[前] 「十王経」には2種あり |
この文献、冒頭に「成都府大聖慈恩寺沙門蔵川述」とあります。成都といえば『三国志』でも お馴染みの中国の都市ですが、そこの大聖慈恩寺の僧侶である蔵川という人が書いた、と 理解できるんですけど。でもそれは嘘だろ、と言われています。
[Table of Contents]では誰がこの『地蔵十王経』を書いたのか?
この点について、いくつか説があるようです。まず
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このどちらについても「厳仏調」という名前が出てきますが、この厳仏調という人は 2世紀、『三国志』でいえばその序盤、何進とか董卓とかが活躍していた頃、ちょうどその頃に 活躍していた人です。どういった人かといえば、「中国人最初の仏教僧」という伝説をもち、 『法鏡経』(大正322)などを 安玄などとともに翻訳した人みたいです。
そんな伝説の人である厳仏調という人が禅定している最中に「真仏」がおりてきて このお経が伝わった。その後は800年埋もれていたが成都の蔵川法師がこれを発見、流布した。 ‥‥基本、そんなストーリーですね。この伝説に従うと、 なんか中国産の偽経のように見えるのですが。
しかしこの伝説はガセで(『預修十王経』の伝承とゴッチャになってしまったんでしょうか)、実際は中国産の偽経ですらなく国産の偽経、つまり Made in Japanだろ? と昔から言われています。 その証拠としてよく言われるのが、使われている単語です。
[Table of Contents]江戸時代、景耀(玄智,18c末)という人が、 たぶん「承所渡前大河」[ここ]のへんだと思うんですけど、そこを指して「渡り瀬を瀬といひ、渡といふは和名なり。漢文にては津なり」 (岩本裕(1979)『仏教説話研究4地獄めぐりの文学』開明書院., p.333)と指摘しています[玄智(景耀)『真宗必携考信録4』; NDL]。
よくわからないんですけど、川を渡る場所とか、渡し船ある場所とか。 それを示す単語として、中国でよく使うのは「津」だろ?! それを書くのに「渡」と言う単語を使うのは日本だけだ。 つまりこの部分は日本語じゃねえか! という指摘です。18世紀末ということなので、 江戸後期の指摘のようです(これ以外にも、いろいろと細々と指摘してます)。
[Table of Contents]そして、誰もがすぐ気付く単語ですけど。 鳥の泣き声の「ホトトギス」。
原文で書くと「別都頓宜壽」。‥どう読むのか? 悩みそうになりますけど、 これは鳥の鳴き声と書かれてますから、文字の意味を考える必要はないはずです。 それぞれの漢字の「読み」を単純に並べていけばOKのはず。 「ベットトンギジュ」? ‥それをちょっと訛らせると出てくるのが「ホトトギス」という言葉。 ‥‥あれ? 日本語??、 これ、日本語の鳥の名前ですよね?! という話になってしまうのです。
これに対し、おもいきり日本語じゃねえか! という指摘。
でも何故ここで唐突に「ホトトギス」が出てくるのか? ‥正直よくわかりませんが、 どうやら日本では昔からホトトギスとヨミの間には特別な結びつきがあると 考えられていたようです。1006年頃成立(?)の拾遺和歌集(巻20)にも以下:
拾遺和歌集にこんな歌があるということはつまり、平安中期の日本では「ホトトギス」と 「ヨミの国」は強く関係した存在と考えられていて、それがこの地蔵十王経にも 反映されている、という感じに考えるしかないですよね。
[Table of Contents]さらにもう一つ。 「預弥国(よみのくに)」 という表現です。
「ヨミ」は日本でもよく「黄泉」と書かれますけど。 じつは中国にも「黄泉(こうせん)」という概念があって、 その「黄泉(こうせん)」という概念が、その他たくさんの文物文化とともに 日本に流入してきたとき、たぶん それ以前から日本にあった、日本独自の「ヨミ」と似てるじゃん、ということで 日本では「黄泉と書いてヨミと読む」的な感じになったんだろうと憶測するんですけど。 (日本古来のヨミと黄泉は別ものであることを明確化するため、平田篤胤公(19c)は ヨミに「夜見」という漢字を当てています。 参考:: [ 黄泉と、日本古来のヨミは別モノ ])
そんな感じですから、この「地蔵十王経」が中国産であっても日本産であっても 「黄泉国」なら何の問題もないんですけど。 それを別の表記、「預弥国」ですからね。「おい、これ『ヨミ』としか 読めないじゃん! つまり『ヨミ』への当て字だよな!! 『ヨミ』ってのは日本独自のものだから、つまりこれを書いたのは日本人しか、 ありえなくないか?!」 と誰もがツッコミたくなってしまうのです。
[Table of Contents]これ以外にも、本経の中では 「六地蔵」について言及されています。
けど。 実は この「六地蔵」というやつも中国などにはなく、国産のキャラとされています[URL]。
‥これらのことから本居宣長(18c末)が「ただ皇国人の作れるものなり」 (真鍋広済(1969)『地蔵菩薩の研究』三密堂書店(初版が1960.参照したのが第二版1969)., p.127) 、つまり国産の文献であると判断したのと同じ結論に、どうしても達するわけです。
[Table of Contents]本経の最初のところで 「魂識が三つ、魄識が七つというもの」 について世尊が説かれてます。なんか難しそうな言葉だけ羅列してて、それが何なのか よくわからない感じなんですけど。これはたぶん中国の道教の流れにある 「三魂七魄」[Wikipedia]に仏教的な色づけをしたものなんだろうと思います。 ただし、本経が中国産でなく国産モノ、すなわちMade in Japanであったとすれば、 本経を作った人たちも、 いまいち訳わかんないまま その教説を本経にブチ込んだ可能性はありそうです。
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