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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


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冥途、死出の山

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ヨミ(黄泉)から冥途へ

 ところで。日本の「冥途」のイメージは、仏教の他界感というより 日本古来の「ヨミ(黄泉)」との関連が近そうです。これについて川村2000は 『日本霊異記』(9c)と『今昔物語集』(12c)の対比で説明しています。 『霊異記』上30 (非理奪他物為惡行受惡報示奇事縁) の物語が、『今昔』20-16に採用されて出てきているらしいんですけど、 その両者を比較すると、いろいろわかってくる、と。

 んで。比較について語る前に、この話がどんな話かというのを簡単に紹介しておきます。 『霊異記』上30の概要(かなりバッサリ切ってます)を以下に:

705(慶雲2)年9月15日に急死した膳臣広国が、17日夕方に生き返って語った。---

 自分は「度南の国」にいる亡妻の訴えにより呼ばれた。亡妻は責め苦を受けていた。 自分は無罪と言われ「黄泉国のことをむやみに話すな。もし父に会いたければ南へ行け」とも言われた。 父に会うと、父は生前の悪行によって責め苦を受けていた。父に「わしのため造仏し 写経してくれ」とお願いされた。生前の悪行がどのような死後の報いになるのか。 それを目の当たりにして怖くなって帰ろうとしたが、帰してくれない。 すると子どもの頃に写経した観音経が、子どもの姿で現れて助けてくれ、戻ってこれた --- と。

 広国は黄泉国に行き善悪の報いを見て、それを書いて世間に広めた。 また父のため造仏写経などを行って父の恩に報い、以後 正道をなした。 (『霊異記』上30.;原田高橋訳 pp.56--60 の概要)

この『霊異記』上30の物語は、いくつかの物語集でも引用というか借用されていて、 その中の一つが『今昔物語集』(2-16:豊前国膳広国、行冥途帰来語)ということのようです。

 んでこの『霊異記』と『今昔物語集』の広国の話、基本は同じ話ですから、 どちらにも(上で紹介した概要では省いてしまってますが^^;) 他界への道のりの描写の中に 大河、橋、黄金の宮殿などが登場していて、物語世界の構造はほとんど 変えられていない、ほぼ同じ感じのようなんですけど。 ですけど、よく見ると 細部には細かい違いがあって、たとえば『霊異記』(9c)では

黄泉に至りて、善悪の報を見、顕録して流布す
このように書かれている箇所を、 それより約300年後に成立した『今昔』(12c)は
冥途にして見し所の善悪の報を委しく録して、世に流布せる也
こんな感じに、ちょっと言い換えて書いていたりします。 どこを言い換えたか? それは、『霊異記』では「ヨミ(黄泉)」となっていた単語を「冥途」という、 別の単語に置き換えているのです (川村邦光(2000)『地獄めぐり』筑摩書房(ちくま新書246). pp.72--73.)。

 つまり「死出の山路」「冥途」などの言葉というのは、 たぶん日本に昔からある「ヨミ(黄泉)」のイメージを仏教ぽい言葉で呼んでみた、 という感じなんでしょうか。 つまり「死出の山路」「冥途」は仏教ではなく、仏教の装いをした 日本古来の概念である、と。 そして「ヨミ(黄泉)」が「冥途」という仏教的仮面をつけるようになった後、 平安末期の12世紀頃になると、 今度はその「冥途」に、こちらは仏教とか中国由来の 地蔵様とか十王様とかが待ち受けるようになってくる、 そんな展開なんでしょうか。

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ヨミ(黄泉)は平面空間。日本的

ヨミ(黄泉)から冥途への発展について、川村2000が『霊異記』中7 (智者誹妒變化聖人而現至閻羅闕受地獄苦縁)の物語を取り上げているのを 紹介します。この物語では、死後の道ゆきの最中、その西側に「金の楼閣」、 北側に「阿鼻地獄」があったと語られています。西方の金の楼閣が極楽的世界、 北側に阿鼻地獄という仏教的な死後世界のイメージをそこに見ることができるわけですが。 でもどちらも道の近くに、まるで街の高級マンションと刑務所のように配置されているのが わかると思います。これについて川村2000はこのように分析しています:

上下もしくは天上界/地下界といった垂直空間ではなく、水平的・平面的な空間として 構成されているのである ‥(略)‥ 仏教的な他界観によって覆われることなく、古代的・ 記紀神話的な世界観がまだ息づいていたといえよう (川村2000. pp.34--35)
インド仏教的な世界観では、天界は上、地獄界は下。そのような上下構造になっているのに対し、 こちらは平面的な空間イメージ。そこにインド仏教的な世界観と、 日本古来の世界観の違いを見ています。

