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餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


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餓鬼の二種

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「有威徳」な鬼(餓鬼)

ところで。「望仏」をさらに読み進めていくと、餓鬼には 何やら種類があることが書かれています。こんな感じ:

問鬼住何處。答贍 部洲下五百踰繕那有琰*魔王界。是一切鬼 本所住處。從彼流轉亦在餘處。於此洲中 有二種鬼。一有威徳。二無威徳。有威徳者。 或住花林果林種種樹上好山林中。亦有宮 殿在空中者。乃至或住餘清淨處受諸福 樂。無威徳者。或住厠溷糞壤水竇坑塹之中。 乃至或住種種雜穢諸不淨處。薄福貧窮飢 渇所苦。 [ 阿毘達磨大毘婆沙論 (大正1545) p.867b. ]
[大雑把訳] 「鬼ども、どこにいる?」の答。 贍部洲の下500ヨージャナの琰魔(閻魔)王界、そこが鬼どもの故郷だ。 余所にいるのは、そこからの流れ者。この世にも二種類の鬼がいる。 (1)有威徳、(2)無威徳である。(1)有威徳とは。花や果実たわわな樹上、 山林、宮殿の上空、清浄な場所にいて、さまざまな福楽を受けるもの。 (2)無威徳とは。排泄物の中など穢れ・不浄な場所にいて、福薄く 貧窮し飢渇により苦しむもの。

 ここでは餓鬼には「有威徳」「無威徳」の2種類があることが 述べられていて、そして我々が普通「餓鬼」といわれてイメージするのは たぶん「無威徳」のほう‥ですよね? そして、それとは違う 「有威徳」な餓鬼も存在すると書かれています。花が咲いたり、 実がなったりする樹々の上にいたり、清浄な場所にいて さまざまな福楽を受ける --- なんか「楽しげな樹々の精霊たち」的な 感じでしょうか。そんな感じの「餓鬼」も想定されてるみたいです。

 もちろん、この手の有威徳餓鬼の存在についても、 餓鬼が「亡者=preta」のことである、という元々の意味を知ってる人たちからすれば、 まあ、存在して当然のものではありますけどね。生前きちんと善業を積んだ人であれば 有威徳餓鬼となって諸福楽を享受できる‥そんなご褒美でもなければ 善業を積もうとする人なんて出てこないですからね。宗教として成り立たないから‥。 (というか、ここでは「餓鬼」という語は使われてなくてただ「鬼」とだけ 書かれてますよね。これを訳した玄奘三蔵法師は当然「亡者=preta」というのを 知っていたのでここでの preta を「餓鬼」とは訳さなかったんでしょうね)

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「有威徳」な弊鬼

望仏によれば「大智度論」にも似たことが書かれてます:

鬼有二 種。弊鬼餓鬼。弊鬼如天受樂。但與餓鬼同 住即爲其主。餓鬼腹如山谷咽如針身。 惟有三事黒皮筋骨。無數百歳不聞飮食 之名何況得見。復有鬼火從口出飛蛾投 火以爲飮食。有食糞涕唾膿血洗器遺餘。 或得祭祀或食産生不淨。如是等種種餓 鬼。 [ 大智度論 (鳩摩羅什譯; 大正1509), p.25:279c. ]
[大雑把訳] 鬼にも2種類ある。「弊鬼」と「餓鬼」だ。 「弊鬼」が楽を受けるのは「天」と同様。餓鬼と同じ場所にいて、 そこの主人である。「餓鬼」は腹は山谷の如く、喉は針身の如し。 持つのは黒い皮・筋・骨だけ。(我々がフツー言うところの)飲食物を見ることというか、 そんな言葉を聞くことさえ皆無。 ある鬼は口から火を出し、その火にかかった蛾を食す。 糞・唾・膿など、また洗器のカスを食したり、祭祀(の供物)を食したり、 出産時の不浄物を食したり、種々の餓鬼がいる。

