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カーマスートラ

泉芳璟訳(1923)。


[前] 1-1 全巻の総説

1-2 三勢力を得ること(1)

[1]人はその寿を仮りに百歳とし、これを三期に分割して以て三勢力を得ることに充るべきである。

[2]少年の時は知識と財物を得ることに。

[3]壮年にしては性愛に。

[4]老年にしては正義と解脱とに専注すべきである。

[5]されど寿命は不定であるから、これら三勢力は年齢に関せず適宜に追求して可い。

[6]知識を修得するまでは独身生活をなし性愛に心を傾くべきでない。

[7]人は祭祀等の如き宗教上のことをなすに、その利益が現世にては得られぬので、目に見ることが出来ぬから思ふやうにやれぬ。この ことは法典に依る外はない。又生れつき肉食などのことには現世の経 [p.19a]験で忽ち効能があるから傾き易い。前者をなし後者を避けるが正義で ある。

[8]人はこれをシュルティ即ちヴェーダ聖典や、それを基として作られたスムリティの聖典、さてはこれらをよく知つている人たちから 学ぶべきだ。

[9]知識、国土、黄金、家畜、穀物、家具それから又これらを保全し増殖する手段としての友人等は財物である。

[10]これらは政府の長官や、商売の術に長じた商人や農業に熟達した人たちから学ぶべきだ。

[11]耳、膚、眼、舌、及び鼻の五官の何れかを楽ませるには、それを外物に触れしめ、精神と結びついてゐる意識の上に活動せしめね ばならぬ。人間の幸福の原因、又その成就としてこれら外物を保全し ようとする慾望が性愛である。

[12]然し主として通常カーマ(性愛)なる語は男女間の情事、即ち接吻、抱擁等と共に行はるる性交の時に感ぜらるる快楽を意味する。

[13]人はこの性愛の本質と、その成就とを、カーマスートラ(性愛の学)に就て、又は教養ある人たちと交ることによりて、学ばねば ならぬ。

[14]この三勢力(正義、財物、性愛)の中で前のもの程重要である。

[15-17]然しこの重要さは必ずしも固守すべきでない。蓋し王にとつては財物が他の二より重要である。社会の秩序や、国の管理は 全く財貨に依らねばならぬ。金銭が娼婦にとつて重要なことは云ふま でもない。 [p.19b]

[18-21]此に学者たちの異論がある。正義は我々の通常の感覚では知られないから法典によつてその性質の定義なりその手引を得る ことが必要である。財物もさうである。金を儲ける適当な手段につい て教はらねば誰でもその事に進めない。これをアルトハシャーストラ (財の学)で学ぶのである。然し性愛に至つては人類はもとより動物 に至るまで自我の本性であつて手引の必要が無い。随てこの問題に学 問の必要は無いと云ふのである。

[22-23]然しさうではない。人類の場合は社会の風習、律法、恐怖、羞恥の制約があり、又のその性交や情事は下等の畜類とは全然異 つてゐるからこれを完全になし遂げることは男女にとつては知的の行 動に竢たねばならぬ。だからこの問題に就て教へるには学問の必要が ある。これがカーマスートラ(性愛の学)である。かくヴァーッチャー ヤナは云ふ。

[24]畜類の場合では、雌性のものが保護結婚などの制裁を受けないで自由である。その交尾は本能的で、或る一定の時から受胎の瞬間 までに局られてゐる。これらの動作は何等教育と云ふやうなことを必 要としない。

[次] 1-2 三勢力を得ること(2)