[仏説地蔵菩薩発心因縁十王経 (発心因縁十王経、地蔵十王経)]

地蔵十王経について

成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述
『仏説地蔵菩薩発心因縁十王経』(12世紀?)
(発心因縁十王経、地蔵十王経)

に関する「めも」です。


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[朝鮮]済州島の巫覡と十王

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「十王迎え」の儀式

ネット上でたまたま見つけました。

 韓国のほぼ南端、済州島の巫俗において「十王迎え」という儀式(?)が あるみたいです。 [ アジア基層文化研究会, 『神クッ-カミと人のドラマ』 ] というサイトで紹介されていた話なんですけど、その情報をもとに ここで簡単に紹介したいと思います。

 まず「神クッ」なる儀式、これが2週間にわたって行われる儀式のようで、その核心となる 行事が「堂主迎え」という儀式のようなんですけど。その核心行事の前に行われるのが 「十王迎え」の儀式で、だいたい3日半くらいかけて行われるみたいです。 私が見つけた事例では全体行事が 10/13〜10/26 の14日間、そのうち「十王迎え」が 10/19〜10/22 の4日間で、 祭りの中盤から後半にかけて‥

10/19(1日目) チョガムジェ(招神祭)、死霊慰撫
10/20(2日目) 差使霊迎え、道ごしらえ(1)
10/21(3日目) 道ごしらえ(2)、道ごしらえ(3)、道ごしらえ(4)
10/22(4日目) 厄払い、コンシップリ(巫祖霊もてなし) (午前中。午後からは「堂主迎え」に)
だいたいこんな感じで行われたようです。

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差使カンニム

‥ん? 「十王迎え」といいながら、その式次第のどこに十王が出てきてるの?? と 思ってしまいますよね。これについてはこんな説明が書かれてました:

十王迎え
現在でもよくおこなわれる祖霊迎えの儀礼。イエに病む者がいるとき,また死者をくようするときにやる。十王はあの世の管掌者。使者であるカンニム差使をしてこの世の者の命,その霊魂を管理する。この祭儀では,チョガムジェ,道ごしらえ ,差使本縁譚,厄よけ,ナッカドジョンチム,三千軍兵 ジルチム(雑鬼雑神迎え)などが含まれる。なお,十王迎えとはいうが,実際は差使が活躍し,十王そのものは祭場によばれない。
[ 神クッ-カミと人のドラマ :: 8.主要語彙 ]
「実際は差使が活躍し、十王そのものは祭場によばれない」とあります。なるほど、 十王の存在感が全くないのも道理ですね。 ここで十王のかわりに出てくる「差使」についても以下:
差使本縁譚
カンニム(姜林)はもとこの世の役人であった。ときに,皇帝の三人の子が旅に出て,これがあるイエで殺される。そしてこの皇帝の子を殺したイエではやはり三人の息子がいて,科挙に合格する。しかし,皇帝の子の祟りであろう,三人の息子は戻ってきたとき,そろって死んでいた。嘆いた母親が息子たちの弔いを役人に訴える。そこでカンニムがあの世の閻魔大王を捕らえにいくことになった。かれは死を賭して,これをやってのける。そこで,カンニムは逆にその勇敢さを閻魔大王にほめられてあの世の使者となったという。
[ 神クッ-カミと人のドラマ :: 8.主要語彙 ]
こんな感じに説明されています。つまりカンニム(姜林)という名の役人がいたが、 その人が閻魔王に気に入られて閻魔王の使者(差使)になったという伝承があり、それが ベースになってるんですね。 それでカンニム=閻魔大王の使者(差使)=十王の代理、そんな感じに解釈されていて、 その霊をお迎えするのが「十王迎え」と呼ばれる行事のようです。

 では、ここで何故「十王」(の差使)が迎えられるのでしょうか。これについては、 「十王迎え」のときに4回も行われる「道ごしらえ」の項目に以下:

道ごしらえ
「〇〇迎え」とよばれるクッでは神霊を祭場に迎える前に障りの多い道を均すことがおこなわれる。十王迎えのばあいはさらに,霊を極楽へ送るのだが,この前提としても演じられる。道ごしらえは直接には,石や凸凹の多い道を均す仕種をすることで表現されるが,一方では,これを含む前後の,本縁譚語りなどの儀礼をも総称して「道ごしらえ」とよぶ。これは迎え儀礼の核心部分で,この直後にカミは祭場に来臨する。ジルチギともいう。
[ 神クッ-カミと人のドラマ :: 8.主要語彙 ]
このようにあり、「道ごしらえ」はカミを呼ぶためにその道を均す儀式つまり 確実に差使に来てもらうための準備を入念にするため4回も「道ごしらえ」を行っている ということなんでしょうか。そして 十王迎えの目的が「霊を極楽へ送る」ことと説明されています。 また上記「十王迎え」の説明のところで以下: 「現在でもよくおこなわれる祖霊迎えの儀礼。イエに病む者がいるとき,また死者をくようするときにやる」このようにも書かれていましたので、つまり詳細不明ながらとにかく
「カンニム差使を通じて、死んじゃった人について、閻魔様(を含む十王様)にお願い!」
という感じの儀式だろうと思われます。

 でもこれって、イザベラバードが紹介している 19世紀末頃の朝鮮における「強力な鬼神(powerful daemon)」 (関連情報:: [ [memo] 朝鮮韓国に関する雑多なメモ(宗教系) ] ) と 関係あるんですかね? 済州島限定なのか、朝鮮の広い地域の風習なのか。んー、どうなのかな。