 ここでちょっと気になったのは「弊鬼」です。これ、 先ほど紹介した「阿毘達磨大毘婆沙論」の「有威徳」に対応してるのは 明らかだと思うんですけど。 「『弊』って『へい』だから preta の pre じゃねえの?」と気になって 仕方ないんですけど、原語はどうなってるんでしょうかね??? ‥というのは さておき。 ここでは2種類ある「鬼」のうち、悪い方、そして我々がよく知ってるほうの 「無威徳」の鬼だけが「餓鬼」と呼ばれてます。これはスッキリしてて わかりやすいな。こんな感じで「鬼」と「餓鬼」をハッキリと分けてしまうのが 一番いいんですけどね。なんでここでの「鬼」全体を「餓鬼」と呼んでしまう 説明が多いんでしょうか。またここで紹介されてる「有威徳な鬼」「弊鬼」らは 「六道」の体系の中、いったいどこに行ってしまったのでしょうか‥[*註]

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弊鬼はどこへ? (妄想篇)

ところで。上で紹介した「大智度論」のあたりを見ると、 いわゆる「六道」の設定が完全に固まる前に書かれたか? と感じさせる記述があります。 たとえば以下:

不善亦有三品。上者 地獄。中者畜生。下者餓鬼。復次欲界衆生有 十種。三惡道人及六天。地獄有三種。熱地獄 寒地獄黒闇地獄。畜生有三種。空行陸行水 行晝行夜行晝夜行。如是等差別。 [ 大智度論 (鳩摩羅什譯; 大正1509), p.25:279c. ]
[大雑把訳] 不善にも3種類ある。上が地獄、中が畜生、下が餓鬼である。 欲界の衆生にも10種類ある。三悪道、人、六天である。 地獄にも3種類ある。熱地獄、寒地獄、黒闇地獄である。 畜生にも3種類ある。空、陸、水。それと昼行・夜行・昼夜行。こんな違いである。 (鬼にも2種類あって弊鬼、餓鬼である。‥と続いている)

 ‥五道(六道マイナス阿修羅道)の順番で「餓鬼」が「畜生」より上位にあったり、 「地獄」の分類が大雑把で3種類になっているなど、整理された「六道」の設定とは ちょっと違うものが述べられていて、だから六道の整理された設定が広まる前の 状況がここで説明されてるのでは? なんて妄想を持ってしまうんですけど。

 この妄想どおりであれば、まず当初 「鬼」もしくは「餓鬼」には2種類のものがあって 「人の生前の行為によって良いほうか悪い方に振り分けられてる」感じにイメージされていた のは確かだと思うんですけど。後に「六道」の概念が生まれ整理されるとともに 「鬼」のうち悪いほう、「無威徳の鬼」「餓鬼」を「悪趣」に入れるのは良いとして、 良い方の「有威徳な鬼」「弊鬼」はどうするの?? という 葛藤みたいなものが出てきたとき、その位置づけは「天」に似てるし‥ ということでたぶん「天」に吸収合併される形で自然消滅してしまった(ので 餓鬼と同じ世界に留まる設定だった「弊鬼」も、 十分な善業を積めば「天界」に行けることになった?)んですかね。

 そして「餓鬼」という単語は「鬼=preta のうち無威徳のほう」を「単なる鬼=preta」と ハッキリ区別するため翻訳者が(気をきかせて)「餓」という漢字を添えて区別つけやすく したものという可能性はないですかね? ただ、その書き分け漢訳独自の工夫にすぎず、 もとのサンスクリットでは「鬼」も「餓鬼」も同じ preta という単語だったため、 後になると どちらも同じ「餓鬼」と訳されるようになり なんか訳わからなくなってしまったものの、そもそも「餓鬼」なんてものは 仏教の教義体系の中では「極めて どーでもいいもの」だったので あまり問題にならないまま現在に至る、とかそんな感じなんでしょうかね。 (私の根拠なき妄想ここまで)

 んで。各文献における「鬼」「餓鬼」の扱いがグチャグチャな状況をふまえて。 私のサイトにおける表記も、 かなりグチャグチャになっていることをご了承ください(^_^;

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天宮餓鬼

この「有威徳の鬼」と同様の鬼たち、つまり「惨めじゃない鬼」について。どうやら 根本有部律、アヴァダーナシャタカ(Av)等に出てくる、 漢字で「飛行餓鬼」「天宮餓鬼」と書かれている餓鬼どももそんな感じ、すなわち、 惨めな境遇にいる訳ではない餓鬼らしいです[*註]

(このへんに petavatthu に出てくる「天宮餓鬼」についての描写を入れる予定で 準備してたんですけど、せっかく作ったメモがどこかに行ってしまった‥)

(書きかけ)

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