[かんのんさま::メモ]

かんのんさまは南に西に

[梵文法華経/24:かんのんさまの章] に関する「めも」です。

[前] 「ふだらく」はこの世界に

補陀洛はインド南方の海上にあり

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観音様と海のつながり

補陀洛の位置について。「華厳経」の一部には「海上」とあり、 「大海原に囲まれて、ポツンと存在している」という感じの イメージで描写されています。また『大唐西域記』では 「南インド地方の、どっかの海岸沿い」となっています。 このように「補陀洛」は海との関連で描かれることが多いのですが。 それは何故なんでしょうか。

 観音様と海との繋がりについては、法華経の 「かんのんさまの章(大雑把訳)」[*]に ある以下の記述:

財宝を求めて船出した者たちの船が暴風でラークシャスの島に流されたとしても、一行の誰か一人が観世音菩薩の名前を呼べば、皆その島から脱出できる。とまあ、そんなこんなで、観世音菩薩は『観世音』と呼ばれるのだ。‥(略)‥世界中が武器を持った暴漢・悪人だらけになったとして、その中を、商人の一行が莫大な財宝を持って進むとする。彼らは、武器を持つ暴漢どもを見て恐れおののき、自分には何も頼るものがないと思うかもしれない。そのとき一行の主が『恐れるな! 声をそろえて観世音菩薩のお名前を唱えれば、この恐怖から開放されるぞ』と言って、皆に観世音の名前を叫ばせるとする。『南無南無、恐怖を取り除いてくださる、かの観世音菩薩様に』と。すると一行は恐怖から開放される。これが観世音菩薩の威力なのだ
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これが商人たち、また船乗りたちの強い信仰を呼び寄せ、それゆえ「かんのんさま」と、 その住処である「ふだらく」は自然と波や海と関連づけられた、と考えられているようです。  また、中国における観音信仰のパイオニア(?)的な一人となった法顕(4c〜5c)[*1]が、 インド旅行の際に何度か大嵐に遭遇、そのたび観音様をひたすら念じ続けたら助かった‥的な エピソードがあって(鎌田1997.p.93)、それも「かんのんさま」と海を関係付ける要因の 一つになったのかもしれませんね。 (ただし、これは中国日本限定な話になるんですけどね。)

 さらに、中国でのそのあたりの状況はわからないのですが。日本の場合は、 中国にある「普陀山」がそのまま「南方補陀洛」のイメージの原形になっているようにも 思われます。ここで「中国でのそのあたりの状況はわからない」と書いたのですが、 「普陀山」は古い時期から寺院等があったことは確かなようですが、時代の変化とともに 徐々に「かんのんさま」との結びつきを強めていき、唐代から宋代になって 大規模な仏教聖地化したらしい(鎌田1997.p.170)のですが、この「徐々に」といった あたりのことがちょっと見えないですので‥。

(書きかけ)


*註1
このページの内容とは直接関係ありませんが。 『法顕伝』における「外道」についてのページ[*]があります。興味がおありの方はどうぞ。
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そして日本

そんなこんなで。日本では「ふだらく」はどこにあると考えられていたか。 ここでは12c後半〜13c初の人、 解脱上人貞慶(1201)の『觀音講式』における補陀洛の記述(の大雑把訳)を見てみます:

(観音様が仰せの)「我が浄土」とは、遠くは西方極楽、 近くは補陀洛山。その山は、ここから西南の方角、 大海の中にある。(『觀音講式』[067]-125, [065]-105)
ここでは「大海之中」と書いています。しかし同じ 貞慶は『値遇観音講式』(1209)([*])で以下のように書いています(大雑把訳):
南インドに近い秣羅矩吒という国の南浜海にある秣剌耶山、 その東に補陀洛迦山あり。我国からすると西南の方向か。 煙波のはるか彼方ではあるが、帆に風を受けての通行可能。([070]-39)
これは『大唐西域記』の記述そのままで、「海上」という感じにはなっていないのですが。 でもそれよりも何よりも「帆に風を受けての通行可能」という部分が目につきますね。 あ、行けるんじゃん‥。ということで、 日本では「補陀洛に行こう!」という「補陀洛渡海」の習俗が生まれ、 育ってくるわけです。[こちら]

 川村2000に「海の彼方にも、他界が海上他界として構想されていたことは 先に指摘しておいたが、それはどことも知れぬ島、あるいは向こう岸の彼方に浮かんだ島で あったろう。いわば"海上の山"が、それだったといえよう」 (川村邦光(2000)『地獄めぐり』筑摩書房(ちくま新書246). p.71.) とあり、 その参考資料として小松和彦(1978)「海上他界の思想」『神々の精神史』が紹介されていますが、 小松1978は未見ですので、ここで言及される「海上他界」がこの補陀落山とどう関係しているのか、 あるいは関係してないのか、そのあたりのことは不明です。

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