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餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


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餓鬼と地獄の混同

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餓鬼と地獄の混同

 何度も取り上げてますが 『仏説盂蘭盆経』は、目連が餓鬼となった母親を救う物語となっています。 この経典に関する最大の問題のひとつが「盂蘭盆」という言葉で、この言葉について 唐の玄応は「烏藍婆拏(うらんばな)」であり、その意味は「倒懸」、つまり 「頭を下にして ぶら下がっている」状態だと説明しています。 つまり、それに匹敵するような苦しみを目連母、ひいては我々の祖先は受けている、と。 この解釈の是非については 盂蘭盆経について:: 語源「うらんばな」説 [URL] を見ていただくとして。 この解釈について岩本1979は以下のように述べています:

玄応の解釈はそののち永く尊重されたのであって、わが国の俗信で 地獄道と餓鬼道とが混同され、地獄の絵図の中に亡者が倒に垂り下げられているのが 見られるのは、玄応の解釈に由来するものである (岩本1979,p.229)
このページ的に見逃せないポイントは 「地獄道と餓鬼道とが混同され」というところですね。 また同じ岩本1979によれば、中国明代『勧善目連救母行孝戯文』において 「「獄中餓鬼」のごとき語もあり、地獄道と餓鬼道の区別が混乱していたことが 窺われる」(pp.46--47)とあり、「六道」が日本に来る前、中国における時点で すでに「餓鬼」の位置付けに微妙な点があると想像できます。 やっぱ、「餓鬼」のキャラ付けが弱いから‥

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11世紀初(北宋)にはもう餓鬼地獄

餓鬼と地獄の混同は一体いつ頃から? ‥ 詳しいことはわかりませんが、いわゆる 「敦煌文献」の ひとつ「地藏菩薩十齋日」(大正2850)中に すでに「餓鬼地獄」と書かれた文があることは確かなようです:

二十三日大將軍下念盧舍那佛不墮餓鬼地 獄持齋除罪一千劫 (地藏菩薩十齋日 (大正2850), p.85:1300a21)
[大雑把訳] 23日は大将軍が下りてくる。毘盧遮那仏を念じれば、餓鬼地獄には堕ちず。斎なせば一千劫の罪が除かれる。

 敦煌文献は11世紀前半くらい、北宋期のようですから、その頃までには中国で「餓鬼地獄」は 考えられていたみたいですね。しかもこの文献を見ると「餓鬼地獄」は 「寒冰地獄」「劍樹地獄」「鐵鋸地獄」などの、「いかにも」な感じの地獄と列挙されてますから、 いろいろある地獄世界の一部になってたと考えて間違いないです。

 でもこんな感じで列挙されると、やっぱ「んー、餓鬼地獄ってやっぱ、餓える地獄かなー」なんて 思ってしまいそうになりそうですよね普通。

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