[Most contents are written in Japanese Language] [Always under construction]

[チラシの裏]

[雑文] 少女好きな人

作成 1999年頃
加筆 2003年頃、2012年、2022年



[Table of Contents]

Cさんの思ひ出

どーでもいい話なんですけど、筋金入りな少女趣味の人の知り合い (ここでは仮に「Cさん」と名付けます)と、 少女趣味について話をしたことがあります。Cさんがどれくらい 少女好きかといいますと、なんとそれ系の画像ファイルを、なんと 6GB以上も蒐集し保管し分類してる人なんです。すごい人ですね。

 Cさんが仰るには、少女のピークは12歳なんだそうです。 何故なら、幼女から大人に変わるギリギリの一線がそこにあるから らしいです。‥言葉だけ聞いてるぶんにはなるほどと思わない こともないのですが、なんかその人はそう言うことによって 自分自身の趣味を正当化させようとしてるだけのようにも思えますし、 その人の嗜好が本当にそこにあるのかはちょっと不明です。 なにせ、その人のコレクションの中に「ペド鬼畜系」としか 表現できないものがあるのを見てしまったこともありますから (^^;

 そこで、Cさんに聞いてみました。 何故少女がいいのか。何故大人ではダメなのか。Cさんは言いました。

大人は成熟しすぎている。これは食物に喩えるならば、 油っこい肉料理なのだ。あるいは、熟しすぎた桃や柿のようなものだ。 そういうものが好きな人もいることは否定しない。 しかし、自分はもっとアッサリしたものが食べたい。 それがまさに少女なのである。日本人は一般的にアッサリしたものが 好きと考えられるので、自分は日本人の大半がロリコンに他ならない と確信している。 (うろおぼえ)
これは「巨乳好き」な傾向にある私への当てつけの意味も含んだ発言みたいですけど、 なかなか言いえて妙? にも思えますがしかし。

 しかし。私には少女はどーーーしても「青い果実」にしか見えません。 つまり、Cさんがあげた例に即して言えば、 日本人のふつーの女の人が「日本人が好きなアッサリしたもの」で、 「油っこい肉料理」はアメリカのポルノ女優であり、 「少女」は固くてすっぱくてあまり食べたくない、熟してない果実というか、 茹でてないジャガイモというか、そういう感じではないかと思う訳です。 そこでその旨をCさんに言ってみたところ「それは見解の相違だ」 の一言で済まされてしまいました (^^;

 まあ、(私を含む)男の人一般の傾向として、どうしても、 若いほうを好んでしまう習性があるのは間違いないことではありますが。 「少女」がいちばん好きな人たちは、「少女」の何に惹かれるんでしょうかね‥

(ここまで1999頃)


[Table of Contents]

後日談

当初「少女のピークは12歳」と言ってたCさんですが。 インターネットにアクセスして あちこちの少女系サイトを毎日のように渡り歩いた結果、 (私にとっては)意外な変化が起こったようです。 いわゆる「ロリ好き」な人たちの中には、12歳はもう所謂「賞味期限切れ」と 考える人たちも結構いるようです。そんな人たちはもっと年下の少女たちに 情念を萌やすわけですが。そんな人たちが発信してる情報を毎日のように 見続けた結果、当初は12歳くらいに設定されていたCさんの「少女のピーク」が、 小学校低学年あたりにまで下がってしまったようです。何ということでしょう。 「朱に交われば赤くなる」(2003年頃追記)

 ‥‥というより「人は非常にたくさんの情報に接する ようになると、思考や嗜好が徐々に極端に傾いていく」ことの 典型例みたいになってますね! 驚きでした。(ここは2012年追記)

[Table of Contents]

後・後日談(極端な時代)

そういえば2017.10.31に発覚した通称(?)「神奈川県座間市のアパートで男女9人の遺体が発見された事件」関連のニュースを テレビで見てたら、あるコメンテーターがこんな発言をしていました(うろおぼえ):

「自殺を勧める系の情報ばかり見ていると、心がそちらに傾いていく」
これを見て「まさにこれだ!」と思ったので、ひさしぶりに追記。(2017.11追記; 確かこの現象にピッタリくる単語があって「おお、これだ!」と思ってメモった‥記憶はあるんですけど、 メモがどこにあるかわからない‥^^;)

