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カーマスートラ

泉芳璟訳(1923)。


[前] 2-1 性交の考察(3)

2-2 抱擁

[1]性愛の技術に六十四種ある如く、性交にも六十四種の方法がある。

[2]六十四の数を挙げる理由は蓋しこの学(カーマ・スートラ)に於て取扱はれた問題は上に挙げた如く六十四項に分れてゐるから、随つ てその主題たる性交も亦六十四の部分に分れる。かく学者たちは云ふ。

[3]或は云ふ。第一品に説いた技芸は六十四種に分れてゐるから主題も亦六十四の部分から成り立つてゐる。

[4]或は又かくも云はれる。リグ吠陀は十編より成る。この第二品性交篇も十章より成る。又リグ吠陀は大聖パーンチャーラの六十四歌 に編成せられてある。この章の作者バーブラヴィーヤは亦パンチャー ラの出生でリグ吠陀の学者であるから、尊崇を表し、上の類似の理由 によつて六十四の数を配したものであらう。

[5]バーブラヴィーヤに随へば六十四の数は八の八倍にして八の各々は性交の構成部分である。即ち(1)抱擁、(2)接吻、(3) 爪の掻傷、(4)歯の咬傷、(5)同衾、(6)呻吟、(7)擬男子性 [p.36a]交、(8)口唇性交、この八項が又各八部分に分れる。

[6]然しヴァーッチャーヤナの意見にてはこれら各部分は必ずしも八の数に一定しない。即ち或は少く或は多い。又打撃、啼泣、交接、性 交別態などの部分もありて、これらもやはり性交篇に収められてゐる から、六十四種の数は此には大体から云つたものに過ぎぬ。恰も七葉 樹と云ひ、五色のバリ(供物の一種)と云ふも概数に過ぎぬと同じで ある。

[7]男子婦人の未だ性交をなさざる場合にその愛情を表示するためには次の四種の抱擁がある。(1)スプリシュタカム(単に身体を 触れ合ふこと) (2)ヴィッドハカム(婦人の胸部を抱擁すること) (3)ムリドゥグフリシュタカム(長くお互の身体を押しつけるこ と) (4)ビーディタカム(力をこめて押しつけ合ふこと)。

[8]これらの名によつて動作の性質が示されてゐる。

[9]愛するものの来るを見て男子は恰も何かの他の事をするものの如く互の身体が恰うど偶然触れ合ふやうに仕組む。これがスプリシ ュタカム(触れ合ひ)である。婦人も亦その情人と途上に出会つて 同じことをする。

[10][p.36b]情人が人なき場処にあるを見て婦人は彼の向ふの何かを取らん とするものの如く粧ひ恰も偶然のやうに胸で押しつける。男子も亦 これを知つて両手で彼女を押しつける。かかる種類の抱擁をヴィッ ドハカムと云ふ。この場合婦人の胸が壁の木鉤のやうに男子に対し て押しつけてゐるから。

[11]この二つの抱擁の形は男女未だ互に何等話す機会が無かつた場合になされるものである。

[12]暗まぎれ若くは人ごみの中若くは人なき処、若くは相並んでそぞろ歩きする時、愛する男女の体が若干の期間互に押しつけられる。 これがウッドフリシュタカムである。

[13]これと同じ動作が壁若くは柱に凭れて互に緊く押しつけてなされるのがビーディタカムである。

[14]この二つはもはや互に愛情を交せる男女の間に行はれるものである。

[15]次の四種の抱擁は性交の際に行はれる。(1)ラターヴェーシュティカム(蔓草の如く纏ふこと) (2)ヴリクシャードヒルード ハカム(木に登る如くすること) (3)ティラタンドウラカム(罌 栗と米粒の如く混入すること) (4)クシーラニーラカム(乳と水 の如く混入すること) [p.37a]

[16]蔓草が木を纏ふやうに婦人が情人の体の回りに身を纏ひつき接吻のために手を以て彼の顔を曲げ暫しの間やや遠くの方に持ち直し てチュウチュウといふ摩擦音を発し若くは尚も彼にすがり着き恰も 美しさを讃美するやうにその顔を眺めるであらう。これがラタヴェ ーシュティカムである。

