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安藤健二(2004)『封印作品の謎』

著 安藤健二
年 2004
題 封印作品の謎
発行 太田出版



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封印作品の謎 [ 安藤健二 ]
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注意事項

 本ページは 安藤健二(2004)『封印作品の謎』の あらすじでも、感想でも、書評でもありません。 いつか、ひょっとして何かの話題に出すかもしれない時のための 自分用のメモ・備忘録的なものであり、それゆえ、元の書籍の 文脈を大きく外れたことを書いていたりしますので、誤解なきようお願いします。 (え? そんなものオープンにするなって? ‥いやー。すみません。オープンにしておかないと、 自分で書いたメモの存在さえ忘れてしまうもので。健忘症か?^^;)


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1.闇に消えた怪獣

『ウルトラセブン』の第12回「遊星より愛をこめて」(1967)。 ウルトラセブンに封印された回があることは知ってましたけど、 具体的にどの回か とか、どんな内容だったのかというのは知りませんでした。 問題としては、放送そのものにクレームが付いたのではなくて、 『小学二年生』のふろく「かいじゅうけっせんカード」にあった 「ひばくせい人」にクレームが付いた、というもの(p.20)。 本書のp.20などに引用されている当時のクレームに関連した文書には 「ひばく(被爆)怪獣」と書かれていて、星人じゃなくて怪獣になのがちょっと気になりますけど。 とにかく民生用ビデオもまだ普及してない時代、抗議した人たちも当該作品を 見ることができないまま、カードに関するクレームが放送そのものにも飛び火し(p.52,24)、 結果 円谷プロは「今後一切、スペル星人に関する資料の提供を差し控える」と約束 させられ(p.23)、そのまま現在まで至っている、と。

 さて。問題となっている第12回。 ポイントはストーリーではなく「ひばく星人」ことスペル星人の造形ですよね。 スペル星人についてはGoogleなどで検索すればいくらでも出てくるんですけど。 私個人の印象を言わせていただくと、あれは‥‥人によって 感じ方はいろいろあると思うんですけど。私としてはアウトかなー。 禁止するほどか? というと微妙ですけど、相当に悪趣味だなとは感じます。 だって白血病的というのは放射線被曝ということだから、 被曝だったらケロイド関係なくね? さらにケロイド=被爆、というのも違いますよね。 なんか猟奇的で、客がそれを見て 「うわ」とイヤな表情をするのをニヤニヤ見てる的な、そういう 意地の悪さを なんとなく感じてしまうんですよね。 そういうののダシに こういうのを使うのは禁じ手だろ、という感じ。 このへんについては、たぶん「怪獣」というものをどう考えるかというのが 重大な影響を与えるはずで、 たとえば実相寺監督は「怪獣なんか気持ち悪くてご飯が食べたくなくなるようなものを 目指した」(p.32)、デザイナーの成田氏は「怪獣はお化けではない」(p.28)、 大伴氏「怪獣はあくまで怪獣、人類に敵対する存在。でっかくて、凶暴で醜悪で、 モンスターですよ」(p.40)、円谷一「子供達に夢を与える存在だから、 グロテスクな部分を見せちゃいけない」的な(p.39)。

 あとこの問題で気になるのは円谷プロの対応ですね。 まあ子ども向けの人気商売で、子どもだけじゃなく、良心的なお父さんお母さんたちに 嫌われてしまうと どうしようもない業界にいる訳ですから、 とにかくクレームが出たらすぐに引っ込めるというのは仕方ない部分もあるんですけど。 でも、あからさまに「クサいものにはフタ。完全になかったものにします。いや、 なかったです、そんなの」的対応というのは、被爆者系の団体の人の声にもあるように 「自分たちが作って誇りがあるんだったら、誇りある対応をすればいいのに、自分たちで 貶めちゃった」(p.56)という気が、確かに、しますね。

