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盂蘭盆経について

佛説盂蘭盆經 (大正0685) に関する「めも」です。


[前] ご先祖は山に?

ご先祖は海に?

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いやいや魂は海の向こうに

柳田説とは別に、死者の魂は海の彼方から帰ってくる、との説もあります。

この時期は、仏家でも、盂蘭盆会を修する時である。歳の果から初春にかけて、海の彼方のまれびとが 出て来、眷属となつてゐる数多の精霊も、其に随うて、村へ集る。村人の成年戒を受けて後死んだ者の魂は、皆、海の彼方の国――常世の国――に行つてゐて、 それらが来るのである。 (折口信夫『ほうとする話 祭りの発生 その一」の3 (青空文庫))
たしかにお盆明けにやる「精霊流し」「灯籠流し」系行事、それは何故に流すのか? なんてこと 考えてみますと、ご先祖たちは海の向こうに帰るのだからそちらに流してやるのだ‥なんて 感じだと納得しやすいですよね。 (すでに他ページでも紹介しましたが、 「精霊流し」などは「お盆」行事が本格化したのが 中国の南朝からだったから‥という説があるのは確かですけど)

 「お盆」の成立については、上記の柳田説、この折口説、ともに 日本古来の魂祭り、それと 外来の盂蘭盆が混ざった結果、現在の「お盆」となった、という感じに述べられているようですけど。 その日にどこからかやってくる死者たち、彼らが海から来るのか、山から来るのかでちょっと 見解に相違があります。どっちが妥当なの?

 ‥いや、それはどうでも良いことですね。だって 「ご先祖は山にいる」と考える人たちもいたし、 「ご先祖は海の彼方にいる」と考える人たちもいた。つまり、おおっぴらに議論されてきた ネタでもないですから、そのへんについての統一的見解は存在しなかった、つまり 人ごとに勝手にそれぞれいろいろ思ってたし、それで全然問題なかった、ということですから。

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[余談]死者は生きている

 んで、余談になりそうですけど。太平洋戦争の「カミカゼ」などでよく言われる 「日本人は死を恐れない。クレイジーだ」と言われる日本人の心性についても、 この「先祖」のありかたから理解することは可能、と柳田1946は考えているようです。曰:

日本人の多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何かその消息に通じている ような気持を、抱いていたということには幾つもの理由が挙げられる。‥(略)‥ ここに四つほどの特に日本的なもの、少なくとも我々の間において、やや 著しく現われているらしいものを列記すると、第一には死してもこの国の中に、霊は留まっ て遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽二界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭だけ でなしに、いずれか一方のみの心ざしによって、招き招かれることがさまで困難でないよう に思っていたこと、第三には生人の今わの時の念願が、死後には必ず達成するものと思って いたことで、これによって子孫のためにいろいろの計画を立てたのみか、さらにふたたび三 たび生まれ代って、同じ事業を続けられるもののごとく、思った者の多かったというのが第 四である。これらの信条はいずれも重大なものだったが、集団宗教でないために文字では伝 わらず、人もまた互いにその一致を確かめる方法がなく、自然にわずかずつの差異も生じが ちであり、従ってまたこれを口にして批判せられることを憚り、なんらの抑圧もないのにだ んだんと力の弱いものとなって来た。しかし今でもまだ多くの人の心の中に、思っているこ とを綜合してみると、それが決して一時一部の人の空想から、始まったものでないことだけ は判るのである。我々が先祖の加護を信じ、その自発の恩沢に身を打ち任せ、特に救われん と欲する悩み苦しみを、表白する必要もないように感じて、祭はただ謝恩と満悦とが心の奥 底から流露するに止まるかのごとく見えるのは、その原因はまったく歴世の知見、すなわち 先祖にその志がありまたその力があり、また外部にもこれを可能ならしめる条件が具わって いるということを、久しい経験によっていつとなく覚えていたからであった。そうしてこの 祭の様式は、今は家々の年中行事と別なものと見られている村々の氏神の御社にも及んで、 著しくわが邦の固有信仰を特色づけているのである。(柳田1946; pp.165--166)
死者と生者の近さ、死者は死してのちも「ご先祖」となって生き続け、決して捨て去られることはない。 仏教的価値観においては「死後は極楽往生、さもなくば堕地獄」という極端な死後世界 [LINK]が 日本では想定されていたぽいですけど。知識ではそう理解していたとしても、日本人はそれを 心底信じていた訳ではなかった。人は死んでもそこにいて、年に何回でも、いつでも、自由に 子孫たちのもとに帰ってくると信じていたし、これが日本の固有の信仰であった。‥

 なんか同じようなこと言ってる人、いましたね。 平田篤胤翁もこんなこと仰せでした[LINK] :

現に観るところの、事実によりて考 ふるに、魂は正しく、此国土に在りて、霊異を現はすなれば、 (子安宣邦校注(1998)『平田篤胤著 霊の真柱』岩波文庫, p.161)
篤胤翁と柳田師の共通点といえばやっぱ「仏教嫌い」。仏教の影響を極力排除しようとすると、 どうしても、そういう結論に達するんでしょうか。‥でもなー。 仏教伝来って、日本文化のかなり初期の頃じゃないですか。 「仏教的要素のない、ごくごく純粋な日本文化」なんてものは虚構にすぎないとも思いますし。 んー、難しい。

 ただ 古代中国では「死後も魂はこの世にある。雲のようにフワフワと漂ってる」と考えていた [LINK] ようですから、仏教伝来以前は日本でもそれと同様「死者の魂はこの世界に、すぐそこに おられる」と 考えていたとしても まったく自然な成り行きだとは思いますけどね。

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