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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


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お地蔵さま (概説)

 お地蔵様が登場しています。

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お地蔵様・概要(速水1975による)

 お地蔵様の歴史的な位置付けについて、速水侑(1975)『地蔵信仰』塙新書49. を参照しながら 簡単に書いておきます。---

 中国で地蔵信仰が起こったのは7世紀頃。三階教、末法思想との絡み。 六道思想・地獄抜苦との結びつきが浸透するのは10世紀頃。

 日本には地蔵信仰は8世紀頃には流入していた。 10世紀頃、浄土信仰の高まりとともに来世信仰・地獄抜苦のご存在として知られることに。 しかし貴族たちの間では地蔵は阿弥陀仏の添え物的扱いの域を出ず、地蔵信仰は盛り上がらず。

 やがて聖らの活躍により浄土教が庶民に広がると、そこで地蔵信仰に火がつく。この 背景には「地獄必定」の意識、人々の地獄への恐怖がかなり強かった点があると思われ、 「地獄に行かないよう」導いてくださる他尊よりも 「地獄に堕ちてしまった人を救済してくれる」とされた地蔵様に関心が集まった結果か。

 民間の地蔵信仰の特色として、阿弥陀信仰との結びつき、また「十輪経」などの 地蔵系経典群よりも「法華経」との結びつきの強い点がある。天台横川浄土教の影響の強さ故か。 11〜13世紀には「六観音」に刺激されて「六地蔵」誕生。

 やがて法然親鸞などの称名念仏系の人たちが登場すると、 阿弥陀信仰だけで良い、地蔵信仰なんて不要という世論の登場。旧仏教側は釈迦弥勒観音地蔵信仰等を 前面に押し出す形で反撃に出る。しかし地蔵菩薩は地獄との関係が強すぎ、 他尊よりも極楽浄土との関連が弱い。それゆえ現世利益的な功徳が表面化する形となり、 身代わり・治病神(旧来の薬師信仰が下火になり、地蔵信仰に取って代わられた)として地蔵様が 扱われるように。 (といいつつ、現世利益との繋がりという点でも、あの「法華経」に現世利益が語られてる 観音様[URL]には及ばないんだよな。 だから「現世利益的な功徳が表面化」といっても、他尊ほどでは ない。そのかわり、結果として、現世利益化が強力だった観音様から 「六道救苦の菩薩様」的役割をほぼ完全に奪うことに。)

 一方では、素朴なレベルでの冥界への恐怖を庶民は持ち続けており、 それと関連した地獄抜苦の地蔵信仰も続いていた。15世紀頃に始まる葬式仏教化の流れの中で地蔵様は 十王信仰・葬送追善に関するニーズの高まりとともに「冥界のキーパーソン」としての存在感。

 また地蔵は子どもと関連付けられることが多い。これは日本に昔からある 霊託とかシャーマニズムとかとの繋がり? と。

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お地蔵様・概要(速水1975以外)

 お地蔵様と子どもとの関係について、真鍋1969は「その源流は平安末期の偽経「延命地蔵経」に 説く十種福の第一女人泰産の教示にあるが、それに賽の河原の思想が拍車をかけたと 見られる」(真鍋広済(1969)『地蔵菩薩の研究』三密堂(第二版;初版は1960).,p.18)と 述べています。

 また、上の概要で書き忘れたのですが、地蔵様は釈迦仏の滅後、つぎの仏である 弥勒仏が出現されるまでの間、 仏のかわりに衆生を救済されるご存在としても位置づけられているようです。 (「令娑婆世界至彌勒出世已來衆生。悉使解脱永離諸苦遇佛授記。」 [SAT] in 地藏菩薩本願經[SAT]; 「二仏の間の迷子を 救はん大悲の恩徳を」 in 地蔵和讃 [URL])

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地蔵様@西院河原

 さて。では何故「西院河原地蔵和讃」にお地蔵様が出てくるのでしょうか。 地獄との関係、子どもとの関係、そして庶民がもつ「おじぞうさま」への親近感(「身代わり」信仰もあるか)。 この3つの要素が混じり合った結果ということなんでしょうね。そしてそこにお地蔵様が出てくることに 違和感を感じる人があまりいない、というのはやはりお地蔵様というのは庶民にとっては 特別な存在、ということなんでしょうかね。

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