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2.裁かれない狂気

『怪奇大作戦』第24回「狂鬼人間」(1969)。 ‥紹介されている あらすじを見て、見てえ! と思いました。 脳波変調機(精神異常者発生装置)を使って、堂々と人殺しをさせる「狂わせ屋」‥。 たぶん、まず1977年に「きちがい」が放送禁止用語となったことの影響で、 この回が(放送局の自主規制として)飛ばされるようになった(p.70)、 でも1991年頃まではビデオ、LDは発売されていた(p.71) (のみならず、放送を忌諱されていた「狂鬼人間」はLDなどの目玉となっていた?)、 それが1995年、LD-BOXが発売日に店頭から全部回収(p.73)、 その理由は不明だが、それ以降「狂鬼人間」は欠番扱い(p.75)、と。

 んで、この章で最も興味深いのは、ここから。まあ興味深いといっても、 どの業界でもよくある話だと思うんですけど。円谷プロの壁。 「版権元の円谷プロから触れないでくれという依頼があった」(p.84)ら、もう 「規制とはまた違って、喉まで出かかっても言えない」(p.93)、なぜなら 「円谷プロを裏切ったとか思われてしまう」(p.92) ‥‥でもそれは円谷プロを怖れすぎじゃないの? 裏切るといっても、 言ってしまえば「たかが欠番」程度の話だし。‥なんて思ってたりすると 円谷プロから 「版権についてどうお考えですか」「そちらはそういうお考えなんですね」(p.94) ‥‥怖すぎ(苦笑)。私だったら、とりあえず「すみません」と謝ってしまいそうです。 (でも円谷プロも「版権についてどうお考えですか」という恫喝めいた行為を 書かれてしまうより、欠番についての取材を受けてしまったほうが 良かったんではないかとも思ってしまうんですけどね。)

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3.忘れられた予言

映画『ノストラダムスの大予言』(1974)。映画版なんて、あったのか。 しかも舛田利雄監督か‥。 舛田監督は、私は日活アクション系の作品でよく見てるんですけど。 舛田監督だったら、それなりに仕上げてくるはずだから‥なんて思ってもみるのですが、 あらすじと「最後までひたすら丹波哲郎の怒鳴りつけるような演説、演説、演説」(p.121) 「SFマインドが欠如した作品」(p.123)‥うーん。 やはり舛田監督にSFを期待するのは無理か。というか、最初の企画としては 映画『日本沈没』に続く、大スペクタクル映画にする予定だったものが、いろいろあって 「科学的裏付けに立った未来への一つの警告ドラマ」(p.128)に変わってしまい、 不安を煽りすぎる(?)専門家に踊らされつつ、大マジメに作りすぎた(p.130)のが失敗の 原因みたいです。んー。

 この作品の封印の発端ですけど、ウルトラセブンのと同様、被爆者の描写のところ。 これも怪物化して描いてしまったことにクレームが来てしまったようです(p.124)。 そして被爆者たちとの話合いの末「最後は向こうも言葉が詰まってきて、しばらく するとプロデューサーが、わっと泣き出したんです」(p.139)‥(^_^; これについて山本弘は、差別表現についてはちょうど過度期に当たり 「まだ、『そういうのをやるのはまずいだろう』みたいな風潮が、 映画界までは浸透してなかった」(p.141)と解説しているようです。 なるほど。今の我々から見てアウトだから関係者を責める、というのはやはり 無理筋というわけですね。 でもその話合いの結果、映画の当該部分、約2分弱の部分をカットすることで 話はまとまったはずなんですけど。だったら特に「封印」でもなさそうですけど。 でも1986年にビデオ・LD化の話があったとき東宝社内から「絶対に出さないでくれ」との 声があり、発売がキャンセルされた、と(p.143)。でもこれは東宝全体の方針ではなく、 たぶん東宝幹部の中にそういう人がいるという程度の話のようにも思えますけど。

