[前] インドでは餓鬼=亡者(死者) |
「餓鬼」と呼ばれる者たちは、じつは元々「餓え」と直結している訳ではなく、 単純に「死んだ者たち」という意味だった、というのは驚きですよね。
驚きについては2つあって。
[Table of Contents]まず「死んだ者たち」全体が「餓鬼(preta)」になる、とすると。 いわゆる「六道」というものとの整合性が、なんか訳わからなくなってきますね。 「六道」の説明は「人は死後、生前積み上げた業の結果に従って 六道のどれかに転生する。(もしくは、それらを超越した極楽浄土に往生する)」 でしたけど。でも「死者の魂」=「餓鬼」とすると、 「六道のうち、餓鬼以外の五道」の存在が何なのかというのが訳わからなくなる。 ‥というか、六道の中にある「餓鬼道」って一体何なんだよ?! 訳わかんないよ!! という話になって、ものすごく混乱します。 というか、どうしても解決できない矛盾を前にして、立ち往生するしかなくなります。
それとヒンドゥー教系だと、どうやら「人は死ぬと幽霊=プレータになるが、葬送儀式の 遂行により祖霊となる」みたいですけど。その場合、その祖霊とやらは転生しないってこと?! 輪廻とは違う世界がそこにあるの??? ‥という疑問が出てくるんですけど。 そのへんについては正直よくわかりません。 『マハーバーラタ』にも 「子孫による祭祀を望む祖霊たち」が出てきてますから、たぶんインドでは昔から 「祖霊」はあたりまえのものとして存在してたと思うんですけど‥。
[Table of Contents]二つ目の驚きは 「「鬼」は単に死者であって、死者が必ずしも餓えた存在であるわけではないが、たいていは この亡霊は惨(みじ)めな境界にいる」という点。
これは裏を返せば、つまり、餓えてない餓鬼(preta)、みじめな境界にいない餓鬼(preta)も (ごく少数かもしれないですけど)存在しているということですよね。マジか!
(この「惨めじゃない鬼」について、別ページでまとめる予定。)
[Table of Contents]
‥と。ここまで紹介してきた内容について、
いろんな矛盾点などについては とりあえず妄想を使って^^
「餓鬼」について簡単にまとめるとすると、こんな感じでしょうか。
餓鬼(preta)というのは元々「往ける人」、死者の魂一般をあらわす語であり、 訳語としても「鬼」が使われていた。 しかし経典に出てくる「鬼」たちは みじめな境遇にいることが多かったため、 漢字圏では みじめなイメージを感じさせる「餓」という文字が追加されて「餓鬼」となった。
他方、「天」とか「地獄」とかの、さまざまな「死後のありかた」についての 可能性をまとめてパッケージ化しようぜ、という流れが出て来た。 「餓鬼(preta)」はその要素の一つとしてパッケージに加えられたが、 その際、「地獄ほどは悪くないが、 天ほどは良くない。たぶん、普通に人間に生まれ変わるよりは良くない」的な感じの ものになった。それはつまり 「死者はみんな餓鬼(preta)」という本来的な意味内容から、 「天国行き(善業者)」「地獄行き(悪業者)」な人たちが抜け、 「善すぎず悪すぎない人たちの死後」に変わっていった。そしてそれをさらに 人・畜生・餓鬼で、それぞれ上中下に分け合うことになり 「悪者が堕ちる地獄よりはマシだけど、比較的ワルな奴らが死後そうなる」 「殺人は地獄だから、殺人ほどじゃない、比較的軽微な悪行をした者はここ」 的な感じに落ち着いた。
ビジュアルに関しては、たぶん当初は 特別な制約はなかったので、 いろんな姿のものが描かれていた。しかし日本などでは「盂蘭盆経」などにおける 描写か、あるいは 「中世期の寺院、縁日などの門前や境内で喜捨を受けていた人たち」が与える 「地獄の生き証人」的な人らの姿か。そのへんのイメージが混ざった姿が定着した。 例のあの容姿である。
そして。そんな仏教における「餓鬼」の発展とは別に。 インドにおいては「プレータ」は昔も今も死者の魂一般をあらわす語のままで、 きちんと葬送儀礼を行うことにより「祖霊」にランクアップ可能な存在である。
‥と、「餓鬼」はそんな感じに展開していったんじゃないかと妄想してみます。
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