[前] かんのんさまは南(南方補陀落)に |
『華厳経』による限り、『ふだらく』はインドから見て 南の南の南の南の南の南の南の南の南の南の‥という位置付けになっている訳で、つまり、 あまりに距離がありすぎて 同じ世界にあるとは言えない「極楽浄土」とは違って、 この世界の中にある場所として理解できそうです。
実際、望月仏教大辞典にも 「是れ補陀落浄土の本説にして、其の住処は即ち此の娑婆世界に在りとなすの説なり」(p.802a) とあり、この華厳経の記述を信じるかぎり、補陀落浄土は 我々がいるのと同じ娑婆世界にあるとしか言いようがないみたいです。
[Table of Contents]「大正蔵」に三つある『大方廣佛華嚴經』のうち、最古の翻訳とされる[T278]を除く [T279][T293]の二つでは、上記のように「お若いの。『ふだらく』にある 『かんのんさま』のところに行くがよいぞ」という次の善知識(観音様)の紹介が おこなわれた直後、「ふだらく」の所在についての以下のような韻文が 語られています:
‥この部分、時代の古い[T278]でたまたま欠落してしまったのか、 時代の新しい[T279][T293]で追加されたのか、どちらかというのは正直よくわかりません。 (サンスクリットだとどうなのかな? と思いましたが、残念。 和訳も原文も当該部分が手元にない。しまった。)
‥‥私の見落としがなければ、「ふだらく」と海との関係を示す記述というのは、まさにこの
後代における挿入じゃないかと疑いたくなるような韻文の部分だけです。ですので、
この両者の結びつきはそんなに古いものではないんじゃないか、でも
『華厳経』の一部テキストに入り込むくらいだから、そんな後になってからの
ものでもないだろう、と思ったりします。
(我ながら、何の情報もないことをこんなよく堂々と書くよね>自分^^;
)
南の南の南の南の‥南なのはいいですけど、じゃあ、どの程度離れた南なのか。 ‥これについては、「三蔵法師」の中でも最も有名なあの玄奘が著した 『大唐西域記』(大正No.2087;[SAT])が参考になりそうです。玄奘は、補陀洛(布呾洛迦)山の位置について、 「秣剌耶山の東」と述べています[*]。またその「秣剌耶山」について 「國南濱海」にある、と書いてあります。「国の南の浜海」‥たぶん、南インド地域、 つまりインドの中にある、どっかの海岸沿いですよね。そして「菩薩にお目にかかりたい人が、 身命を顧みずに登山してくる」(0932a17)とあることから、 その山の麓までは その気になれば到達することは可能ということですよね。 あまりにも遠すぎて常人には「往生」以外の尋常な手段ではたどり着くことは不可能な 西方極楽浄土とは異なり、 「ふだらく」はこの地上にあり 行こうと思えば行くことは可能な場所にある、と。 そしてそれは「南インド地方の、どっかの海岸沿い」ではないか、と。 玄奘は、というか玄奘がインドに行った時期のインドの人たちはそう考えていたようです。
[Table of Contents]「ふだらく」の位置を感じさせる出典を自力で探すのは無理ですので、ここでは チベット語辞書におけるpotalaの説明を紹介したいと思います。 チベット語では"po ta la"という訳語を使うようですが、 この語についてChandra Das(1902)は以下のような説明をしています:
「インド洋のどこか(somewhere in the Indian ocean)にある港にある丘」 ‥んー、玄奘の記述はインド亜大陸内のどこか という感じが(私には)してたんですけど、 インド亜大陸から見た海の向こう側 という可能性も出てきているわけですよね。
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