 でも。その後、たぶん東宝の全社的方針としてこの作品は「封印」となってしまったようです。 その原因とは。1998年。 なぜか突然、ノーカット版の海賊版ビデオが流出したこと(p.145)。 このへんの経緯を読んでいて(よく調べたなあ、と感心してしまいましたが‥)、 なんかこれ裏社会と繋がってたりするんじゃね? とか思ってたら、なんか 半分そんな感じですかね。p.152にいろいろ書いてありますけど、 いずれにせよ、この流出事件によって東宝が態度を硬化させてしまった、と。 かくて幻の舛田作品が‥

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4.禁じられたオペ

『ブラックジャック』41話「植物人間」(1974)、58話「快楽の座」(1975)。 41は脳死の問題で、頭蓋骨切開に「ロボトミー」とルビを降ってしまったことが問題?(p.166)。 58はインプラント系の話で、 「スチモシーバー」なる装置を脳内に埋め込み、それで人の感情をコントロールしようと する話で、あらすじ(p.170)を見た感じだと、すげー印象に残りそうな話。 ‥ただ、これら作品について特別なクレームが何かあったという話はなく、 おそらく153話「ある監督の記録」のロボトミー手術描写が「ロボトミー手術を美化し」たと いう理由で大クレームを受けたことがあり(p.178)、それが影響したのでは? と。 そしてこの大クレームは、どうやら東大医学部の内部抗争と密接に関係しているとおぼしき 「反ロボトミー」運動のダシにされた感も漂わせながら(p.188)、 でも結局は、クレームを受けた153話は 一部描き直しをして単行本収録されたのに、 そのトバッチリを受けたっぽい41話58話が単行本未収録になっている、と。何故か。 これについては「生前、手塚治虫は単行収録作品は自分で選んでいました」(p.191)、 そして今となっては 「何も手塚が省いた作品をあえて入れる必要はないんじゃないかと思ってます」(p.192)。 脳手術と「人のこころ」を中心にして扱ってる これら2話は、「ロボトミー」的な、 脳に物理的な干渉をおこなう描写を取り外せないこと、 そして医学系の専門家としての自負もある手塚は 「ロボトミー」など脳にメスを入れることへの世間の評価が変わっていた ことを知らなかった(手塚プロの多忙さそのものがすでに有名な伝説になってるほどですし、 まあ知らなくても仕方ないとは思いますが) 自分を許せなかったし、 それに関する作品は遺したくなかった‥そんな思いもありそうです。 また実は、封印というか お蔵入りしている手塚作品は、ブラックジャック以外にも結構ある(p.194)。 あの『新宝島』も‥‥いや、たしか『新宝島』は復刻版がいつだか出てたな。2009年か。

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5.萌える行政

O157予防ゲーム(仮)(2002)。 埼玉県が監修した教育ゲーム、というか「読みながらO157の知識を身につけられる、 4章編成のオムニバスAVG「よみもの」。それに、遊びながら学習内容を復習できる 「すごろくクイズ」の2部構成」(p.239)。そのキャラが18禁ゲームのキャラで、 ひと騒動‥という話。

 ここでポイントに感じたのは「AV女優が授業に出るようなもの」(p.217)という夕刊フジの記事。 これが状況を端的に示してるんですけど、文中の「Aさん」が言うとおり、 「それのどこが問題なの?」(p.210)といったあたり。‥うーん。私も、とくに問題ないようには 思いますけど、でもそう言われてみると、ひょっとして何か問題あるかも、なんて急に 気になってくるようで、結局それが問題なのか問題でないのか、わからなくなる感じ‥。 元AV女優の小室友里さん(懐かしい‥)のコメント:「ああいうエロスの禁断の世界というのは、 言っちゃったら面白くない、言っちゃったらエロスでも何でもないというのがあって」(p.254) ‥‥つまり、AV女優が授業に出るべきではないのは教育的配慮、子どもたちのことを考えて どうこう、という点からは何とも言えないけれど、 エロ業界が「エロっぽさ」を保つにはエロはなるべく隠しておかないといけない、 だから「AV女優は授業に出るべきではない」。ちょっと論点がズレてる気はしますけど、 なんか少しスッキリした気がします。

