[前] 註 |
施餓鬼の目的は何なのか、よくわからないですけど。本経を見るかぎりでは 先祖供養とか餓鬼抜苦とかではなく(とくに先祖供養に関しては、 [ 仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経 ] では まったく考慮されてないですよね)、その最大の目的は 三日後に亡くなるはずだった阿難がその難を逃れたのと同様、 「寿命が延びるし元気になるしラッキーになる。非人、夜叉、羅刹、諸悪鬼神どもを 寄せ付けない。幸せも寿命も限りない」。
つまり本来の施餓鬼の主目的は「延命祈願」というように 読めてしまうんですけど。それで合ってるんでしょうか??
[Table of Contents]日本では、この「施餓鬼会」と、いわゆる「お盆」[仏説盂蘭盆経]とが 合体してしまいました。この理由として、施餓鬼会は日時の指定がないため、同じ「餓鬼に対する設供-- 抜苦という共通のモチーフ」(藤井正雄(1980)「盂蘭盆と民俗」『講座日本の民俗宗教(2)仏教民俗学』,p.117) を持つものどうし一緒にしやすかった、という事情があるみたいです。
さらに 『餓鬼草紙』(12世紀?)などを見ると、 同一の巻物に 「盂蘭盆経」ベースの記述 と 「救抜焔口餓鬼陀羅尼経」ベースの記述 が 同居していますので、たぶん日本では かなり早い時期、もしくは最初からほぼ合体状態だったのでは? との疑いもあります。
なお、現代で「施餓鬼会」といえば お寺の本堂でやるもの、という感じが普通かもしれません(ウチの菩提寺でもそうでした)が、藤井氏によれば この「本堂でやる」風習は明治以降にできたものでは?とのこと(p.140)。
[Table of Contents]なお、施餓鬼と「お盆」の結びつきは、じつは中国起源であるような気もしています。
地獄変修訂 [ 澤田瑞穂 ] |
どちらにせよ、中国(清代)でも 中元(お盆)の時期にはご先祖様だけではなく、 いわゆる化物みたいな「鬼」、それも大量に この世にやって来ると思われていたことは確かなようです。 なにせその時期を「鬼節」、つまり「亡者たちの時期」と呼んでたくらいですからね。
そんな「鬼」どもに取り憑かれるのがイヤだったり、 それら鬼どもからの干渉を排除して自分らの先祖霊だけをきちんと祭祀(供養)したい、なんて 考えれば、 そりゃ「施餓鬼会」をやろうぜその時期に、 という話になりますよね普通‥‥という気はするんですけど、どうなんですかね。
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