自分用のメモということで、本書のどのへんに、だいたいどんなことが 書かれてたかという覚え書きです (概要をまとめて よく見えるところに出しておかないと、読んだ内容も、これを読んだことさえ 肝心なときに思い出さないことがありますので‥)。 ついでに簡単なコメントをつけてることも ありますが、メモなのでコメントは非常に簡単なものに留めてます。 ‥‥しかし、こんな内容の本、出そうという出版社がよくありましたね。 と思ったらそうか宝島社か。なるほど。
話はシャクティパット・グルとの衝撃の出会いから始まる。
[ライフスペース pp.18--28]
‥‥どうでもいいことですけど、
私も「Who knows what a guru is? [URL]」という
ページを鋭意構築中だったとき、まだそんなに有名じゃなかった頃の
その人たちのページを見つけていて、
いい味出してるなあ、でもこれは迂闊に触れるとヤバいかも‥と思って 紹介するのを
ためらったのですが。まさか、というか、
やっぱりそういう展開になってた人たち、いたんですね。
北大の学長宛に抗議文とかいう話を聞くと、
そうなりかけてただろう私も冷や汗が出てきます(^_^;
(「訴えられないための最も確実な方法は、文章を書かないこと」(p.175)を
実践してしまっていたんですね‥)
このことから著者は以下のような教訓を得たという。(1)「一学生の分際で学長室に 直接電話をかけてはいけない」、(2)「関わりあいになったら危険なのではないかと 思える団体からの抗議にこそ、安易に屈するべきではない」(p.27) ‥‥この前者については、北大の学長くらいになるとスケジュールは分刻みでしょうから、 というかたぶん事務方がそういうのを嫌がる体質なんだろうと思うんですけど、まあ、 それはいいとして。 この(2)は当然のことですけど、でも実際にやるとなるとスゴいことですよね。
[メディオス pp.29--37] セミナーの勧誘によってメチャクチャになった人間関係から感じる違和感。 「どんなに自己啓発セミナーを批判し正義を振りかざしたところで、受講生たちを サークルから追い出したのは、周囲の"友人ヅラした人々"のほうだ。 おかしな集団を、おかしな世の中が拒絶する。だからおかしな集団の人々は、 閉じられた仲間内の世界に引きこもっていく」(p.34) また、カルト集団の笑ってしまうような奇妙さ、おかしさ。 彼らは、我々を笑わせようとしているのではない。 「人々を笑わせてくれる宗教団体は、それと反比例するかのように、常識と良心と 羞恥心を失っている。だからこそ、その裏では常識では予想できない被害が生まれる」 「宗教団体が素人目に見ても「面白い」ということは、一種の危険信号だ」(p.40) ‥‥このへん、既存の宗教学的立場からは弱いというか、見えにくい箇所ですね。 私なんかもそうですけど、書かれたものを読んで、そこから彼らの思考様式とか 価値観を探ろうとするんですけど。でもそれは末端の信者たちがどういう 世界観を持ってるかは(ある程度)わかっても、 教団の中枢にいる人たちが本当は何を考えているか、だから教団はどう動くか というところまでは読めない、というのはオウム真理教で痛感しましたからね。 やっぱその言動から見ないとダメという。そのへん「笑ってしまう団体は危ない」 という経験則は、なんか納得してしまいます。
[Table of Contents]
[ラエリアン・ムーブメント pp.44--66]
「このレクチャーに宗教的な理屈はない」「ここはキチガイの学校です」(p.48)
‥‥そこまで?!という感じなんですが、個人的に、おお、と思ったのはやはり
「世俗でモテない男は、セックス教団に入っても、やっぱりモテないまま、
群れるしかないのか」(p.56)‥‥(^_^;;
というか、何でこんなのにハマる人がいるわけ?? とか思ってしまったりするんですが、
セミナーの最後に行われたという最後のレクチャーで語られたらしい以下のセリフ:
「あなたが幸せであることを批判する人は、本当の友達なんかではありません。
あなたを批判する家族は、本当の家族ではありません。そこに愛はない。彼らは、
あなたの自由を許さない。あなたがあなたらしくあることを許さない人たちです」(p.66)
‥‥そうか。自分を開くこと、「あなたがあなたらしくあること」でハッピーになれる
契機を提供してる点がデカいということか。
群れてる男たちは、自分を開ききれないということか。まあ、フリーセックスが
「あなたがあなたらしくあること」と同じなのかと言われると、どうかという気もしますが。
(上のセリフから「こうやって家族や友人の忠告を聞かないよう仕向けてる」と、
まず考えるべきかもしれませんが、私の場合、
それよりも別のところに先に目が行ってしまうんですよね。)
[自己啓発セミナー・メディオス pp.67--87] セミナーの最後「卒業式」では「おめでとう!」と、まるでエヴァの最終回みたいな 状況になるらしい(p.70)。 なんでそこまでハマるのか。村田らむ氏の証言が紹介されていて: 「不真面目にやってると講師に怒鳴られてけちょんけちょんにされるから、本気でやらざるをえない。 オウム真理教に潜入したときより、逃げ場がなくてきついっす」(p.71) ‥‥言われてみれば確かに「本気でやる」のが何事も効果があって大事というのは知ってますが、 ムリムリと本気にされる状況を作ってるんですね。すごいなー。ちなみにこれがスゴいのは、 じつは、そこで怒鳴ってる人も相手をハメるつもりでやっているのではなく 「セミナーで自分だけいい思いをしていいの? 友達にも変わってもらいたくない?」(p.76) と言われた結果、善意で怒鳴っている可能性があること。完璧だ!