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十王経との関係は

個人的な感想ですけど。 死者供養の儀式で、(かわりに差使が呼ばれているため、実際には呼ばれないものの名義的には) 「十王」が呼ばれている点はちょっと興味深いですね。日本では死者供養の文脈で「十王」という 発想はあまりない気がするんですよね(「閻魔様にお願い」なら、ありそうな気もしますけど、 でも「お地蔵様」にくらべると少数派じゃないかと‥)。 あったとしても、十王はあくまで「裁く」存在であり、死者救済のお願いをする対象は 地蔵様とか観音様とか「十三仏」とかの神仏になる気がします。つまり、 日本よりも朝鮮などのほうが「十王」は浸透していたのかな? と思わないこともありません。


 ただ朝鮮といっても、本ページで紹介している「十王迎え」などの行事が行われている 済州島は朝鮮の南端の島ですからね。済州島がいくら 「朝鮮時代には江華島と並ぶ流刑地の一つでもあり、主に政争で負けた王族や両班が流刑にされている。」 [ Wikipedia:: 済州島 ] としても、 済州島の巫俗の一例を朝鮮全体のものとして一般化するのは無茶がありすぎなのは確かです^^; 朝鮮本土の用例としては、たまたま見つけたのが金仁謙『日東壮遊歌』(1763--1764)で、 朝鮮から対馬まで向かう船が嵐に巻き込まれて船が転覆しそうだ! というとき(1763/11/13)の記録:

閻魔王国の十王殿とは  板子一枚を隔てるのみ
生死の狭間の彷徨に  泣き叫ぶ声も聞こえるが
幸いにも巳の刻[午前十時]に  壱岐島風本浦[勝本]に
錨を下ろし船をつける  これで死なずに済んだのだ (高島淑郎訳(1999)『日東壮遊歌--ハングルでつづる朝鮮通信使の記録』平凡社東洋文庫662, p.172.)
「死にそうだ」の文学的表現として「閻魔王国の十王殿に近づいた」という言い方がある ことはわかりましたけど。んー、だから何? の域を出ない用例ですね。 閑話休題。

 この、十王や閻魔王(の差使)をお呼びしてお願いする‥という考え方は、 預修十王経のこのへん:

そのとき二十八重の獄主たち全員、そして閻羅天子、六道冥官らが 仏を礼拝して願をかけます。「比丘比丘尼優婆塞優婆夷らの仏弟子で、 この経を作り、一偈でも読誦するものがあれば。我々はその者の 苦をすべて免除し、地獄から天道へと即座に送り出します。 苦しみとは一切無縁でしょう」 [ 仏説預修十王生七経:: 生七斎ノススメ ]
このへんと関係してそうですよね。閻羅天子(閻魔王)が、 十王経を読誦したりする人の苦をすべて免除し、地獄から天道へと即座に送り出す (我當免其一切苦楚。送出地獄。住生天道。不令稽滯。)‥。 閻羅天子(閻魔王)が「私が免除します(我当免)」と力強く宣言してくださってますから、 それだったら閻魔王に死後をお願いしよう‥というのは当然の成り行きぽいですよね。

 それに対し、日本では別の「地蔵十王経」が流布した訳ですけど。こちらも一応、 閻魔様が助けてくださるという話は出てきています。曰:

だが儂にも慈悲がない訳ではございません。 ‥(略)‥ このように十斎に励みながら一年、十戒を保ち十尊を念じ続けるならば。 疫病・五病の鬼使は近づけず、寿命百年、よき百年を得て、 没後は諸仏とともに過ごすでしょう。 [ 仏説地蔵菩薩発心因縁十王経:: 5:閻魔王 ]
さすれば、もしもの時。その者の名が「死簿」に載っていたときでも、 前に行っていた呪文のパワーにより「生書」に書き換えられ、 事故に遭っても死なずに生き延びましょう。大ボラ吹かない者も事故死なし」と。 [ 仏説地蔵菩薩発心因縁十王経:: 5:閻魔王 ]
‥あ。引用して並べてみて気づきました。 これ、どちらも生者を対象とした救済になってますね。「寿命百年になり、没後は」とか 「もしもの時、事故に遭っても死なずに生き延びる」とか。 死んでしまった人の魂の救済の話になってませんね。そちらは閻魔王じゃなくて、 閻魔王の本地とされる地蔵菩薩の担当ということですかね!

 つまり。死者霊を救済してもらう先が、預修十王経が流布した朝鮮では閻魔王になってるし、 地蔵十王経が流布した日本では地蔵菩薩になっている。と、そんな感じに整理できるかも しれないんでしょうか。ちょっと事例が少なすぎて 「そういう可能性があるかもしれないかもね」程度しか言えないですけどね‥

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[memo] 「十王都請」

これもネット上で見つけたんですけど。

[ 金賛會(2014)「韓国の創世神話―済州島の「天地王本解」を中心に―」『Polyglossia 26』 ] の p.62 に「十王迎え」の写真があるんですけど。 その背景、壁に十王の名前を書いた縦長の紙が10枚、並べて貼られているのに目がいきました。 見るとこんな感じで書かれています:

奉請不違本誓第一秦広大王
奉請植本慈心第二初江大王
奉請随意往生第三宋帝大王
奉請秤量業因第四五官大王
奉請當得作佛第五閻羅大王
奉請断分出獄第六変成大王
奉請収録善案第七泰山大王
奉請不錯絲毫第八平等大王
奉請弾指滅火第九都市大王
奉請勧成仏道第十五道転輪大王
なんだこの「不違本誓」などの通り名みたいなやつは? 聞いたことないなー。‥ そう思って検索してみたところ「十王都請」という、 なんか朝鮮語のページばかりヒットします。朝鮮(韓国ではないと思う)独自の発展形態 ですかね。原文といっしょに書かれてる朝鮮語も、その機械翻訳結果も、さっぱりわからないので これ以上の調査は現在のところムリ! (^o^;

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