[17]婦人がこの動作で片足で情人の片足を押し他の片足を扛げて情人の腿の所に置き若くはそれを纏ひつけ、同時に片手を男の背部に 回し、他の片手を肩の上に置き恰も接吻のために登りつく如くシュ ウシュウチュウチュウといふ音を立てて自ら身を持ち上げつつ男を 自分の方向に曲げる。この動作をヴリクシヤードヒルードハカムと云 ふ。

[18]この二つの動作は性交のために横臥せんとする少し前に立ちながらなされる。だから性情が興奮してゐるのである。 [p.37b]

[19]臥床に横はりたる男女はその足と腕とを次のやうにして抱き合ふ。男子若し婦人の右側にあれば右の足を女の腿の間に左の腕を女 の右の腋下に通す。若し左側にあれば左足を女の腿の間に右腕を女 の左の腋下に通す。女も亦同様になす。この方法によつて足と腕と は恰も罌粟(テイラ)と米粒(タンド・ウラ)とが混入したやうである。これをティラタン ドウラカムと云ふ。

[20]強烈な性情に盲目となり随つて(骨砕くるが如き)危険も意に介せぬ如く男女は相互に体中に没入するやうに緊く抱き合ふ。この 動作は女が情人の膝の上に彼に面して坐してゐるときにも又は臥床 に互に相面して横つてゐる時にも出来る。前の場合には女は両足を 男の何れかの側に垂れ二人の両腕は体を回つて背部にて結び合ふ。 この動作はクシーラジャラカムと云ふ。二人の抱擁は乳と水との分 離すべからざる如くであるから。

[21]この二つは最も強烈な性情の場合になされる。

[22]かくの如く抱擁の方法があるとバーブラヴィーヤは云ふ。

[23]スヴァルナナーブハに随へば更にエーカーンゴーバグーハナムと名くる四種の抱擁の方法がある。これらでは男女の身体の対立する 部分が接触するやうになされるから名けられる。

[24][p.38a]男女相面して極めて密接して横はり互の腿の片方若くは両方は 他の腿の上に置かれ力限りに互にしめつける。この動作はウール (腿)が互に押しつけられるからウールーバグーハナムと呼ぶ。

[25]男女は相面して前の如く横はる。女は生殖器を男の生殖器に押しつける。この状態では女は髪も緩み情人に躍りかかり男の体に爪歯 の痕をつけ又打撃接吻などをなす。この動作は互の生殖器(ジャグ ハナ)が相接触するからジャグハノーバグーハナムと云ふ。

[26]女は背を曲げて前方に凭れ両方の乳房を男の胸に押しつけ胸の重み全体をそこに置く。これがスタナーリンガナム(胸の抱擁)で ある。

[27]顔と顔を押しつけ合ひ、眼と眼、額と額とが合ふやうにする抱擁の形をララーティカー(額部抱擁)と云ふ。

[28]或学者は身体に摩擦術を施すも抱擁の一部と考えてゐる。蓋しこの動作にも他の抱擁の形に於ける如く身体をつかむことが主要な [p.38b]部分をなすものであるから。

[29]然しヴァーッチャーヤナは摩擦術を抱擁とは考へない。何となれば、それは性交と関係なき時になされ、且つ全く目的が異ふ。即ち 苦痛の鎮静などを目的とする。又この動作から起る快感は対者双方に 共通でない。即ち施術者は何等快感を感じない。然るに情事の場合は 男女共に多少等しい快感を覚える。

[30]抱擁の方法が教へられたる人及びこれを聴きこれを語る人の心の中に性交の欲望が起るであらう。

[31]経典に記載されてゐないけれども性情を増すに役立つ抱擁の形がまだあるであらう。故に性交の必要な伴随動作として採用するこ とに注意せねばならぬ。

[32]経典の示す範囲は人々が性交の欲望を起すに至るまでの所に止る。然し性交が始められたならば経典も教示も必要でない。

以上聖ヴァーッチャーヤナの性愛の学、第二品性交篇の中、第二章抱擁終る。通じて第七章終る。

[次] 2-3 接吻の種々