[日本]施餓鬼(江戸〜近代)
[Table of Contents]江戸期頃だと完全に亡者供養
そして現代。現代日本における
施餓鬼会(施食会)は普通、位牌持ってくるよう指示されますよね。
位牌持っていくということは、先祖供養的な要素も確実にあるはずで
(さらにウチの場合は「三回忌までの人が対象」となってるから尚更)。
これは室町期における施餓鬼の目的である「亡魂のたたり対策」の伝統が、
その意味内容はほとんど忘却されてしまったものの、形式だけは
現在まで残っている、そんな感じなんでしょうか。
あるいは「盆」だけだとお布施が足りないと考えた寺院が‥なんて
ことはないか。江戸期までやってなかったことを、明治期とか戦後になってから
始めたというのであれば「新たな金儲け」の陰謀論の可能性もありそうですけど、
江戸期にすでにこの行事があるとすれば、それはきっと「そういう風習だった」と
なるでしょうから。
ということで江戸時代について見てみます。
[Table of Contents]施餓鬼と盆供養のセット化
江戸初期の説経浄瑠璃『目蓮記』(鱗形屋本)、これは『盂蘭盆経』の
目連救母伝説をベースにして発展させた物語ということになるんですが、
この中で、目連母が救済されたエピソードを語った後に:
其後、目蓮、阿難、迦葉は血盆経、盂蘭盆経、施餓鬼経、是[の]三巻の御経を
貝多羅葉に書き記し、それより目蓮尊者、末世の為に娑婆世界ゑ弘めさせ給ふ。
然るによって、我が朝にては、7月14日には施餓鬼と云[ふ]なり。よつて、
16日まで盆三日とて、諸々の生霊を祀るなり。是によつて、その時より、
罪業重きも軽きも、盆三日は娑婆に来つて苦患を逃るる事、今の世までも
疑いなし。(岩本裕(1979)『仏教説話研究4地獄めぐりの文学』開明書院 (これは 岩本裕(1968)「目連伝説と盂蘭盆」京都法蔵館. の増広版のようです),p.144)
[大雑把訳]
そののち目蓮、阿難、迦葉は血盆経、盂蘭盆経、施餓鬼経、これら三つのお経を貝多羅葉に書写し、
目蓮尊者が世界に広められた。ここから日本では7月14日が施餓鬼となった。そして16日までを
盆三日と呼び、さまざまな生霊を祀る。これによって、罪業の軽重を問わず、盆三日は
この世界に戻ってきて苦患を逃れるのだ。間違いない。
このように書かれているようで、これだと施餓鬼は7月14日となり、
完全にお盆行事の一部と化してますよね。それとここでは
血盆経 [URL]もセットになってますね。
「血盆経」は「あれなる中に大きなる血の池地獄[の]候が、
是みな女人の墜つる地獄なり」(岩本1979, p.140)とある、その血の池地獄に
堕ちてしまった亡母を救え! というお経ですから、基本「盂蘭盆経」と似たような内容ですし、
先祖供養のための経典としてこの2つがセットになるのは非常に自然の成り行きと思われます。
そしてさらに亡者供養のための「施餓鬼経」もセットとして組み合わされ、
地獄に堕ちた(祖先を含む)亡者たちの供養行事のための経典としてこれら三経典がセットに
なったことがわかります。
上にあげた引用は『日蓮記』ということで、たぶん当時の日蓮宗系の人たちの考え方に
影響を受けてるんだろうと思います。
現代はこの考え方はどんな感じになってるのかについて、たまたま見つけましたので以下:
例えば、本宗の特徴的な鎮魂供養として「施餓鬼」供養があります。本宗寺院では
たいていの寺院が営んでいる、仏教的な見地からしても非常に重要な供養になります。
これは、読んで字のごとく「餓鬼に施す」のです。すなわち、私たちには目に見えず浮
かばれない魂、つまりお釈迦様がいらっしゃる絶対安心の世界である霊山浄土に到るこ
とが出来ずに彷徨い続けている「餓鬼の魂」が無量に存在しております。有縁、無縁か
かわらず、これらの無量の魂に、妙法蓮華経と唱題の功徳を捧げ、「施餓鬼供養」を続
けていくことは、仏道を歩む私たちの使命とも言えます。
(鵜飼秀徳(2018)『「霊魂」を探して』角川書店, p.118.)