[パナウェーブ研究所 pp.87--95] パナウェーブ取材のよもやま話。記者クラブメディアの押しの強さに、警察もタジタジ。
[ラエリアンムーブメント pp.95--100] 「弥勒菩薩光臨堂」(通称「UFO神社」)への初詣。 ‥‥仏像があるのかが気になるが、ラエル氏が弥勒菩薩そのものという定義だから、 たぶん仏像はないのだろう。
[ホームオブハートの裁判 pp.100--105] 大もめ。裁判所からのtweetの可否は裁判長が個別に判断(p.104)
[ひかりの輪 pp.105--116] 著者が感じる違和感。‥‥何だろう。「ああいえば上祐」の頃から、 ディベートの技法なのかよく知らないけど、微妙に議論がズレてて 何かモヤモヤする感じはテレビ見ててもあったんですけど、 それが議論の場だけじゃなく、あの時だけじゃなく、という感じなんでしょうか。
[ヨハン早稲田キリスト教会 pp.116--123] やはり勧誘の話。就職セミナーという名目はちょっと‥
[幸福の科学 pp.123--157] 教団施設近辺住民とのトラブル。東京白金、徳島県吉野川市の生家。 子どもの頃を知る人たちの話。教団施設建設をめぐって地元自治会は分裂状態。 幸福実現党。原発賛成デモ。 に、防護服姿でガイガーカウンターを持って参加する著者らの話(p.115) ‥‥訳わかんね(笑)
[統一教会 pp.157--163]
『週刊文春』への抗議のリレー断食デモ。に対する著者らの暴飲暴食デモの話(p.161)と、
それに対し統一教会側はけっこう頭にきていたという話(p.162)
‥‥でもこれ、暴飲暴食ストがなかったら、この断食デモは
まったくどこの誰も話題にしない、誰も知らない話題で終わってた可能性が高いとか思うと、
暴飲暴食デモをやってもらって、話題にしてもらって、逆に感謝してもいいくらいでは?と
思ったりもしますけど。でもまあ、自分たちがマジメにやってることを
茶化されたら普通頭にくるか(^_^;
[ベストグループ pp.166--181] 団体について書いた記事を削除しなければグループの人たちが 個別に訴訟を23件起こすぞという話(p.173)(←著者はこれで「ああカルトか」と 判断したっぽい)。んで教祖との直接会談に。この際「なにせ相手は、 金粉を降らせたり手かざしで病気を治したりしてしまう教祖様ですよ。 話し合いの最中に金粉が降ってきたら、 ぼくは話し合いを忘れて拾い集めてしまうかもしれない」(p.176) ‥‥ここでオチャラケを入れるか! つい笑ってしまいました。けど、それはさておき。 ここでのポイントは「訴訟の勝敗を問わず、相手を萎縮させたり経済的に追い詰めたり することを目的として訴訟を起こす場合、訴えた時点でカルト側の目的は達成される」(p.181) 「弁護士費用も、自分の交通費もバカにならないどころか、おそらく23の地裁を制覇する 前に自己破産していただろう」(p.180)ということですね。 書くことはこれほどのリスクを伴うということなんですけど、というより、 「何考えてるか わからんヤツら」に敵視されることのリスクだと考えれば、 ‥‥何考えてるかわからんヤツが なにが原因で自分を敵視するか なんて予想できないですから、んー。 これっていわば「価値観が多様化した社会で生きていくことのリスク」ですよね。でも、 そこまで行ってしまうとイメージがボヤけてしまうか。
[オルタナティヴ社 pp.182--183] 「「法的責任」などという表現を使って、訴訟をほのめかしてくる」(p.183)パターン。 「カルトからのクレームで、最も多いパターン」(p.183)
[ラエリアン・ムーブメント pp.183--189] 「セックスが好きな、ちょっとおかしな集団」(p.272)的印象のある ラエリアンムーブメントだけど、抗議文を見るかぎりカルト(p.188)
[カルトからの抗議に関するプロバイダの対応 pp.189--195] ひどかったライブドアの対応。「--あのねえ、客に対していい加減な対応しかせずに、 気に食わないなら裁判起こせば? っていうのがライブドアという会社なんですか?」 「そう捉えていただいて構いません」(p.194)‥‥ええー?!
