[Top]

カーマスートラ

泉芳璟訳(1923)。


[前] 1-4 市民の生活(1)

1-4 市民の生活(2)

[26]臨時の行事は(1)神祇参詣のために出立すること、(2)学者たちが集つて技芸に関することを議論すること、(3)饗宴を張り て痛飲すること、(4)行楽のため稍遠き花園に出かけること、(5) 他人と種々の遊戯をなすこと。

[27-33]神祇詣でにつきては、月に一回若くは二回、一定の日に、サラスヴァティーの神殿では必ず会員の集会がある。音楽師は歌や 踊りで今日を晴れと群集を娯ませる。遠方からさへも音楽師がやつて 来る。その次の日にはみな一定の報酬が与へられる。若し聴衆の所望 があれば滞在せしめられるのだが、さもなくば犒らひの語を以て去ら せねばならぬ。その中の一人が若し病気に罹るか、何か事故のため出 演出来ない場合には、その神殿の常在の音楽師があつて臨時の代演を 勤める。それも出来ぬ場合には他から雇ひ入れねばならぬ。会員たち は招聘した来賓の市民を香料や花などで歓待し、病気其他事故のあつ た場合には及ぶ限りのことをせねばならぬ。これが集会をなす人々の 義務である。其他の神に関する集会もそれぞれ習慣によつて同様に説 明せられる。

[34-36]学者たちが集つて技芸に関することを議論すること。舞妓の家或は会員たちのうちの一人の家で教育、趣味、富の程度の同 [p.25b]じ位のものが舞妓を加へて各愉快に会合を催す。そこでは文学、音楽、 舞踊、芸術のことが論議せられ、知能、品性優れたものは表旌され、 他の招かれたものにもみなそれぞれに報酬が与へられる。

[37-39]饗宴を張りて痛飲すること。各自の家に飲酒の会合を行ふ。そこではマドフ、マーイレーヤ、スラー、アーサヴァ等の種々の 酒類から、塩、果物、青物、テイクタ、カツ、アムブラの薬味を具へ 相互に相薦めて飲む。第四の遠方の花園へ出かけることもこれに同じ く説明せられる。友人と愉快な一日を過し、種々の酒など同じやうに 用意される。

[40-41]然しこの遠出につきて稍特殊なることは、朝早く例によつて容儀を整へ、乗馬で、舞妓や僕婢を従へて出かける。花園へ到 り着いて定例の沐浴をなし、娯楽をなして一日の時を過す。闘羊、闘 鶏を観たり、其他の博戯をなし、遊観の土産物、花、粧飾物などを携 へて、朝出立したと同じやうに家に帰る。夏の日に水泳のために特に しつらへ設けた池などへ出かけることもこれと同じやうに説明される。

[42]他人となす種々の遊戯には(1)ヤクシャラートリとて終夜を楽しい遊びに明かすもの、(2)カーウムディージャガラとて特に アシュヴィージャ(十月ごろ)の満月のころ徹宵して鞦韆博戯などの 遊びをなすもの、(3)スヴァサンタカとてブハールグナ(三月ごろ) の月に愛神カーマの大祭を行ひ、舞踊、歌謡、其他の娯楽に日を過す ものがある。これらは広く何れの地方にも行はれる。特に一部分に局 りて存する遊戯については、(1)サハーカラ、ブハンジカ(檬果(マンゴー)の 採集)、(2)アビユーシャ・クハーディカー(火に熱してよく熟した [p.26a]果実を食すること)、(3)ピサ・クハーディカー(蓮根を食すること)、 (4)ナヴァ・バートリカー(雨季の後、新緑の木の間に遊ぶこと)、 (5)ウダカ・クシュヴェーディカー(水を充てた竹管を吹いて獅子 の吼ゆるやうな音を出して遊ぶこと)、(6)パーンチャーラヌヤー ナム(パンチャーラに局られた一種の遊戯)、(7)エーカ・シャール マリー(シャールマリー樹に局られた遊戯、花を摘むなど)、(8)カ ダムパ・ユッドハーニ(カダムパの花のやうな柔軟な花を投げ合つて 遊ぶこと)。こんな種類の遊戯は国の習慣、人々の嗜好によつて適宜 採用すべきだ。かく他人と共になす種々の遊戯は説明せられる。

[43]独身のものは富の程度に応じて召使ひを雇ひ、出来るだけよく市民の瀟洒な生活をなすべきである。独身者の場合には独身の舞妓、 若くは婦人がこれに伴つてこれらのことをなすべきである。

[44]裸体一貫にて只マッリカー(杖の類)プヘーナカ(石鹸の類)カシャーヤ(塗油の類)ばかりしか持たずとも、都会から来て、技能 に熟達してゐるものは、多くの人々娼婦たちに対してこれら技芸を伝 習せしめ、講談師などの地位を得るであらう。

[45]然し若き日に財産を豪華な生活に蕩尽したものが尚ほかかる生活に執着があり、家族を養つて行かねばならぬ場合には娼婦の家に 行くべきである。而して愛人たちの集りに参加し、曾て自分のなせし 豪華な生活の経験から尊敬せられ、それらの人々の指導者となり、一 人から他人への使ひをしてその日の生活の糧を得るであろう。

[46-47]これら技能について十分の知識のないものは娼婦や愛人たちの弄び物となり遂に道化の役目をなし、彼等と同居してゐるう [p.26b]ちに、或は忠告を与へ、或は痴話喧嘩の仲裁役となるであらう。

[48]次のやうなものも同じである。(1)技能ある乞食女、(2)寡婦、(3)ヴリシャリー即ちシュードラ族の婦人、(4)技能ある老 いたる舞妓。

[49]村人は同階級の気質の面白い知能あるものを見たなら、自分自らの立派な生活ぶりを話して憧れの心を起さしめ、以て市民の習慣 に帰せしめるやうに励ますべきである。又これらの人々から其の上に も多くのことを学んでそれを採用せねばならぬ。これらの人のために 公会を開かねばならぬ。これらの人と交れば又他の人々のことも知れ る。これら人々が困つてゐる場合には相当な助力もし、又祭などや 巡礼のために来た人々に尽してやらねばならぬ。かくの如く市民の生 活の記述は此に終る。

[50]頌あり、曰く、

公会の席に聴衆に対してはサンスクリット語ばかり又は方言ばか りで話してはならぬ、この両者を時としては前者、必要に応じて後 者と云ふやうに用ふべきである。かくてのみ始めて一般に理解せら れる。

[51]自分の催す会合の無い時には、他人の催す会合に出席せねばならぬ。一般公衆から憎まれるやうなもの、若くは適当な規約に依ら ざるもの、若くは他を傷害せんと企てるやうな会合には出席してはな らぬ。

[52]人々の心に随つて無邪気な娯楽が設けられた如何なる会合でも、これらのことに通暁せる人ならばこれに参加してそこで成功を得 [p.27a]るであらう。

 以上聖ヴァーッチャーヤナの性愛の学第一品総説篇 第四章市民の生活終る。

[次] 1-5 愛人とその媒介(1)