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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


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ネタ元は法華経?

「賽の河原」のネタ元は『妙法蓮華経』ではないか? という声も根強いようです。

 ある本によると、こんな感じに書いてあります:

賽の河原は、小児が死後に赴き、苦を受けるところと信じられる冥途にある河原で、小児がここで石を拾って、父母供養のために塔をつくろうとすると、大鬼がやってきてそれを崩し去り、小児たちを責めさいなむという。これは小児がまだ母体にいるとき、母に多大の苦痛を与えたが、幼少にして死ねばまだその恩に報えぬことになるので、その罪を責められるのだとされるが、そのとき地蔵菩薩があらわれて、小児を救い守ってくれるというのである。この説話は『法華経』の方便品に、
童子戯れに砂を集めて仏塔を造るも、みなすでに仏道を成す
とあるのにもとづき、地蔵菩薩の信仰と結びついて中世以来ひろまったのであるが、それは解脱上人の作と伝えられる『地蔵和讃』、さらにその章を詳述した『賽河原和讃』によってあまねく世に伝わり、人々の感涙をさそうものである。 (岩井宏實(1989)『暮しの中の神さん仏さん』,河出文庫. pp.142-143)
ポイントはこんな感じですかね:
  • 子どもが石を積む情景の元ネタは「法華経」の 02:方便品か
  • 賽河原のエピソードは、解脱上人(貞慶,12-13c)作といわれる「地蔵和讃」、 そして「賽河原和讃」とともに世に広がった
この後者について。「地蔵和讃」は空也上人(10c)作では? という話はよく見かけるんですけど、 解脱上人(12-13c)作という話のほうが、時代が後になっているということもあって、 空也上人説よりも「それっぽい」気がしますね。 ただ私は賽河原ができたのは室町時代、 賽河原和讃ができたのが江戸時代、 という真鍋説が妥当なのかなー、と思ってます。なので 空也上人説、解脱上人説、どっちにしてもたぶんハズレじゃないですかね。

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『妙法蓮華経』の砂あそび

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 ところで前者の「石積みの元ネタは法華経」について。 『妙法蓮華経』の該当箇所はこれですね:

乃至童子戲 聚沙爲佛塔
如是諸人等 皆已成佛道 (妙法蓮華経(大正262, pp.09:8c24; [SAT])(岩波文庫版p.1:114))
[大雑把訳] 「砂あそび 仏塔つくる 子どもたち // その程度でも 「さとり」確実」

対応するサンスクリット文の和訳(岩本訳): 「子どもたちが遊戯の際に、そこここに、小石づくりの塚を作り、仏たちのために 供養塔とするとき、これらの人々は、すべて「さとり」に到達するであろう。(82)」(岩波文庫版p.1:115)。

 ‥典拠とされる『妙法蓮華経』では「砂(沙)を集めて仏塔をつくる」となっている点が、 ちょっと気になります。法華経でいう「砂を集めて」と、 『賽の河原和讃』でいう「河原の石をとり集め」では イメージする情景が かなり違ってきますからね。でもまあ、これはどうでもいい話ですね。 (サンスクリット文のほう、岩本訳では「小石づくりの塚」と書いてありますけど、原文だと "sikatāmayān-vā puna kūṭa"(KN p.50)"sikatā" ですよね。辞書だと "sand" とありますし、 松波訳には「砂の山」(p.1:67)ですので、こちらも「小石」より「砂」のほうが近いのかな‥。 つまり「法華経」は「砂」、「賽の河原和讃」は「河原の石」という違いがあるのは確かみたいです)

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子どもの戯れによる供養

 さて。「法華経」を見ると、ポイントは「子どもの戯れであったとしても、 仏塔を作れば功徳がある」というところですよね。言い換えれば「理由は何でもいい、 とにかく仏塔を作るのが大事」と。ここでは「理由は何でもいい」を強調するための 極端な例として「子どもの戯れ」という比喩を出してきてるんだよなー、という感じです。 その文脈を、こういう形で取り上げて 物語を作り上げてしまったのか。 正直、やりすぎじゃないかという気がしてきますけど‥

