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観音様と女性との関係について。
「間引きの罪業感」「死児の供養」「如意輪観音石仏」。‥‥たしかに供養の札打の起源て 何だろう?と考えたとき、まず最初に頭に浮かんだのが、自分より上の人じゃなくて 下の人に対する供養だったんですけど、それはまったくの的外れという訳でも ないのかもしれません。(根拠ないですけど‥) [Table of Contents]
念のため。 私が入手できた情報(といっても、すでに紹介済の「二〇世紀ひみつ基地」のみ、ですが‥)から ほぼ確実に確認できる情報は「1936(昭11)年および1937(昭12)年の6月18日、この 二日は参詣者でごった返した」ということだけです。それ以外の日については 「たぶん、それなりに混雑したはず」という、とくに裏付けのない私個人の勝手な 思い込みをベースに話を進めている点には注意しておきましょう>自分
[Table of Contents]川村邦光(1996)『民俗空間の近代』の pp.148-156 によれば、 日中戦争開戦(1937(昭12)年)とともに以下のものが流行したという:
出征した夫や息子のための弾丸除けや武運長久の祈願、千人針、千人結び、 「千角詣り」、村の鎮守様の出征譚(竜泉寺の地蔵様も出征したらしい‥)(ただし、 秋田県の竜泉寺とは書いてありますけど、秋田市寺町の竜泉寺(久保田33-23)かどうか不明。 それより秋田郡新城にあった(現在は能代市にある)龍泉寺(秋田33-25)かな?)、 また巫女(イタコ)の「死口(しにくち)」あるいは「生口(いきくち)」など。また、静岡市の「竜爪山大権現は、弾丸除け・徴兵除けの祈願で有名な山の神、雨乞いの神、 鉄砲の神、猟師の神で、日清戦争でのお札の発行数は一万三三四八枚、日露戦争では 二万四一三四枚であり、昭和に入り、出征する兵士が増えると、出征兵士の家族の 参拝者が山にあふれ、社前では「玉除けようかん」も売り出されたという(p.150; ただし、この部分の元ネタは 海野福寿(1987)「徴兵忌避と弾よけ祈願」 『図説静岡県の歴史』等らしい)」‥ということらしいですけど、静岡で「出征兵士の 家族の参拝者が山にあふれ」ていたのと、金照寺山に参詣者がごった返していたのは、 たぶん、ほぼ同時期だと思うんですよ。てことは‥ (金照寺山の混雑は1937年6月18日。日中戦争開戦は同年7月7日だそうですので、開戦の 約3週間前ですね。3週間かー。出征はまだしてないかもしれませんね。微妙かな? んー) [Table of Contents]
金照寺山には、果たして、実際のところ、幽霊話と結びつく過去があったのかどうか。 この件について、こんな記述を見かけました:
ちなみに 「大野の撫斬」については [ こちら ] 。
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