これは「霊魂の存在」に関する質問に対する、日蓮宗からの回答となるのかな? これを読むと
「有縁、無縁かかわらず」ということ、つまり自分のご先祖様も、それ以外の訳わからん魂も
全部一緒にして起用する、という考え方を現在も引き継いでるみたいですね。
やっぱり「お盆」と「施餓鬼」が完全に合体してしまってる感があります。
[Table of Contents]施餓鬼は邪魔者を追いやる儀式?
ちょっと引用をどこで切ったらよいかわからなかったので、かなり長めの引用になります。
柳田1946ですが以下:
次になお一つ、九州の南部から島々にかけて、外精霊と呼んでいるものがある。東北地方
だけには妙に聴くことが少ないが、関東以西の広い区域にわたってこれがあり、ただその名
称だけは土地によって、あるいはホカドン、トモドンといい、御客仏といい無縁様といい、
または餓鬼とさえいう処も少なからず、従ってその考え方にも大分のちがいが出来ている。
しかしともかくも必ず家で祭らなければならぬみたまより他の霊が、盆の機会をもって集ま
ってくると見たまでは一つである。 ‥(略)‥ 施餓鬼が盆の行事の中心で
あるように、僧たちの力説するのも彼らとしては理拠があり、現にまた寺々の盆棚はただそ
のために設けられているのだが、それが我々の古い習わしのままでないことはもちろん、仏
教もまた夙にこの差別を承認して、教理の許す限りというよりも以上に、先祖を追慕する各
家庭の感覚と、協調して行こうと試みていた。この点がすこぶる五百年前の、切支丹伝道の
態度とはちがうのである。
それゆえにこのいわゆる外精霊の解釈は、教化の程度によってほとんと地方ごとにちがっ
ている。従ってまたこれに対する家々の待遇ぶるにも、著しい差等があるのだが、今までこ
ういう点を比較してみようとした人もなかったために、誰でも自分の土地の風のみを、全国
普通のものと速断する傾きがある。詳しく見て行くと、実はまだこの点に関しては、普通ま
た常識といってよいものがないのである。餓鬼というような悪い名をもつ精霊はもちろん、
南九州のフケジョロ又はトモドンというものなども、家のない餓えたる求食者であって、盆
には家々の精霊様の供物を横から取って食べるといい、先祖を静かにもてなすためには、ま
ず彼等にも何か食物を与えて、邪魔をせぬようにする必要があると考えているものがある。
(柳田國男(1946;repr 1990)「先祖の話」『柳田國男全集13(文庫)』ちくま文庫, pp.100--101.)
外精霊(ホカドン、トモドン、フケジョロ、御客仏、無縁様、餓鬼とも)と呼ばれる、
各家で祀らねばならぬ霊とは異なる霊、それらは「家のない餓えたる求食者であって、盆には
家々の精霊様の供物を横から取って食べる」ものだから。だから、彼らに供養(先祖祭)の
邪魔をされないよう、ご先祖様とは別の食事を与えておくと考えられてます。
‥あ、これって仏壇に膳をあげるときに、飯を何粒か水に入れて‥というやつと
同じやつですね。上でも書きましたけど、餓死鬼など目に見えない邪魔者を除外して、
自分たちと縁の深い先祖霊だけを対象とした供養(先祖祭)をしたいと考えたとき、
その排除のやりかたを規格化したものが施餓鬼、ということですよね。
もしもそうなら「邪魔者を排除。その規格化された手順が施餓鬼」ということになり、
これは現世利益ではないんですけど、かなり実利的なもので、
現世利益とかなりノリが近い感じのものと言えそうですね。
ところで。「施餓鬼が盆の行事の中心で
あるように、僧たちの力説するのも彼らとしては理拠があり、現にまた寺々の盆棚はただそ
のために設けられている」と柳田翁が仰せなのはちょっと気になりました。
「施餓鬼が盆の行事の中心」‥うーむ。つまり、それだけ「お盆」と「施餓鬼」がほぼ完全に
一体化していた、ってことなんですかね。
んで一体化したから、だと思うんですけど。もともと餓鬼には「自分たちの祖先以外」みたいな
制限はないはずなんですけど。先祖供養の「お盆」との役割分担ということなんでしょうか、
柳田翁が仰せの「他精霊」、先祖祭においては排除すべき精霊、という感じに
位置づけられてしまった点はちょっと興味深いですね。切り離されたか‥