 それと私個人のポイントとしては、この話自体は言論とは関係してないですけど、 最近ありがちな言論封殺のパターンととてもよく似たものを感じることです。 著者はこのことについて ネットの体質が変わった的な指摘をしてますけど。 「そもそも、私がネットにはまるきっかけとなった『フォーカス』回収事件では、 ネットの掲示板は圧力によって規制された情報を交換する解放区だったはず。それが、 わずか5年で今度は、封印作品を生み出す「圧力団体」へと変貌を遂げていた」(p.220) というもの(フォーカス回収事件は1997年)。 具体的には、某巨大掲示板「2ちゃんねる」にスレが立って、そこに 「各報道機関や県の窓口のメールアドレスが並べられていて、『通報して配布を やめさせよう』とまで……」(p.220)。 まあ、1997年から2002年までの4年間というのはネット的にはかなり大きくて、 1997年というとまだ「アーリーアダプター」的な人がほとんどな、 何というか『別世界』的な感じではあったんですけど。 2002年となるとネットの一般化・大衆化がかなり進みましたし、それに伴って 現実世界の権力関係がそのままネット世界にも持ち込まれてきて 『現実世界の一部』化してましたからね。その変化を体感したということでしょうね。 あとネットが圧力団体的になったという、その手口もねー。 ネット上の不特定多数、圧倒的多数の個人がゲリラ戦というかテロを仕掛けるみたいな 感じで攻撃する、 この埼玉県の例では「県知事などにあてて批判するメールが届いた」(p.219)という、 その業務妨害的な攻撃のしかたも気になってます。 藤倉2012でも、学生が個人的見解に基づいて作成したページへのクレームが、 その大学の学生が所属する大学の学長宛に届けられた、とかいう記述を見ましたけど。 担当者にクレームを入れるんじゃなくて、その上とおぼしき人にクレームを出すというのは、 担当者と議論する気なんてサラサラないぜ、 自分はとにかく「相手を黙らせる」「それをツブすこと」しか興味がない‥という 意思が明白ですから。メールなんて まさに「キ○ガイに刃物」というか何というか。 第1章の「ひばく星人」に抗議した中島さんなどは、30年以上前におこなった抗議に関する インタビューに応じてます(p.52)けど、抗議とか苦情を申し立てる人って、たぶん、 それほどの覚悟がないといけないんじゃないの?という気もしますけどね。 今クレームを書く人たちって、そのへん どうなんでしょうかね。


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つぶやき

読みやすい。サクサク読めました。 「こんなん、よく調べたな」と感心することも多かったです。 ジャーナリストって、すごいなあ、と やっぱり思いました。

 本書では被爆絡みの封印ネタが2つありましたけど。 いずれも原水爆禁止の願いをこめて作成したはずのものが裏目に出てしまう、という 端から見ていて非常に残念なパターンなんですけど。たぶん「セブン」の場合は 新作を毎週出さないといけないというタイトなスケジュールの中、 非常に微妙な問題を抱えたネタについての検討をじっくり行なう時間もないため、 ちょっとした思いつきで「まあいいか」的にやってしまったら、 本編はそれでも良かったけど キャラクター商品で引っかかってしまった、的な? ‥んー。実相寺監督は(周知のとおり)非常に印象的な作品を作る人なんですけど、 今回はその実相寺監督の「攻め」がちょっと悪い方に出てしまった感じですよね。 マンガなら「ブラックジャック」の153:「ある監督の記録」のように、 問題となる箇所だけ描きなおす手もあったんでしょうけど。今だったらデジタル処理で スペル星人の姿を変え‥いや、ダメか。今度は実相寺監督の意に反しますし。 そもそも円谷プロ自身が「封印」と決めてしまってるみたいですし。

