴力性であるように自由の名目のもとに引き裂かれるれそのひとつとして分断された身体でさえそれを語る事ができない。単純化された事象は暴力的に演技するし特定共時的に驚愕に値する。言語は辛苦であるという事であり原理的なものとして常に隠蔽されているが、ある程度まで汚染されるのは当然である。キリスト教的な良心は恐ろしいのではないが啓蒙の弁証法を書き換える。この係争のプロセスは間断なく物々しいしく我々が楽園から追放されるのではなくこれらだけが成立しないという事である。同時代性がそれに対して人間諸科学を異化するからこそ近代的思惟がそのナルシスティックな言い回しではあり得ないだろう。目を背けたくなるほどにパトスは繰り返しマルクス主義的であるほどに政治の観念が一方において言述的事象から逸脱するし比較的多数にとって元々見る事ができないもののそれこそこのようにアウラ的な力を有する。
人工無能は、もっと精度の高いものが求められる[*1]。パロールは苦痛である。
「TAさんに《現代思想チャンネル》を書かせてあげますよ」それに対する福島尊師のお答えに曰
「え?! 言ってる意味がわからんが‥」
「ぼくが作ってる『チャンネル999』というページの下にページを 作らせてあげよう、というわけです」
「ええ?! ... (そんなことしてもらわなくたって、すでに自分の ページがあるってのに)」
... そのときは事態をよく把握できなかったTAであった。しかし、その夜、福島尊師あてに一通のメイルを出したのである。
「ご指名くださり、ありがとうございます。 《現代思想チャンネル》を速攻で作りました。尊師のお気に 召しますかどうか」
「善哉善哉。世のページの主旨に沿うたものである。 では今度はソチに《趣味の哲学》を作らせてやる。しかと 励むように」かくて、世にも稀なる高貴な「福島」のペイジができあがった訳である。なお、このペイジははじめ galaga.jaist.ac.jp というマシン上でサービスをおこなっていたが、福島尊師が JAIST から最終解脱なさり、また私も東北に移った関係もあってサーバを何度か移転し、今は普通のプロバイダ上のマシン上でサービスをおこなっている。
「... (-_-#凸」