The 33 Kannons of Kubota (Akita City) and "Fuda-uchi".
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「二〇世紀ひみつ基地」というブログ [URL]の2007/01/28付記事 「殺された保存樹たち・寺町定点観察」によれば、13番札所の地蔵堂は、16:旧歓喜寺前・17:善長寺前の 丁字路(2010年以降、十字路になろうとしているが‥)のところに1973(昭和48)年まであったらしい。 しかし「昭和四十八年の豪雪で倒壊の危険が生じたため、その年に取り壊されてしまう。 お堂が取り壊されたあと、一緒にあった観音像は二十一番札所の普傳寺に移される」という 経緯をたどった模様。ただ所在地が「寺町」ではなく「下寺町」になっているので、 明治時代は その場所(旧丁字路)ではなく、たぶん別の場所にあったものをそこに移転して きたのだろうと思います。
その前、そもそも13番札所はどこだったのか? ‥んー、江戸時代(1742年)の地図を見ると、 12:誓願寺の北隣に「行福院」という寺があったみたいで、そこかなー、とは思っているんですけど、 ウラが取れない‥。(あるいは11:応供寺と12:誓願寺の間にあった「東光院」か? でも、それだと 12番と13番が順序が逆ですよね‥)
行福院とした場合、その廃寺年代などは不明ですけど、 1901(明治34)年の地図にあって、 1916(大正5)年の地図にないみたいですので、その間かなー。
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1980年代に制定された「秋田三十三観音」の24番札所にもなっています。
その前身である、
江戸時代の「秋田六郡三十三観音」の24番札所 [URL]として良いかどうかは
‥‥何とも言えません(^_^;
正式には24番札所は秋田市寺内にある古四王堂(現在の古四王神社)なんですけど、 久保田三十三の14:大悲寺、15:妙覚寺、18:光明寺 はともに江戸期以前は寺内にあった 古四王堂(四天王寺)の末寺だった(「秋田城土崎湊三ヶ寺」と総称したらしい)と いうことで 古四王堂とは深い関係がありますし、 秋田六郡24のご詠歌も「年ふるや亀甲の山の池に生ふる真菰菖蒲ものりの大悲寺」 となっていて、「24番札所は古四王堂だ」と言いながらもご詠歌に入っているのは 「大悲寺」の文字だったりしますし‥。
なお1月16日の「ふだうち」で14:大悲寺に来ると周囲で「お、何だここご詠歌2つあるけど 両方やるのか?!」という動揺の声が上がっているのを耳にしますが、ここでは 24番のほうはとりあえず無視して14番のご詠歌だけ唱えるのが正解だと思います (ついでに秋田(六郡)のお詣りもしておきたいという人は除きますけど、深夜なので 御朱印をもらうのは無理だろうと思います)。
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