[Top]

餓鬼について

[佛説救抜焔口餓鬼陀羅尼經]に 端を発して作成している「めも」です。


[前] [中国] 薛茘多

[Table of Contents]

[Table of Contents]

大勢鬼

『阿毘達磨順正理論』(大正1562;衆賢造 玄奘訳) で紹介されてる「大勢鬼」も「有威徳」と同様な存在のようです。曰:

諸鬼本住。琰魔王國。從此展 轉。散趣餘方。此贍部洲。南邊直下。深過五 百踰繕那量。有琰魔王都。縱廣量亦爾。鬼有 三種。謂無少多財。‥(略)‥ 多財亦有三。謂希詞希棄大勢。‥(略)‥ 大勢鬼者。謂諸藥叉。 及邏刹娑。恭畔荼等。所受富樂。與諸天同。 或依樹林。或住靈廟。或居山谷。或處空宮。 [ 阿毘達磨順正理論 (大正1562), pp.517b--517c. ]
[大雑把訳] 鬼どもの本住は琰魔(閻魔)王國で、そこから流転して各地へ。この 贍部洲の南辺の地下500由旬に、縦横500由旬の琰魔(閻魔)王都あり。 鬼には無財・少財・多財の3種あり。‥(略)‥ 多財餓鬼には希詞・希棄・大勢の3種あり。‥(略)‥ 大勢鬼とは。藥叉・邏刹娑・恭畔荼などのこと。富と楽を受けるのは諸天と同様。 樹林・靈廟・山谷・空宮などにいる。 (なお、この後は無威徳・有威徳の格差の話が続いてますけど、それは省略)

 大勢鬼は「藥叉、邏刹娑(羅刹)、恭畔荼(鳩槃茶)などのこと。安楽を受けるのは、諸天と同様。樹林、霊廟、 山谷、空宮などにいる」と書かれていて、いわゆる「良いほうの鬼」に属するものと思われます。‥‥え? 薬叉とか羅刹とかって、いわゆる「亡者=preta」からの枠組から はみ出してないか?? 「鬼」の意味が「亡者=preta」を離れて、「人でないもの」に変わってきてない???‥ てか薬叉(夜叉)、羅刹、鳩槃茶と餓鬼の関係といわれてすぐイメージするのが [ 八部鬼衆 (龍鬼八部) ] というやつで、 それぞれその 3,7,8 番目に列挙されてるんですけど。でもその場合、鬼=pretaの音写である 「薛茘多」も同じように八部鬼衆の4番目に列挙されてますからね。あれ? 列挙されてるということは、つまり夜叉とか羅刹は 鬼=preta とは 類似のものだが別物ということでしょうし、他方、この「順正理論」に従えば 夜叉とか羅刹は 鬼=preta の一部(である大勢鬼の一部)ということになる訳で。 どっちなの???

 鷹巣純1999は、新知恩院の六道絵で「餓鬼絵」とされるもの、この手前に描かれる 「梵天のように修行者風の髷を結った半裸の」(鷹巣純(1999)「新知恩院本六道絵の主題について ---水陸画としての可能性---」『密教図像18』, p.74b) 人物などが大勢鬼などを描いたものかもしれない、と指摘しています。この指摘に従うと、 王のように描かれる人物を除く3名のうち、大勢鬼である可能性がいちばん高そうなのは やはり、いちばん手前に立っている行者風の男ということになりそうですけど。んー。 「順正理論」では夜叉とか羅刹とか説明してましたけど、ちょっとそれとは違う感じが しますね。でも「安楽を受けることは諸天と同様」の説明とはシックリ来るという‥。 なんか だんだん訳わかんなくなってきました。

[Table of Contents]

「餓鬼」は関心が薄い?

『往生要集』(大正蔵84巻No.2682)[SAT]が参照している『正法念処経』 (大正蔵17巻No.721)の 「餓鬼品」(16~17巻,pp.92a02--103b14)はここ[SAT]から参照できます。 「地獄品」が64ページもの分量(pp.27a16〜92a02)を使っているのに対して、 「餓鬼品」が12ページ(地獄品の1/5)程度しか分量がないというのは、やっぱ餓鬼というものへの 人々の関心の薄さ、というより 地獄への関心の突出的な強さを示してるんでしょうね。 『往生要集』になると、さらに餓鬼への関心は下がってしまいますし‥ (餓鬼に関する記述は、地獄に関する記述の1/8程度。)

 また 『法苑珠林』[SAT](670完成)の鬼神部 [SAT]地獄部 [SAT]

 なお、何故こんなに「地獄」に関心が集中するのか。速水侑(1998)『地獄と極楽』(吉川弘文館)によれば、 『往生要集』の地獄描写が当時の人たちにとってはインパクトがありすぎた、ということらしいです。 仏教伝来以前の日本では「死後の世界」といえば黄泉国、その黄泉国のイメージと「地獄」が重なった結果、 地獄が現世の延長としてイメージされたこと(霊異記などの地獄蘇生譚の存在がその裏付け。黄泉国と同じで、 帰って来れるようなところにあるというイメージ)(p.167)、また『往生要集』以前は地獄に落ちるのは 平将門のような格別の逆悪不善者(このへん「御霊」と共通)だと思われていたのが 『往生要集』では 邪淫・盗みなどの日常的な不善が地獄に直結すると書かれていたこと(p.188)、これらのことから 人々が急に「地獄」に対してリアリティを感じてしまったことが大きいらしいです。

 ちなみに、昔の中国人たちも仏教の地獄にはかなりのインパクトを感じたのではないかと澤田1991は述べます。曰、 中国では‥

古くは死者の永眠する地中の場所として黄泉が考えられた。‥(略)‥ 漢代に蒿里の説があり、 当時の送葬歌「蒿里曲」によれば、賢愚となく魂魄を聚め斂めるところであり、鬼伯(死の神)が 人命を催促してここに連れて行くと考えられた。特定の地方では泰山が死霊の赴くところで、人間の 寿命や禍福はこの山の神によって管理されているとも信ぜられた。‥(略)‥ そこへ西方から仏教の地獄説が 輸入された。それは黄泉や蒿里や泰山などの素朴で淡白な冥界観とは比較にならぬほどの規模と内容と、 そして毒々しいまでの強烈な色彩感をもつものであった。死者安眠の黄泉は一変して酷烈無惨な刑罰の反復される 地底の牢獄となった。‥(略)‥ それらは分類と羅列と誇張の好きなインドの仏弟子たちが、あらんかぎりの 空想力を馳せて考え出したものである。刑罰の道具は火と鉄器が多い。土と石と水とを文明の基調とする 中国からみると、壮大な規模の中に新文明の物量を投じ、新奇な殺戮の法を展示したもので、まさに驚嘆すべき 新しい残虐世界であったにちがいない。(澤田瑞穂(1991)『修訂 地獄変』平河出版社, pp.5--7.)
おだやかな黄泉が仏教のせいで灼熱で苛烈な世界になったというのは 日本と同じ‥というか、たぶん中国の「黄泉」と日本の「ヨミ」が混じってしまったうえ、 中国の「黄泉」が苛烈な世界に変わってしまった、その変化が 日本にも伝わってしまったんでしょうね。

[次] なぜ餓鬼に