 スペル星人の封印について。この本を読んで感じた印象としては、なんか、 当時の社長だったはずの円谷一さんがたぶん強くダメ出しをしたんじゃないか という気がしてきますね。怪獣は「子供達に夢を与える存在だから、グロテスクな部分を 見せちゃいけない」(p.39)という円谷一さんの持論(らしきもの)と、 スペル星人はどうしても合わないから‥。まあ、社会問題にならなかったら問題に ならなかったかもしれませんけど、騒ぎになってしまいましたからね。 でも、もしもスペル星人の封印が、円谷一さんの強い意志によるものだとしたら。 ‥ダメでしょうね。封印が解かれることは、ない。「まんがの神様」手塚治虫が 「これは単行本化しない」と決めたものを 後代の人たちが単行本化するのはどうよ? というのと同じ理由で、封印は解かれないように思えますね。

 被爆と怪物的描写の問題。放射線の被曝については、 今でも「放射線を大量にあびると奇形に」[Google]という話はあって、 それで奇形になった人を描くというのは 今だったらともかく、 当時では ありがちな手法だったと思います。 問題は被爆被害の象徴といえそうな「ケロイド」と、 被曝被害の象徴といえそうな「奇形」を結びつけちゃったことですよね。 (ただ被曝による「奇形」というのは、被曝した人自身が‥という話ではなく、 そこで新たに生まれた人や生物が‥という話のはずですから、 被曝=奇形化、というアイデアは当時としてもアウトとは思いますが。) 今だとチェルノブイリとか福島第一とかがあって、大量被爆なしの 大量被曝はあることは自然と理解できても、1970年代はやっぱ 大量被曝=大量被爆だったでしょうから。そのへん難しいところですね。 この頃に、原水爆禍を描いた作品は、たぶん映画『ノストラダムスの大予言』以外にも たくさんあって、そこでは原水爆被害を受けた人の象徴として 奇形化してしまった人たちを出してたんじゃないかと思いますので、 映画『ノストラダムスの大予言』は 有名になりすぎちゃって 抗議のやり玉にあがってしまったという感じなんでしょうか。 だとしたら、運が悪かったとしか言いようがないですね。 (山上たつひこ『喜劇新思想大系』中の「銀座の変の物語」(初出1973/3)も、完全版(2004)を見ると 「放射能畸型症状でゲスな!」(p.上332)とあって奇形化の話がチラと出てきます。 ちなみにこのシーン、秋田漫画文庫版(1976; p.別巻22)では「まっ暗で何もないでゲスよ // あるわけないでしょ」と描き直されています。最初、文庫版を見て「訳わかんねえ」と 思ったものですが、完全版を見て「なるほど」という感じです。 なお『喜劇新思想大系』に関しては、ロボトミーに関連した話も「与一の頭に穴四つ」(漫画文庫版p.続々々々-90)に出てきてます。 頭にフォークを刺された与一が ロボトミー手術を受けたのと同じ状態になり、結果 「アホになります」と説明され、 「会話に 出てくる 断片的な単音を もう一度 発音して もらうまで 懇願する のです / 例えば「一人」「あ」「い」といった ような……」(p.95) という症状が出てます。個人的には、 ここから与一がやたら「もう一度××と言ってくれ!」と連発し出すネタは私にはツボで、大好きです。)

 それと映画『ノストラダムスの大予言』。 これはやっぱ海賊版流出事件ですよね。どうやらその流出事件と、どの程度かは不明ですが、 反社会勢力に属してるとおぼしき人たちが関係しているらしいのは、もう、 今となっては命取りですね。 反社会勢力といえば、暴力団関連を取材してる溝口敦さんとか、スゴすぎと思うんですけど。 「"社長"については触れないほうが、あなたの身のためですよ……」(p.151) と言われても引っ込まずに取材した安藤さんも十分スゴいと思います。 引いたらダメなんだよな(‥と、自分に言い聞かせてみる)。

 この本、サクサク読めてしまったし、そんなに書くこともないよなー。‥なんて 書き始めたこのページ。書いてるうちに なんか結構な分量になってしまいました。 ということはやっぱ、自分が思ってた以上にハマって読んでたということです。 続編も今週中には読んでしまいそうな予感


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