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『阿毘達磨順正理論』(大正1562;衆賢造 玄奘訳) で紹介されてる「大勢鬼」も「有威徳」と同様な存在のようです。曰:
大勢鬼は「藥叉、邏刹娑(羅刹)、恭畔荼(鳩槃茶)などのこと。安楽を受けるのは、諸天と同様。樹林、霊廟、 山谷、空宮などにいる」と書かれていて、いわゆる「良いほうの鬼」に属するものと思われます。‥‥え? 薬叉とか羅刹とかって、いわゆる「亡者=preta」からの枠組から はみ出してないか?? 「鬼」の意味が「亡者=preta」を離れて、「人でないもの」に変わってきてない???‥ てか薬叉(夜叉)、羅刹、鳩槃茶と餓鬼の関係といわれてすぐイメージするのが [ 八部鬼衆 (龍鬼八部) ] というやつで、 それぞれその 3,7,8 番目に列挙されてるんですけど。でもその場合、鬼=pretaの音写である 「薛茘多」も同じように八部鬼衆の4番目に列挙されてますからね。あれ? 列挙されてるということは、つまり夜叉とか羅刹は 鬼=preta とは 類似のものだが別物ということでしょうし、他方、この「順正理論」に従えば 夜叉とか羅刹は 鬼=preta の一部(である大勢鬼の一部)ということになる訳で。 どっちなの???
鷹巣純1999は、新知恩院の六道絵で「餓鬼絵」とされるもの、この手前に描かれる 「梵天のように修行者風の髷を結った半裸の」(鷹巣純(1999)「新知恩院本六道絵の主題について ---水陸画としての可能性---」『密教図像18』, p.74b) 人物などが大勢鬼などを描いたものかもしれない、と指摘しています。この指摘に従うと、 王のように描かれる人物を除く3名のうち、大勢鬼である可能性がいちばん高そうなのは やはり、いちばん手前に立っている行者風の男ということになりそうですけど。んー。 「順正理論」では夜叉とか羅刹とか説明してましたけど、ちょっとそれとは違う感じが しますね。でも「安楽を受けることは諸天と同様」の説明とはシックリ来るという‥。 なんか だんだん訳わかんなくなってきました。
[Table of Contents]『往生要集』(大正蔵84巻No.2682)[SAT]が参照している『正法念処経』 (大正蔵17巻No.721)の 「餓鬼品」(16~17巻,pp.92a02--103b14)はここ[SAT]から参照できます。 「地獄品」が64ページもの分量(pp.27a16〜92a02)を使っているのに対して、 「餓鬼品」が12ページ(地獄品の1/5)程度しか分量がないというのは、やっぱ餓鬼というものへの 人々の関心の薄さ、というより 地獄への関心の突出的な強さを示してるんでしょうね。 『往生要集』になると、さらに餓鬼への関心は下がってしまいますし‥ (餓鬼に関する記述は、地獄に関する記述の1/8程度。)
また 『法苑珠林』[SAT](670完成)の鬼神部 [SAT]、地獄部 [SAT]。
なお、何故こんなに「地獄」に関心が集中するのか。速水侑(1998)『地獄と極楽』(吉川弘文館)によれば、 『往生要集』の地獄描写が当時の人たちにとってはインパクトがありすぎた、ということらしいです。 仏教伝来以前の日本では「死後の世界」といえば黄泉国、その黄泉国のイメージと「地獄」が重なった結果、 地獄が現世の延長としてイメージされたこと(霊異記などの地獄蘇生譚の存在がその裏付け。黄泉国と同じで、 帰って来れるようなところにあるというイメージ)(p.167)、また『往生要集』以前は地獄に落ちるのは 平将門のような格別の逆悪不善者(このへん「御霊」と共通)だと思われていたのが 『往生要集』では 邪淫・盗みなどの日常的な不善が地獄に直結すると書かれていたこと(p.188)、これらのことから 人々が急に「地獄」に対してリアリティを感じてしまったことが大きいらしいです。
ちなみに、昔の中国人たちも仏教の地獄にはかなりのインパクトを感じたのではないかと澤田1991は述べます。曰、 中国では‥
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