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なんで中国産をニセモノ、「偽経」と呼んでしまうのか。仏教で「お経」と呼ばれるものは(歴史的に 本当かどうかはさておき)基本「仏説」、つまりブッダが説かれたもの、という設定になっています。 そして正式に(?)現実世界に出現したブッダといえば、普通、歴史的人物であるところの ゴータマ・ブッダ、日本だと「お釈迦さま」だけです。そして(歴史的人物としての)お釈迦さまの 活動範囲はインド文化圏のみでしたから、つまり「お経」もインド産以外ありえない、 中国産とか日本産が存在し得る余地なんかない、ということですよね。
さて。この『盂蘭盆経』について、(儒教的価値観でガチガチに固まっている中国社会に仏教を
受け入れてもらえるように) 仏教的世界観へ儒教的雰囲気を導入しようとして
ずいぶん苦労したはずだが、
ずいぶん矛盾した内容を残してしまっている、という指摘もあります。曰:
もしこの経典に書かれているとおり、7月15日のお坊さんへの供養で祖先が救済されてしまうなら
(目連の母は一発で生天してしまいましたが)、これ、
一回だけやれば二回目をやる必要はないじゃん、なんで毎年やるのか。
(←この指摘をはじめて見たとき、つい「確かにそのとおりだ!」とヒザを打ってしまいました^^
)
何度もやるってことは、つまり祖先はお盆が終わったらまたあのイヤな畜生餓鬼地獄界に戻るということか?
というか、仏教世界は輪廻転生が前提なんだから、すでに先祖は別の存在として別世界に生まれ変わっていて、
我々の先祖としての形骸は留めていないはず。となると我々は何に対して供養をするのか? など
(加地伸行(2011)『沈黙の宗教--儒教』ちくま学芸文庫, p.71. ちなみに加地2011は、
日本人の死生観・葬送儀礼・先祖供養(お盆など)の背景について、
我々日本人の大多数はそれは仏教だと漠然と信じているが実はそうじゃない、
どう見ても儒教だよ、と主張しているのですが、その文脈で上のような指摘が出てくるわけです。
『盂蘭盆経』は仏教的世界観から見るとおかしい点が多いけど、儒教的世界観からなら納得できる、と)。
また加地2011の同じページには、日本仏教では「信者たちは教義や論理はひとまず横に置いて、先祖の
魂が畜生界・餓鬼界・地獄界にいるなどとは絶対に思っていない」という指摘があります。
確かにそうですね。日本では亡くなると皆さん「成仏」してしまいますから(^_^;
‥‥
日本では江戸時代、1月16日と7月16日の年2回
「地獄の釜が開く日」[URL]があり、
その時期は祖先がお帰りになってくるので
お迎えする行事を‥という習慣がありました(今のお盆とか小正月行事って、その名残ということですよね)。
「地獄の釜のフタが開くときに先祖が帰ってくる」という流れからは、
江戸時代の人たちは自分たちのご先祖は地獄にいる、という意識を
持っていたようにも思えますが。でもこの「地獄」って、なんか軽いんですよね。
風呂に入ったときについ「極楽極楽」と言ってしまう程度(いや、私はそんなこと言わないですけどね。
為念)の軽さしか感じないのは私だけでしょうか。中世期の
日本人の死後観には「極楽浄土、さもなくば地獄」という二項対立的図式があったと思うんですけど、
近世の頃になってくると「極楽浄土」への切望感が薄れるとともにその価値も薄れてきた、すると
その対立項であった「地獄」もその苛烈さを失い、単純に「死後の世界」的な使われ方になっていった、
そんな感じなんでしょうか。
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