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[チラシの裏]

趣味の哲学




呪われた部分は成立しない。意識は長きに渡り混沌へと引き戻されるれ要するに排除される場合も有り得る。このように超越的存在でさえ容認されるのと同様に同時に辛苦であるという事であり個別具体的に器官なき身体を書き換えるえそれら相互の関係において分解する。瞬く間に思考形態は再び明確な暴力性であるものとされるが認識の客観性は原理的なものとして常に隠蔽されているものの知の考古学者も明示されるとされるがアーケイックな領域において知の産出を確定する。知の系譜学は換言すれば同時代性の所産であるのでありそれに対して神秘化されるのであっても他方でいずれにせよ世俗化を可能とするが故に没意味的な文献実証主義に陥るものとされる。それらの中では人間がカリスマ指導者を求めているており国家は精神の所有物であるのは当然である。イデオロギーが象徴的儀式であるようにここに至って説明できないし至高性が自由の名目のもとに容易に推察される。まさに禁忌が黙殺されるれしたがって組織化されてモードからの逃走であるので結合価を担う時、有り得ない事ではない。

理論的ゲヴァルトすら短期的に見れば理論の間を往復するだろう。事物と概念の関係はこの点について予断を許さないものであるあり差延化するしそのひとつとして自然は両義性から逃れる事はできないのだろう。単純化された事象は因果律によって表現されるとしか言いようがないが表層を撹乱するものの現象でさえ主観的に消滅するなど物象化された実践は発達するのと同様に繰り返しファシズムと名付けられるとは言えない。近代のアポリアは政治の観念に服従するようになるべきものだ。領域侵犯が力への意志に依拠するとは言えず認識の表層で表現されたものとして圧殺されるれアニミズム的世界観は失意と絶望にまみれて死ぬべきであり合理化された社会において第三項が汚染されるという事である。比較的多数にとって行動が神秘主義を異化するならば価値増殖を公然化すると断定することは避けるべきだ。経験も我々を売り渡す。ディオニュソス的な祝祭の中でディスクールの実践は驚愕に値するしメタラングはメトニミー的である事もありそれを語る事ができないほどに思考様式の中で常識的にエクリチュールによって制約される。

貨幣制度すら見る事ができない。これらの実践を通して浅薄な総花的知識の羅列がこうして意識の機能である場合、自壊するかの如く主体なき意志を維持するのは間違いではない。そこでは幸福と暴力の結合は生産活動のために無駄なものに見えるが、この係争のプロセスだけがおよそ過誤であるとしか言いようがないが言述的事象は同一性を保持し得ないとしてもそれによって恐ろしい時、革命家が滅亡する。ランガージュがその主体の領域侵犯のために再生産されるからこそ引き裂かれるとも考えられる。伝統的スターリニズムは存在しない。リジッドなハイアラーキーの中で哲学主体も生産において堕落するとされるがある程度まで彼らは解体するようだ。差異が放棄されるれ即座に破棄すべき程度に演技するのではない。カント的実践すら解放されるのであり現代では左翼的な反省のポーズが存在するのは明白だ。

シニフィアンは持続的に排除されるらしい。ミメーシス的テクネーは魔術から解放されるれ根源性はアウラ的な力を有するのと同様に確かに目を背けたくなるほどに楽園から追放されるものであろう。現在のところ唯物史観がつまり明確な暴力性である事だからその認識の枠組に集約される。不可能性が消費の形式と癒着すると言えるが、少なくとも精神の所有物であるものとされる。表象の秩序は淘汰されるれ永久に啓蒙の弁証法はいかにもディレンマから分離するし容認されるらしいが、次第に独自に没意味的な文献実証主義に陥る。知の全体性が微分的に説明できないのではなく自動的にパラドクスであるべきものだ。無意識は容易に推察される以上、規格化が安定するほどになおかつ文の機能に作用している。マルクス教条主義はエピステモロジークに理性から解放されるれおそらく暴力的に記号の体系に通ずるべきでありゼロ記号として理性批判の方策を提供するはずだ。

人工無能は、もっと精度の高いものが求められる[*1]。パロールは苦痛である。


*註1
本ペイジの由来について

それは 1995 年秋頃のある日、雑談の最中に、突然起こった。
「TAさんに《現代思想チャンネル》を書かせてあげますよ」
「え?! 言ってる意味がわからんが‥」
「ぼくが作ってる『チャンネル999』というページの下にページを 作らせてあげよう、というわけです」
「ええ?! ... (そんなことしてもらわなくたって、すでに自分の ページがあるってのに)」

... そのときは事態をよく把握できなかったTAであった。しかし、その夜、福島尊師あてに一通のメイルを出したのである。

「ご指名くださり、ありがとうございます。 《現代思想チャンネル》を速攻で作りました。尊師のお気に 召しますかどうか」

それに対する福島尊師のお答えに曰
「善哉善哉。世のページの主旨に沿うたものである。 では今度はソチに《趣味の哲学》を作らせてやる。しかと 励むように」
「... (-_-#凸」
かくて、世にも稀なる高貴な「福島」のペイジができあがった訳である。なお、このペイジははじめ galaga.jaist.ac.jp というマシン上でサービスをおこなっていたが、福島尊師が JAIST から最終解脱なさり、また私も東北に移った関係もあってサーバを何度か移転し、今は普通のプロバイダ上のマシン上でサービスをおこなっている。

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