さらに、こんな話も。

「フィードバック・ループのせいで、SNSは巨大なエコー・チェンバー(共鳴室)のよう になっています。自分と考えが同じ人たちとばかり接することで、自分は正しいという信念 が絶えず強化されていく、という環境になっているのです‥(略)‥ 『ワイアード』誌に多く登場するようなテクノロジー至上主義の人たちは、SNSのこう した状況を民主主義の新たな形態とみなしているようです‥(略)‥ でも、そうではないのです。その逆です。皆、自分の作った世界に閉じこもり、異質なも のを目にすることがなくなってしまう。フィードバックによる強化のシステムの中に囚われ てしまうんです。自分とは別の考え方を持つ人たちの別の世界が存在するという考えが、頭 から抜け落ちる」 (ジョン・ロンソン(2015)(夏目訳2017)『ルポ ネットリンチで人生を壊された人たち』光文社新書869, pp.479--480)
 インターネットでの情報収集は、自分にとって都合のよい情報だけを選り好みして摂取 することになりがちだ。信じたいものを信じるための情報には事欠かない。それが根拠薄 弱な陰謀論でしかないことにも気づかないまま受容されることもじゅうぶんありうる。 辻隆太朗(2012)『世界の陰謀論を読み解く--ユダヤ・フリーメーソン・イルミナティ』講談社現代新書2146, p.50.)
上はネットリンチについての本、下は陰謀論についての本ですけど、どちらも この観点からすると同根の問題ぽいですね。 情報社会の進展とともに「人は見たいものしか見ない」、だから思考の幅が狭まり、 結果 自分とは違うものを排除する傾向がどんどん強まっていく‥。

 あの東日本大震災(2011.3)の後、ネット上では「それでも原発推進派」と「原発絶対廃止派」の 人たちがそれぞれに激しい持論を繰り広げていました(が、それぞれ自分の中にある結論を 叫ぶだけなので、議論はまったく噛み合わないという‥)。 それを横目で見ていたときに私が感じた違和感。 それはまさに上の「フィードバック・ループ」と同じ状況だったんですね。 反原発以外にも、アメリカの反トランプ系の人たちとか、 まるで親でも殺されたかのように安倍総理への排斥感情をむき出しにする人たちとか‥。 さいきん多いなあ、と思います。仕方ないのかなー。

(2018; どんどん文脈が当初の内容からズレてきてますね。そのうちページを切り分けるかも) (上で「反トランプ系の人たち」と書いてましたが、トランプ大統領落選後は 親トランプ系の人たちのほうがスゴいですね; 2022)

[Table of Contents]

認知的不協和

いきすぎた反原発の人たちについては、以下のような分析もあります。 ちょっと長いんですけど、引用:

 信州大学の認知心理学者・菊池聡氏は、『検証  予言はどこまで当たるのか』(文芸社)の中で、人が 震災や放射能関連のデマを信じたがる理由を、「認 知的不協和」の理論で説明している。‥(略)‥
 原発や放射能についてのデマを信じる人の場合は その逆で、放射能に対する強い恐怖を持っている。 ‥(略)‥ 現実には、福島第一原発の事故による放射能汚染 で死んだ人は、まだ一人もいない。健康に明白な害 も出ていない。それが彼らには我慢ならない。「放 射能はこわい!」という心理と「まだ被害が出てい ない」という事実が、認知的不協和を起こす。そこ で彼らは、「放射能による被害が出た!」というデ マに飛びつく。
 また彼らは、自分の抱いている不安を他の人が共 有してくれないことに不満を抱いている。そこで不 安をもたらす情報を拡散させ、自分の周囲のできる だけ多くの人が自分と同じように不安になることを 望んでいる。
 逆説的だが、放射能に関する不安をあおる情報を 信じ、拡散することで、不協和を解消し、安心感を 得るのである。 (山本弘(2013)「嫌韓レイシストたちの奇妙な世界」, と学会『タブーすぎるトンデモ本の世界』サイゾー.,pp.146b--147a)

2010年代前半に非常に盛んで、あちこちで目にしてウンザリ気味だった 反原発のヒステリックな書き込み、さすがに2010年代後半になると 以前ほどは目にしなくなっていたんですけど。

 2020年、いわゆる「新型コロナウィルス」の世界的大流行とともに、 今度は「反ワクチン」的な内容の書き込みが 10年ほど前の反原発の書き込みよりも大量にヒステリックに、 しかも上で紹介した「認知的不協和」の 状況にまさにピッタリ合うようにしか思えない感じで、 あちこち書き込みまくられているのは面白い‥というより 参りましたね。 (10年前よりも激しくなっている点については、やはり エコーチェンバー(「フィードバックループ」のほうがわかりやすそうですけど、ネット用語としては「エコーチェンバー」のほうが定着した感がありますね)フィルターバブルの影響が どんどん大きくなってきているんでしょうね。自分が世界の中心にいると 勘違いさせられる状況が強まっていると。)

 でも彼らはそれを書くことによって安心を獲得しているのか‥と思うと、 まあ、仕方ないのかな? ‥いやいや、そんなんチラシの裏にでも書いとけよ、とは 言いたくなりますけどね。いくら安心したいからといって、 声がデカすぎなんですよね。もうちょっと小声でやれよ、と。

(2022追記。ページどうやって切り分けるかの方針が決まらない‥)


関連(?)情報

[Total pages] [Prev][Next]