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本経は「成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述」と書かれていますけど。じつは同じ 「成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述」と書かれている、別の「十王経」も存在しているのです。 それが 『仏説閻羅王授記四衆逆修生七往生浄土経』(預修十王生七経)というやつです。
その『預修十王経』は正真正銘の中国産で、主として中国・朝鮮において流布していた。 対して、本ページで紹介する『発心因縁十王経』はたぶん国産で、流布の範囲は日本のみ。 ‥‥そんな感じみたいです。
[Table of Contents]この両者の相違として まず挙げられるのが『預修十王経』では 「是等十王の本地仏のことは未だ教示せられていない」(真鍋1969, p.109)点みたいです。 つまり『地蔵十王経』だと 「二番目は初江王宮、釈迦如来である。」のように、王の名前を述べる際に、 ついでにその王の本地仏も紹介されているんですけど、 『預修十王経』だとその本地仏の紹介部分がないということです。
詳しくは後述しますけど、本地仏の紹介がある「地蔵十王経」は 日本の国産である可能性がきわめて濃厚とされています。 その「地蔵十王経」にだけ それぞれの王の本地仏が紹介されているというのは つまり、「十王のそれぞれについている本地仏」というキャラ設定は 日本オリジナルである可能性はきわめて高そうです。
[Table of Contents]これら二つの十王経の呼び分けについて。真鍋1969は預修(中国)のほうを「十王生七経」、 本ページで「地蔵十王経」と呼んでいるもの(日本)のほうを 「発心因縁十王経」を呼び分けています。
ずいぶん文字数が多い呼び分けだなあ‥と思うのですが、それには理由があるみたいで、 預修(中国)のほうについて
‥そうか。本ページでは、中国のほうを「預修十王経」、国産のほうを「地蔵十王経」と 呼んで区別しているんですけど、あちこちの用例を見ると 中国のほうを「地蔵十王経」と呼んでいる例がある、だからどちらか片方を「地蔵十王経」と 呼ぶと混乱する可能性がある。だから真鍋1969は どちらも「地蔵十王経」とは呼ばずに 「十王生七経」「発心因縁十王経」を使っている、ということですね。
‥うーむ。でもまあここ(註:私がPCに向かってこの文を書いてる場所)は日本だし、
日本では普通「十王経」といえば「発心因縁十王経」のようですから、
「地蔵十王経」は普通「発心因縁十王経」を指すはずで、
それでたぶん混乱ナシですよね?(^_^;
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