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カーマスートラ

泉芳璟訳(1923)。


[前] 2-1 性交の考察(2)

2-1 性交の考察(3)

[55-61]又もや疑問がある。異なつた原因が同一の目的の生成に共働すれば(例えば人、薪、水等が炊事をして食物が其結果である如 [p.34a]き)、単一の結果が生ずる。然し此に男子と婦人とは離ればなれの目 的のために動作する。されば如何して此に結果に類似性があらうや。 然しさうではない。何となれば同一の結果は共働動作によつて相互の 側に生ずることもある。例えば闘羊の場合もカピトハ(堅き果実)を 割る場合も、角力の場合もさうである。各員が同一の方法で動作する ことが云はるるならばこの場合も亦同じである。上に述べた区別(即 ち四五)は単に一往のもので現実のものでない。だから双方共に同じ 快感を覚えることは確かである。

[62]以上を要約して述べて曰く、同部族(シャシャ(兎)とムリギー(牝鹿)等)の男子と婦人の場合にはその性交の快感は同質であ る。若し異部族の場合に婦人が長く保つ時はその婦人が男子より少 し前に最後の快感に到達するやうに接吻其他の情事を以て処理せら れねばならぬ。

[63]かくの如く最後の放射によりて快感の同一性が決定せられ性交は上に述べた量(生殖器の大小)と熱情の度合に於ける如く時間に 関しても亦九種類に分れる。

[64]ラテイ(快感)とラタ(慾楽)の意義。ラテイは性交の結果であつて、ラタは性交の動作そのものである。ラテイは或はラサ(幸 福)、ブリーティ(歓喜)、ブハヴ(慾望)、ラーガ(貪愛)、ヴェーガ [p.34b](勢力)、及びサマーブティ(終極)等の同意語を以て呼ばれ、ラタ はサンプラヨーガ(性交)、ラハス(秘密)、シャヤナ(寝臥)、モー ハナ(陶酔)等の同意語を以て呼ばる。

[65-66]性交はその量と度と時に随て九種類に分たれるからその種々の組合せは殆ど列挙するにはあまり多きに過ぎる。それらの総てに当 事者の嗜好に随つて情事の随伴がなされるべきである。かくヴーッ チャーヤナは云ふ。

[67]男子は初回の交接強勢にして短く、第二回以後はこれに反する。然し婦人の場合は精液の放射に至るまで全くこの反対である。

[68]男子は婦人より先に満足するとは只一般の意見に過ぎない。

[69]学者たちの意見に随へば婦人は性質繊細なると種々の情事を施さるるために男子より早く最後の満足に到達するものである。

[70]これまでのところは聡明なもののために性交の事柄を述べた[p.35a]のである。鈍性のものの了解のためには問題は尚ほ後段詳細に述べら れるであらう。

[71]快感には四種ある。(1)アブヒヤーナ(熟練)より起るもの、(2)アブヒマーナ(想像)より起るもの、(3)サンプラトヤヤ (回想)より起るもの、及び(4)ヴィシャヤ(感官)より起るもの。

[72](1)動作の反復より起る快感をアビヤーシキー(練習の結果)と呼ぶ。狩猟等の如きものは其例であつて、これは感覚的の快楽 とは異つたものである。

[73](2)未だ曾て実行しなかつたけれど、単なる慾望から或動作を為さんとするに至ることをアビマーニキーと呼ぶ。蓋し それから引出されると想像される或る快楽のためになすのである。

[74]これ亦感官的快楽とは異つたものである。これに属するものには婦人の交接不能者が口唇にて男根を接受するが如き、又接吻の如 きものがある。

[75](3)たとひ別人ではあるが曾て愛せしものに幾分類似した人を見て前の愛を想ひ起すもので、これをサンプラトヤヤートミカー (前の愛の回想)と学者たちは呼ぶ。

[76]音楽、花の如き快感の対象の普通なものから直接に引出される快感は直接に快感を与ふるものでこれをヴィシャヤートミカーと呼 ぶ。最初の三は畢竟これを助成するものである。

[77]法典に説かれたこれら種々の愛の本性を了解して嗜好に随つ[p.35b]てこれを用ふべきである。

以上聖ヴァーッチャーヤナの性愛の学、第二品性交篇の中、量と時と度によつてなされたる性交の考察終る。通じて第六章の終。

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