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[チラシの裏]

趣味の哲学




主観的にその無力化はある程度まで驚愕に値するならばトポロジー的に恐ろしいしくそれに対して繰り返し明確な暴力性である。差異でさえ他方で引き裂かれるに違いない。ベンヤミン的政治意識がまず差延化するので安定すると言える。ここに至ってエクリチュールは結合価を担うのではなく思考様式の中で分解するから切実な問題だ。メタラングは解放されると言えよう。左翼的な反省のポーズがいずれにせよ容易に推察されるほどに特定共時的に辛苦であるという事であり神秘化される場合も有り得る。目を背けたくなるほどに器官なき身体が過誤であるありファシズムが魔術から解放されるものであり近代のアポリアは近代的自我を脱構築する。少なくとも超越的存在は自給的に精神の所有物である事もありスターリン主義言語学はおよそ消滅するものとされる。

これらが長きに渡り権力から逃れる事はできないように全く第三項でさえ次第に淘汰される。正義を宣言し執行する暴力すら有り得ない事ではないものとされるが同時にメトニミー的であるかの如くそのナルシスティックな言い回しだけがそれらの中では知の産出であろうと欲するし支配的な社会階層において消費の形式に還元されるとしてもおしなべて政治の観念の基礎となるという事である。意味体系は象徴的儀式であるあり真に滅亡するが故にこれらの実践を通して汚染される場合、間断なく意識も楽園から追放されるようだ。もちろん同質化は知の系譜学を黙殺しているておりつまり自動的に明示されるのであれば微分的に禁忌が演技するが、それを語る事ができないならば失意と絶望にまみれて死ぬものであろう。元々アニミズム的世界観はアーケイックな領域において単純化された事象を公然化するし短期的に見れば国家が不可能性を異化するべきではない。組織化されて伝統的スターリニズムは依然として彼らを維持するとされるがしたがって予断を許さないものであるだろう。人間中心主義はアウラ的な力を有する。主体なき意志は原理的なものとして理性を対象とするのと同様に物象化された実践は生産において説明できないのではないが再生産されるれ儀礼化された行動は一方においてカリスマ指導者を求めているらしいが、個別具体的に人間と結合するものである。

記号の体系すら持続的に放棄されるとは言えず現象だけがすなわち見る事ができないとしか言いようがない。認識の表層で科学技術がリジッドなハイアラーキーの中で理性批判の方策を提供するからこそ破棄すべき程度にパラドクスであるなど自壊する。永久に本質的なるものが排除されるとしか言いようがないがモードがそれを撹乱するとされる。先行する社会の組成を通じて両義性が戦争機械を定立する以上、パトスはその深淵に至るまで倫理的合理化とされる。人間諸科学は存在しないせず当為性の内部に浸透するのではなくそこではパロールに近似する。自己同一性は現在のところ世俗化を可能とする。それら相互の関係において虚無は文の機能と名付けられるほどに同一性を保持し得ないしこうして空想的社会主義は決定論者の如く排他的であるという事であり換言すれば言述的事象を加速するしエピステモロジークに社会的合理化を売り渡す。革命家がゼロ記号として驚愕に値するのであり成立しないのであれば行動が堕落する事もあり没意味的な文献実証主義に陥る時、要するに分断された身体すら黙殺される。

再び形而上学批判が解体するが故に価値の体系も哲学主体の形態をとるとは考えられない。暴力的に近代的思惟が場合によっては混沌へと引き戻されるれ永劫回帰を与えられるからにはマルクス主義的であるという事である。権威主義がタクシノミー的に安定する事だから常識的に衝動を特徴づけると言えよう。呪われた部分は容易に推察されるとは言えず知の考古学者は容認されるれこの点について意識の機能であるとは言えない。なおかつ間主観性の問題は存在するべきでありその主体の領域侵犯のために規範意識は過誤であるあり顕在的に象徴的価値に服従するようになる必要があるが、現実すらこの係争のプロセスを継承するのは当然である。領域侵犯が近代の哲学から演繹されるべきではなく、いかにもディオニュソス的な祝祭の中で神秘化されるべきではない。唯物史観だけがあまねく主体そのものを脱構築するし比較的多数にとって圧殺される場合も有り得る。啓蒙の弁証法でさえ精神の所有物であるものの即座に主観と仮定できるという事だろう。

人工無能は、もっと精度の高いものが求められる[*1]。パロールは苦痛である。


*註1
本ペイジの由来について

それは 1995 年秋頃のある日、雑談の最中に、突然起こった。
「TAさんに《現代思想チャンネル》を書かせてあげますよ」
「え?! 言ってる意味がわからんが‥」
「ぼくが作ってる『チャンネル999』というページの下にページを 作らせてあげよう、というわけです」
「ええ?! ... (そんなことしてもらわなくたって、すでに自分の ページがあるってのに)」

... そのときは事態をよく把握できなかったTAであった。しかし、その夜、福島尊師あてに一通のメイルを出したのである。

「ご指名くださり、ありがとうございます。 《現代思想チャンネル》を速攻で作りました。尊師のお気に 召しますかどうか」

それに対する福島尊師のお答えに曰
「善哉善哉。世のページの主旨に沿うたものである。 では今度はソチに《趣味の哲学》を作らせてやる。しかと 励むように」
「... (-_-#凸」
かくて、世にも稀なる高貴な「福島」のペイジができあがった訳である。なお、このペイジははじめ galaga.jaist.ac.jp というマシン上でサービスをおこなっていたが、福島尊師が JAIST から最終解脱なさり、また私も東北に移った関係もあってサーバを何度か移転し、今は普通のプロバイダ上のマシン上でサービスをおこなっている。

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