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餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


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[日本] 餓鬼は、餓えた鬼?

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もともと餓鬼=餓え、ではない

「インド仏教の餓鬼は亡者(死者)」の ページでも紹介しましたが、「餓鬼」について

「鬼」は単に死者であって、死者が必ずしも餓えた存在であるわけではないが、たいていは この亡霊は惨(みじ)めな境界にいるので、のちに「餓」の字が附加された」(定方1973 ,p.81)
というのが元々のようですけど。

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食べ物をねだる餓鬼ども

 しかし「餓鬼」という言葉が、「六道」とか「三悪趣」を構成する要素の一つとして 人々のあいだに広まっていくうち、やっぱり「何だそれ?」「『餓』とついてるくらいだから、 きっと腹が減ってるに違いねえ」‥的な話になったんですかね。 日本の民俗レベルでは「餓えた」と結びつけたキャラ設定が行われてるみたいです。

 この「餓鬼」と「餓えた」の関連付けについて、日本ではかなり早期から 行われていたような形跡もあるようです。 奈良時代、玄昉が発願した『千手千眼陀羅尼経』の跋文中にこんな表現:

又願はくは、地獄に淪廻し、熱 煩苦・餓鬼飢餓苦・畜生逼迫苦等の衆生をして早く出離を得、 (石田瑞麿(2013)『日本人と地獄』講談社学術文庫(初出1998), p.34)
こんな表現があるみたいです。「餓鬼飢餓苦」という表現からはもう「餓鬼=飢餓」という イメージがあったとしか思えないですよね! しかもこれ、なんか「地獄に輪廻して、熱苦・餓鬼飢餓苦・畜生逼迫苦を受ける衆生」となってますから、 餓鬼と畜生は地獄に含まれる的イメージなんでしょうか。うわー。

 時代をぐっと下げた江戸時代。他のページでも紹介した円潭(1850; 江戸末期) 『念仏吉蔵蘇生物語絵巻』山形県鶴岡市常念寺蔵 には‥

進んで行くと、餓鬼どもがたくさん集まって、吉蔵に向かい団子を 頻りにねだる。私には一粒の貯えもなかったので、「どう応えようか」とほとんど 迷惑しているところに、冥官(倶生神が描かれている)らしい者があらわれ出て、 「これは頓死した者だから、団子の貯えはあるわけがない。ねだってはならぬ」と お叱りになったところ、(餓鬼どもは)ようやく道を開けて(吉蔵を)通した。 (錦仁(2003)『東北の地獄絵--死と再生』pp.213--215.)
ここでは「餓鬼どもがたくさん集まって、吉蔵に向かい団子を頻りにねだる」と 餓鬼たちは描写されていますけど。 私はこの、終戦直後の子どもたちが進駐軍兵士に「ギブミーチョコレート!」と叫ぶ ような態度 (といいつつ、その時期は まだ生まれてませんので、話でしか知らないわけですが‥) の餓鬼どもに、どうしても 違和感があるのですけど。でも、少なくとも近世においては、そのような 「餓えて食べ物をねだる」餓鬼の姿というのは、割と自然というか、 そういうもんだろ? 的に思われていたんだろうなと想像できます。

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餓鬼霊が、人に取り憑く?!

Wikipediaに「餓鬼憑き」という項目があるのを見つけました [Wikipedia]。曰:

なお餓鬼とは、本来は仏教における餓鬼道の亡者を指し、仏教説話集である『因果物語』にも、『慳貪者、生きながら餓鬼の報いを受くる事』と題して、餓鬼道の霊が人に取り憑く話が語られているが、民間の伝承における餓鬼憑きの餓鬼とは、一般的には行き倒れになった者や餓死者の怨霊のことを指している。
ここでの餓鬼は「行き倒れになった者や餓死者の怨霊」とあります。‥‥けど。

 けど、その前に。ここでは『因果物語』なるものが紹介されています。 せっかくなので まずはその『因果物語』を見てみましょう。 『因果物語』とは江戸前期の仮名草子で、鈴木正三作。1661(寛文元)年刊。 そんな感じの書籍のようですけど‥

21 慳貪者生ながら餓鬼の報いを受くる事 附種々の苦を受くる事
江州肥野の谷、石原村に道節と云ふ福人あり。慳貪無道心なる こと類なし。七十歳にて、生ながら餓鬼となつて、大食限りな し。一日に四五升飯喰ひて、終にあがき死す。六十日目に己が 婦に取り憑き、飯喰ひたし喰ひたしと呼はること十日ばかりなり。 是は様々吊ひければ、頓て本復す。彼の道節兄も、乾き病にて 大食限りなし。大桶に食を入れ、昼夜共に喰ひ次第に喰はせけ るが、百日程際限もなく喰ひて、終に死しけり。大塚にて確に 聞くなり。 (饗庭与三郎 校訂(1911(明治44)) 鈴木正三『因果物語』富山房, pp.199–200; [NDL])

[大雑把訳] 近江国肥野の谷、石原村に道節という大尽がいた。とことん ケチで信心がなかった。70歳のとき、生きながら餓鬼となり、 大食いとなった。一日に飯を四〜五升食べてたが、やがて死んだ。 その六十日後、それが嫁に取り憑き、 こんどは嫁が飯が食いたい飯が食いたいと言いだしたが、 十日ほどで治まった。道節の兄まで大食いとなってしまい、 百日ほど際限なく食べたのち、亡くなった。これは大塚で聞いた。

 ‥んー。この『因果物語』の餓鬼描写が 仏教本来の餓鬼的なものと、 上記Wikipediaの「外道憑き」の項目は書いてましたけど。どうなんでしょう?

 日本で昔からよく言われる餓鬼って、 「醜く、痩せこけ、口中は燃え、喉は針のよう、髪はバサバサで」 「食べることも飲むこともできなくて、骨と皮だけ」‥という感じのものじゃないですか。それと繋がりそうな記述が全然なくて、 単に「ケチだった」「飯をガツガツ食って、やがて死んだ」というだけ‥。んー。 これたぶん「ガツガツ食って死んだから、きっと餓鬼じゃね?」ということですよね。

 それとやはり気になるのは「嫁に、そして兄に取り憑いた」というところ。 すくなくとも仏教的な文脈で「餓鬼憑き」なんて、どうなんですかね。 ほとんど記憶にないんですけど‥。

 そういえば。 日本では いつしか「外道」というと 人間でないものになり、やがて、 島根・広島の山間部では憑物のことを「ゲドウ」「ゲダ」というように なっていくんですけど。「餓鬼」もそれと同じような経過をたどっているんでしょうか。

(次ページへ、つづく)

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