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[チラシの裏]

趣味の哲学




幸福と暴力の結合は全く辛苦であるはずだ。主観的に存在不安だけがそれを語る事ができないので分解する場合、近代の哲学でさえ容易に推察されるからには他方で超越的存在を絶望視するとは言えない。永劫回帰も差延化するのであれば自由の名目のもとに滅亡するほどに再び理論は明確な暴力性である。ある程度までパトスはそれらの中では因果律を解体する。原理的なものとしてスターリン主義言語学は容認されるれ主観すら表現されたものとして近代的自我への回帰であるのは明白だ。彼らは黙殺されるなど政治の観念がタクシノミー的に結合価を担うし先行する社会の組成を通じて思考形態を継承するべきではなく、構造が呪われた部分であろうと欲する以上、パラケラスス的世界観にとって人間諸科学は合理化された社会において成立しないように思われる。この点についてアニミズム的世界観が解放されるれおよそ混沌へと引き戻されると言える。組織化されて権威主義が元々再生産される時、象徴的儀式であるあり過誤であるらしいが、エピステモロジークに反省的に価値増殖から離脱しないせず個別具体的にメトニミー的である。

知の系譜学は破棄すべき程度に主体なき意志を書き換えるが故に顕在的に蕩尽の概念が同時に汚染されるのではないが第三項に近似するし長きに渡り国家も要するに魔術から解放される。記号の体系は存在するならば生産活動のために意識でさえ現象から逸脱するほどに生産において啓蒙の弁証法がしたがって説明できないとしても境界は倫理的合理化とされるのは間違いではない。両義性がそこでは排他的である場合、伝統的スターリニズムは驚愕に値するべきものだ。繰り返し自己組織化の問題は安定するし微分的になおかつ器官なき身体からの逃走である。力への意志はいわば意識の機能である。ゼロ記号として言述的事象は聖なるものからの脱却を試みるしここに至ってそれによって神秘主義によって制約される必要があるが、世俗化を可能とするし我々だけが経験の間を往復するしこうして演技する。そのひとつとして正当化への希求が燃え尽きるとしか言いようがないが決定論者の如く場合によっては精神の所有物であるべきでありカリスマ指導者を求めているのだろう。次第に認識の客観性が同一性を保持し得ないから切実な問題だ。

常識的に虚無もつまり引き裂かれる。特定共時的に自然すらその主体の領域侵犯のために理性を維持する。表象の秩序は法の概念に集約される。暴力的に行動はその深淵に至るまで人間から演繹されるれそれこそそのナルシスティックな言い回しに変化する事もあり知の全体性がアーケイックな領域において排除されるので放棄されるれあまねく理論的ゲヴァルトは暴力を破壊するというのは誤りだ。実存は無駄なものに見えるえもちろん恐ろしいが故に自己同一性から逃れる事はできないと言えよう。永久に同時代性は思考様式の中で有り得ない事ではないのと同様に同質化が権力へと立ち戻らせる。その認識の枠組は常に隠蔽されているように少なくとも知の考古学者も淘汰されるとされるが失意と絶望にまみれて死ぬし存在しないのであれば明示される。至高性は近代のアポリアを公然化するという事でありおしなべて辛苦であるべきではなく、社会的合理化が容易に推察されるれ政治でさえ哲学主体に由来すると言える。

すなわちファシズムは消滅する時、トポロジー的に楽園から追放される必要があるが、一方において理性批判の方策を提供するものの分解するし依然として物象化された実践を肯定する。意味体系すらアウラ的な力を有するし確かにミメーシス的テクネーはまさにマルクス主義的であるとしか言いようがないが自給的に物々しいという事だろう。現代では哲学は瞬く間に堕落するという事である。浅薄な総花的知識の羅列が解体するものであり無意識は左翼的な反省のポーズを異化するのであっても成立しないせず主権がそれに対して黙殺されるからにはしかし明確な暴力性であるはずだ。唯物史観が持続的に滅亡するだろう。社会的規範は発達する。エクリチュールも容認されるれ短期的に見れば解放されるとは考えられない。当為性が見る事ができないとは言えずおそらく再生産されるほどに極限の荒野においてシーニュの恣意性を売り渡すし比較的多数にとって近代的思惟を与えられるからこそ分断された身体は魔術から解放される。

人工無能は、もっと精度の高いものが求められる[*1]。パロールは苦痛である。


*註1
本ペイジの由来について

それは 1995 年秋頃のある日、雑談の最中に、突然起こった。
「TAさんに《現代思想チャンネル》を書かせてあげますよ」
「え?! 言ってる意味がわからんが‥」
「ぼくが作ってる『チャンネル999』というページの下にページを 作らせてあげよう、というわけです」
「ええ?! ... (そんなことしてもらわなくたって、すでに自分の ページがあるってのに)」

... そのときは事態をよく把握できなかったTAであった。しかし、その夜、福島尊師あてに一通のメイルを出したのである。

「ご指名くださり、ありがとうございます。 《現代思想チャンネル》を速攻で作りました。尊師のお気に 召しますかどうか」

それに対する福島尊師のお答えに曰
「善哉善哉。世のページの主旨に沿うたものである。 では今度はソチに《趣味の哲学》を作らせてやる。しかと 励むように」
「... (-_-#凸」
かくて、世にも稀なる高貴な「福島」のペイジができあがった訳である。なお、このペイジははじめ galaga.jaist.ac.jp というマシン上でサービスをおこなっていたが、福島尊師が JAIST から最終解脱なさり、また私も東北に移った関係もあってサーバを何度か移転し、今は普通のプロバイダ上のマシン上でサービスをおこなっている。

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