 んで、おそらく、この日本古来の「死後の道のり」世界観は、 仏教流入の荒波を乗り切り‥というか、仏教は死後どうやって 地獄などの六道に移動するのか、また、死後どうやって閻魔王などのもとにたどり着くのか、 という点について たぶん明記してない? か何かで、その結果、 日本に昔からある「死後の道のり」的世界観と、 仏教とともに入ってきたインド・中央アジア・中国が混じりあった死後世界観が、 なんとなく あいまいな箇所を残しながらも、そんなに大きな構成的破綻をすることなく、 混じりあうことができて、 それが現在の死後世界観にまで繋がってる、そんな感じなんでしょうか。

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[ふろく] ヨミは地下にあらず説

ヨミ世界は平面的かもしれないとの話ですけど。でもヨミ世界が存在する場所って、 結局、地下なんでしょ? ‥なんて思ってると、実はそうでもないらしいです。 この話、ここでは

笹岡弘隆(2000)「『往生要集』成立以前の冥界」『死後の世界』東洋書林.
この文書にしたがって、ヨミは地下にあらず説を簡単にメモっておきます。 (記紀万葉については まったく詳しくないので、紹介するだけです)

 まず源信『往生要集』(10c)が、我々もよく知る「極楽世界と地獄・六道世界」という 日本仏教的世界観[関連:餓鬼とは(1)六道の一つ]の 出発点になっている、と。 それ以前の日本古来の世界観は所謂「記紀万葉」(8c)に描かれていて、 また「記紀」から「往生要集」に変化していく途中経過は『霊異記』(9c)で 伺うことができる、と。たとえば 『霊異記』における冥界の記述を見ると、そこでは浄土的なイメージと 地獄的なイメージが出ていてそこは『往生要集』的世界観に近いものの、 両者はまだ未分化な状態であること、また 「黄泉の食物は食べるな」など『古事記』と共通する話も出てくることから、 つまり『霊異記』は記紀的死後世界観から要集的世界観への 移行途中にあるとわかる、と(笹岡2000, pp.210--211)。

 ここで笹岡2000は『霊異記』における現世と死後世界のあいだに坂が あることに注目します。『霊異記』には以下:

「はじめに広野を行き、次に急な坂があった。坂の上に登ってみ ると、大きな建物があった」 (下22; 原田高橋訳1967, p.196; [原典このへん。「卒坂」とあり [NDL]]; 原典は 群書類従[NDL] が見やすい)
「行く道に非常に急な坂があった。坂の上に登っ て立ちどまってみると、三つに分かれた大きな道があった」 (下23; 原田高橋訳1967, p.199; [原典このへん。「峻坂」とあり [NDL]])
こんな記述があって、死後世界は「坂の上」にあることがわかります。 そして下22の主人公・蝦夷という名の男はそこで、熱い鉄柱や銅柱を抱かされたりしてますから、 つまりそこは地獄的なことが行われている場所でもあることは確かなようです。 あれ? 地獄的な場所が、この世よりも上のほうにあるの??

 それと『万葉集』における山中他界観。『万葉集』中の挽歌122首のうち山中他界が47例、 天井他界が23例、海上23例、地下7例‥などといった感じで、そもそも記紀万葉時代では 「あの世」が地下にあるなんて発想は非常に少数派だったんでは? と(笹岡2000, p.219)。 また仏教伝来以前の世界観と関係しているかもしれないアイヌの伝承にも「イワ(山)から 霊があの世へ昇天できる」とあること(笹岡2000, p.221)。 それにそもそも古事記において:

イザナミに対しては「千引の石」を 置いて現世と黄泉国の境界を塞いだときのイザナギの居場所は「坂本」つまり坂のふもとである。 よって現世と黄泉国の境界は坂の下方であるから、黄泉国は当然上方に位置することとなる。 (笹岡2000, p.218)
ここまで読むと、なんで今まで皆が日本古来の「ヨミ」が地下世界として 疑いを持たなかったのか不思議になってくるほどですね。ちなみに 神野志隆光さんという方も同様の地下世界説批判をしておられるみたいで、 神野志説は水平世界説であるようです(笹岡2000, p.217)。

 個人的には、あちこちの観光地などでよく見かける 「なんとか地獄」とか「賽の河原」と呼ばれる場所が、意外と山上に多いのは 何でかなー、という疑問はあったんですけど。それが「そもそも日本では『あの世』は 坂の上だったから。その名残が何となく残ってるから」というのであれば、 それで結構スッキリしそうな感じです。

(他方、江戸時代に日本文化の本来の姿を探究していた国学派の巨頭・本居宣長公は 祝詞や万葉五などの記述に基づいてヨミ国を「下方に在国なりけり」と仰せで、 解釈が分かれるところもあるようです。 see: [ 夜見(ヨミ)≠黄泉 ] .)

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