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西院河原地蔵和讃について

「西院河原地蔵和讃」 [URL]
(賽河原、賽の河原、佐比の河原‥とも)
に関するメモ。まだ整理できてないですが‥


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地獄?

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賽の河原は地獄か?

ちょっと気になるといえば、この「子ども用の地獄」とされる賽河原の情景です。 子どもは親に会えなくて泣く、なぜか石を積んで、 それを崩される、それを繰返す‥という展開なんですけど。一般的な「地獄の責め苦」 とは全然違いますよね。責め苦がないですよね[*1]。 すでに紹介済みである、「賽の河原」の初期段階とされる 「富士の人穴草子」[URL]では子どもたちは石塔を崩され、 身を焼かれ、復活させられる‥というまさに地獄的待遇を受けていましたが。 それと比較すると、この和讃の内容はかなりマイルドになってますよね。 いかにも地獄的な「身を焼かれる」がどこかに行ってしまってますよね。 これだと単なる冥界・異界の描写にすぎなくて、地獄と違うのでは? とも思っちゃいそうになりますよね。 いちおう地獄の鬼はいますけど、「ワシを恨むな」と言い訳しながら石を崩すだけ、 完全に腰が引けてる感じ(自分の担当部署じゃないんだけど、上司に「やれ」と言われて シブシブ派遣されてきたものの、やっぱり気乗りがしなくてテキトーに怖々仕事をしてる感じ?)ですし[*2]。 (ただ、異本の中には多少マジメに仕事をしている鬼もいるみたいですので、このあたりの解釈は 難しいところです。) これ、やっぱ初期の河原の記述は 親御さんたちにとってはキツすぎて 評判が悪いので‥などといった経緯でもあるのかもしれませんね。

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賽河原と地獄絵

 ちなみに。日本の地獄絵においては、 第二番目 初江王のところに 賽河原が出てくるようです。この傾向がどのくらい当てはまるかは現状では不明ですが、 あの太宰治の幼児体験に決定的な影響を与えたとされることで有名な 雲祥寺(青森県五所川原市)の 地獄絵の解説には こんな説明がついてます。

巻二 初江王(本地仏 釈迦如来)
この巻には"賽の河原地獄"がある。十歳に満たない子供が河原の石を積んで回向の塔を 作るのが初江王から課された贖罪の仕事で、それを崩して責めるのは地獄の鬼。慈悲の救いの手を さしのべるのが地蔵菩薩。 (雲祥寺 地獄絵の脇にあった「地獄絵略説」(2013))
本地釈迦仏がいるのに、わざわざ第五番閻魔王の本地仏であるはずの地蔵菩薩が 救いに来てるというのが不思議な感じです。これだと釈迦仏が単にイヤな奴にしか見えなくないですか?! ‥まあ、お地蔵様が助けに来てくださってないと、和讃の中身と合わなくなること。 また 『地蔵十王経』の初江王のところ [URL] は ちょうど河になっているため、賽河原のエピソードを突っ込むとしたら その場所が最適と考えられたから。 ‥これらの理由ゆえ、あちこち不自然なのはわかっていても、仕方なくそうなってしまったんでしょうけど。

 ちなみに、中国の地獄絵(地獄変)を見るとどうなっているか。ネットでたまたま見つけた 「因果図鑑--地獄変相図(2)」 [URL] を見た感じでは、賽の河原、ちょっと見つからないですね。 「餓鬼地獄」なるもの [URL] があることはわかりますけど。 他の場所にあるのか、あるいは 描かれていないのか‥。(私の憶測は「描かれてない」ですけど。 なぜなら「賽河原」は日本オリジナルのはずだから。)


*註1
本田1985に以下のようにあります:「「賽の河原」とはなんと奇妙な地獄であることか。‥(略)‥ 何故なら、際限もない石積みとくり返される石塔崩しは、子どもらにとって、それほどの 苦患ではあり得ない。石や砂、あるいは木の切れはしを、積んでは崩し、崩しては積むという くり返しは、幼いものたちが得意とする、彼らの日常の行為ではないか。子どもたちは、嬉々として このくり返しに時を忘れるのだから、地獄の責め苦として選び出された「石積みの苦業」は、 なんのことはない、彼らにとっては、生きてある日と異ならぬ、好きな遊びにいそしむことでしか ないだろう。(p.212)」‥‥やっぱそうですよね! 冥界だから「地獄」のように呼ばれてますけど、 いわゆる「地獄」とはやっぱ全然違ってますよね!
 ただ、別の可能性もあります。真偽は不明なんですけど、世界的に かなりキツい刑罰の一つとして 「穴掘りの刑」とかいうのがあるらしいです。これはどういう刑かというと、要するに、 囚人にただひたすら穴を掘らせる。掘り終わったら、それを埋めさせる。‥という作業のみを 繰り返させるものらしいんですけど。そういう意味のないことを延々と続けさせられると 囚人は精神的に保たなくなる、かなりキツい刑罰らしいんですけど。 「ひたすら石を積まされて、崩される」というのも見方を変えれば この「穴掘り刑」の派生形のようにも見えます。子どもに肉体的な責め苦というのは あまりに酷すぎるから、そのかわり精神的な責め苦を‥‥‥というのは考えすぎですね、たぶん。
*註2
では「地獄」とは基本的にどんな感じなのか? ‥を知りたい人のために。 阿傍さん作「勝手に私訳『寶達問答報応沙門経』」というページ [Click]があります。 このページ、かなり読みやすい文になっていますので、 「地獄って、だいたいどんな感じかな」とちょっと興味を持った方が、その雰囲気を知るには 非常によいページだと思います。興味がおありの方はどうぞ。
 「つか、そもそも『寶達問答報応沙門経』って何だよ?」という方は 「仏名経について」[URL]を どうぞ。
 源信『往生要集』から、いちばんラク(?)な「等活地獄」の触りだけを ちょっと紹介しておくと、こんな感じ:「罪人は、つねに他人を 殺る気満々。他人と顔を合わせたときは、まさに狩人が鹿に遭遇したようなもの。ともに鉄爪を使い 相手に掴み掛かり、切り裂く。すぐに血肉が飛び散りきって、残るのは骨だけ。あるいは獄卒が 鉄杖鉄棒を手にとって頭から足までをくまなく叩き、それで身体が破れ砕けるのはまるで砂塊のよう。 あるいはチョー鋭利な刃で肉をスパスパ切り裂く様子はコックが魚肉を調理するよう。やがて 涼しい風が吹いたとき。あるいは、空中から「おまえら、また前のように活動せよ」と声がしたとき。 あるいは獄卒が鉄叉で地面を打ち「活々」と唱えたとき。 それで復活して元に戻る。するとまた立ち上がって、まだ同じような地獄苦を味わうのだ。 (大雑把訳)」[SAT]
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