 「子どもが戯れに供養」については、私もあまり知識がないのでよくわからないんですけど。 でも、仏教では「ものすごく些細なことであっても、果報は甚大である」という比喩として、 それなりに良く使われるネタなのかもしれません。

阿育王昔 作小兒時。當道戲過迦葉佛行乞食。小兒 歡喜。即以一掬土施佛。佛持還泥經行地。因 此果報作鐵輪王王閻浮提。 (高僧法顯傳(大正2085, pp.51:863c23--863b26; [SAT])(東洋文庫p.113); 元ネタは『阿育王伝』[SAT]か)
[大雑把訳] アショーカ王の前世にて。小児のときに道で遊んでいたら、迦葉仏が乞食されるのに 出くわした。小児は喜び、土をすくって仏に施した。仏はその泥を持ち帰って撒かれた。 この果報により王は現世で鉄輪王・閻浮提の王となったのだ。

 まあ、仏さまへの供養を行うことができない人たち、その人は救済されないのか? という 問題があって、それでたぶん日本では「称名念仏」、つまり「なむあむだぶつ」と唱えさえすれば 救済され得る、なんて話も出てくると思うんですけど。それと同じようなものなんですかね。 「お供えする気持ちこそが重要。気持ちさえあれば、お供え物が土であったとしても、 救済され得る」という感じの。 (‥私はこのへんの話については まったく詳しくないですので、外してるかもしれません)

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戯れの仏塔のチカラ(霊異記)

日本において「仏像・仏塔をつくる行為こそに意味ありそう」という考えが、 いつ頃から出てきたのかはわかりませんけど、さすがに法華経に書かれてあることですから、 かなり早い時期からそういう考え方は日本にもあったんだろうと思います。 これと関連する記述をたまたま見つけましたので、 ここでちょっとメモしておきます。日本の平安時代、 9世紀前半頃の『霊異記』です。用例は以下:

当里小子入山拾薪。其山道側戯遊。木刻 以為仏像。累石為塔。以戯刻仏而居石 寺。時々戯遊。白壁天皇之世。彼愚夫咲 戯刻仏。斧〓破棄之。而去之不遠。挙 身躄地。従口鼻流血。両目抜如夢忽 死。(『霊異記』下29; 群書類従16 (2版;1898) p.112 [NDL] [ 『日本霊異記』しおり ] )
[大雑把訳] この里の幼子が山に入り、薪を拾って道端で遊んでいた。木を彫って仏像を作り、 石を積んで塔を作っていた。その仏像をその石寺に置いて遊んでいた。 白壁天皇(光仁天皇;8世紀)の頃。あるバカ者が、その戯れの仏像を笑い、 斧で壊して捨てた。するとすぐに地面に倒れ、口鼻から流血し、両目も抜かれて 死んでしまった。

 ‥イメージとしては人形をつかった「おままごとあそび」な感じなんでしょうか。 戯れで作った仏像らしきものを、戯れで作った仏塔・寺院らしきものに 安置して遊んでいた子どもがいて、それをみたバカが その戯れに作った仏像らしきものを 壊した途端、バチが当たって死んでしまった、という話です。

 ここでは、子供たちが仏像を戯れに作ったこと、そのこと自体について 良いとも悪いとも書かれていませんけど。でもその戯れに作成した仏像らしきもの、 それを笑って壊して捨てたバカ者が仏罰を受けて即死してしまうあたりからすると 「戯れに作った仏像らしきもの」に相当な重みが置かれている‥‥かというと、 ちょっと微妙かもしれませんね。

 なぜならその後、文脈はこう続くからです: 「諒知。護法非無。」 (大雑把訳: 護法神がいない訳ないと判明した。) ‥んー。「仏を敬わないと、 護法神に制裁されるからな! 気ぃ付けて行動しろよ!!」という教訓話なんですかね。 つまり「悪いことすると、お仕置きされる」ということだけ述べられてて、 その逆、戯れに仏像を作ることが功徳になるかどうかはハッキリしてないように 見えるのが ちょっと気になります。というかこの時期の功徳とか業報とかって、 「仏様による ごほうび」とか「護法神による制裁」とかいう感じ、 親や先生に ほめられる/しかられる、のに似た感じのものとして イメージされてたってことなんでしょうかね。

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