鴨長明(1214頃?)『発心集』の中から、その第3巻第5話(通算すると第30話) 「或る禅師、補陀落山に詣づる事 賀東上人の事」の大雑把訳です。
本ページでは、以下の書籍を利用しています:: 三木紀人校注(1976)『方丈記 発心集』(新潮日本古典集成5, 新潮社). pp.137--138.
割と最近の話。讃岐の三位という人がおられたんですけど、その人の乳母の旦那さんが、 日頃から往生したいと願っている入道でした。その入道はこう思っていました。 「自分の身体のことも、いろんなことも、思いどおりにはならないものだ。 もし重病にでもなって、思ったような臨終が迎えられないようだと (「極楽往生」という)願いを叶えることも難しくなるよな。 正気を保っての臨終をするにはやっぱ、病気してない状態で死なないと」 ‥このように思った入道は「身燈(身体に火をつけること)」を決意しました。
「でも、ガマンできるかな」‥そこで入道は、鍬というものを二つ用意し、それを 赤くなるまで焼いて、左右の脇の下に挟んでみました。すぐに身体が焼け焦がれて、 それはもう、とてもじゃないけど見ていられない状況です。でも入道自身は しばらくしてから「それほどでもないな」と言って、身燈の用意をはじめました、が。 ふとこう思ったのです。「身燈するのは簡単だけど、でもその結果、今のこの生涯を 引き換えにして極楽に行くというのはイマイチ割に合わないよな。 それに、まあ所詮は凡人だから、臨終のその瞬間はどんなだろう、(やっぱり 正気を保てないかも、)という不安もあるし。となるとやっぱり補陀落山だな。 あの山は この世界の中(地上)にあるものだし、今のこの身体のままでも お詣りできる場所だから。だったらそこにお詣りしよう」 ‥このように思った入道は、ヤケドの治療をやめて土佐国に向いました。 そして土佐国で小船を一艘造り、毎日その船に乗って、舵取りの練習を続けます。
やがて入道は、舵取りの人たちにこんなお願いをします。「北風がずっと吹き続け、 その風が強くなってきたらその時はワシに知らせよ」と。 このように約束した入道に、やがてその風がやってきます。 入道は かの小船に乗り込むと、小船に帆をあげてただ一人、南に向って行ったのでした。 入道には家族がいましたが、あまりに決心が固すぎて、止めさせることはムリでした。 家族たちは、彼が去っていった方向を むなしく見つめて泣き悲しむのです。
当時の人たちは、入道について 並々ならぬ決意だったし、 きっと(補陀落山に)お詣りできたにちがいないと考えています。
一条院の御時だと思うんですけど。賀東聖という人がいて、その人がこれと同じように、 弟子一人をつれて(補陀落山に)詣ったことがあったらしいんですけど。その言い伝えを 参考にしようと考えたのでしょうか。
入道は最初「身燈(身体に火をつけること)」という行為を思いついてます。 入道はここで何故こんなことを思いついたのかといえば。 「法華経」の 「薬王菩薩の昔」の章 [大雑把訳]に 「菩薩を目指す者が、このうえなき悟りを求めて、仏塔で足の親指、 手足の指一本、あるいは腕か足を一本、燃やすのであれば。 その者が作り出す福徳は膨大である」という文があり、それが影響をしていると 思われます[*1]。
しかし入道は「臨終のその瞬間」のことを気にして、「身燈」を止めてしまう訳ですが。 これについては源信『往生要集』[SAT]に以下:
‥と。このようにある点がカギかもしれません。凡人の日頃の行いでは、 極楽往生はほとんど無理。でも、我々には一発逆転のチャンスがある。それは臨終のとき。この瞬間に、 阿弥陀仏を10回念じる(つまり10回「南無阿弥陀仏」を唱える‥ということですよね?)[*2]ことができれば、 それ一発で極楽往生! ‥という感じですよね。 しかし逆に、臨終の際に重病してたり、正気を保てなかったりしたりという 「いかにも」な可能性は極力排除しないといけない。入道は、身燈でもたぶん大丈夫じゃないかなと 思いながら、でも万一 熱さのため正気を失ってしまったらどうしよう‥というのが気がかりだったため、 身燈も止めてしまったわけです。 (なお、高徳な上人だったはずの人が 往生の瞬間に気の迷いを起こしてしまった結果、 往生に失敗して天狗道に墜ちた‥という話がいくつか、同じ『発心集』にありますよね。)
そこで。そのかわりに出てきたのが「かんのんさま」の聖地「補陀落」に行こう! というものですね。補陀落渡海については [こちら]をどうぞ。
[Table of Contents]この項目、分量が増えたので以下:
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