Nos.01-05 名取柴田
最初の一番から四番までは宮城郡ではなく、
名取郡が2、柴田郡が2、という感じです。柴田郡はちょっと遠いですね‥。
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札所(守氏控書) |
札所(異説) |
Link |
01 |
名取郡中田村前田小清水 長谷堂 |
長谷堂(中田六丁目:守家小清水屋敷) |
[1] |
長谷堂や峯より落るたきなみは みたらせ川にかかる白いと /
中田小清水公園前のお堂? ご詠歌の「たきなみ」が「しらゆき」になってるバージョンもある模様。
「長谷堂」なのでたぶん十一面観音、となると
[封内風土記](1772)に出てくる「釈迦観音堂」ですかね。とすると、それは「本郡順礼三十三処。第一番之札所也」と
ありますから、宮城三十三と、名取三十三の、両方の一番札所だった可能性あり、ということですよね。
何かすげー。 |
02 | 柴田郡舟迫村 天神堂 |
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織絹の袖引とむるふなばさま ときてひろめん梅ヶ枝のはし /
柴田郡舟迫村には阿弥陀堂と太子堂はあったようですけど、天神堂は‥ |
03 |
名取郡愛島村笠嶋 塩通寺 |
(とりあえず塩薬師?) |
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笠しまやとうえのやねの鹽通寺 あまの干袖しほなれて見る
(笠島やとうげのかたの塩通寺 あまの干袖しおぬれてみる) /
「松島や雄島の磯にあさりせし あまの袖こそかくは濡れしか」『後拾遺集』恋4-827(源重之)が、
ご詠歌の元ネタなんでしょうか。
「とうげのかた」で「塩」といえば、あのへんだと塩薬師が、どうしても気になるのですが、
どうなんでしょうか。塩水から塩を作ったという伝説は、「あま(漁師)の袖しおぬれ」とも
ピッタリ合いそうな気もしますし‥。ところで、ふと思ったんですけど。塩通寺って、じつは
京都にある「塩通山医王院水薬師寺」[URL]のことだったりしないですかね? 09:慈雲寺を三井寺としてしまうのと同じノリで、
「ここが名取の塩通山だ」としてしまうのは十二分にあり得る話だと思うのですが‥
(‥という推測の裏付けになるかは不明ですが、塩薬師の境内には
「光明真言一千万遍 普門品四句文百万遍 供養」という1734(享保19)年の石碑
[Photo]があります。
「普門品」って
法華経の「かんのんさまの章」[URL]のことですから、塩薬師に関連して
法華信仰・観音信仰があったことが伺えます。‥いや、そんな簡単ではないか。どこかからここに移設された可能性もあるし)
あるいは。安永風土記だと笠島に「圓道寺観音堂」なるものがあると書かれてますが、
そちらですかね。でもこの観音堂は所在がまったく不明です。現存してないのかも。
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04 | 柴田郡川崎村小崎 長橋観世音 |
前川観音堂 |
[1]
[2] |
うつもれてすゑ長橋の渡る瀬に きこえて遠き山かげの滝 /
(柴田郡三十三の)「二十九番札所である前川の千手観音様は、別名
四日川の観音様、又は長橋の観音様と呼ばれています。長橋の観音様は宮城三十三観音の四番札所にも
なっております」(菅井幸弘(2002)『柴田郡三十三観音御詠歌』金港堂出版. p.76.)。
[2] の「お観音さま」は長橋観音のことです。 |
05 |
原町宮城野原 尼寺 |
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[1] |
宮城野も都とおなじ月なれば 萩の花にそ光ますらん |