[家宅捜索(親鸞会) pp.195--210] 勧誘用の冊子を、偽装勧誘の証拠としてページで掲載→著作権法違反容疑の容疑者に(不起訴)。 告訴のポイントは「名誉毀損」ではなく「著作権法」。つまり、名誉毀損だと 記事の真実性が争点になってしまうが、著作権法の場合は著作物の利用方法が争点になるため、 カルト側のダメージが少ない(p.209)。そして民事より刑事。刑事だと家宅捜索などが 入る可能性があり、相手にダメージを与えることが可能。 「表現者の権利を守るはずの著作権法は、カルト的団体の手にかかると、批判的な人々の 報道の自由や表現の自由を脅かす凶器にもなるのだ」(p.210)
[幸福の科学 pp.211--214] 抗議を受けて謝罪することもある。
[Table of Contents]ここはグッとマジメな章。 カルトはメディアで取り上げられにくい。 他ジャンルのニュースとのネタの優先順位争いでちょっと弱い? (p.218) (ニュースは「より多くの人が関心を示す」ものを優先する傾向があるから、 少数の人にとっての深刻な話は ネタとして弱いとか、そういう感じになってしまうのか?)、 また「カルトから訴えられるのが怖い、面倒くさい」というのもありそう(p.219)。 このへん、考えることは一般人と同じ。だから、視聴率が取れる(多くの人が関心を示す)、 各社一斉に報じるネタ(自分らだけ訴えられるリスクが少ない)には、バッと飛びつく傾向。 (中島知子ネタ、ホームオブハートなど)
[朝日新聞とホメオパシー pp.222--225] 大手メディアも、やるときはやる!
[グロービート裁判とマスコミ pp.226--243] たぶん典型的な「嫌がらせ裁判」で、名誉毀損についての裁判。 裁判では記述の真実性が焦点になったが、結局は 「真実性の証明」とするには証拠が十分とはいえないとの判決。 この判決について新聞各紙は「嫌がらせ裁判」の点にはまったく触れず、 「ラーメン店へのネットへの中傷書き込み事件」の 名誉毀損に関する裁判とだけ報じていた。 揃って視点がズレてる(p.237)。そして新聞記者クラブの話。
[幸福の科学 pp.243--253] 自分たちにとって都合のよいようにしか書いてほしくない態度 (無論、それは多くの人がそういう思いを持ってるだろうけど‥)。 「彼らは社会への説明責任などのためにメディアの取材に応じているのではなく、 実際にはメディアを支配したがっているだけなのではないか」(p.251)
[書くことの心構え pp.253--276] 多くの場合、我々はカルトととは利害関係はないのだから、 カルトに関係した文書を書く際には、訴えられるリスクを受け入れ、 「訴えられても勝つ」ような文書を書けばよい(p.255)。 公共性・公益目的がわかるように(p.257)、 また細かい表現にも気をつける(p.259。具体例は本書を参照して)、 そして最も重要なのは証拠をおさえること(p.259)。 安全性を高めるという点では「引用」のルールに従うのがいいのかも。 「証拠をおさえる」点に関しては、やはり、実際に現場に足を運んで 取材するのがベスト。「その方が合法的な表現の幅が広がる」(p.263)。 ただし合法的に、無理しないでね、と。 また抗議が来たらその内容をきっちり精査し、明確な指摘がないときは 「もっと具体的に言ってくれ」と返答するのが吉(p.270)。 また、そのやりとりは公開した方がよさげ(p.273)。 あと、いざという時は周囲を頼れ(p.275)。孤立するな。