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[チラシの裏]

香山リカ(2006)『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』

著 香山リカ
年 2006
表題 『スピリチュアルにハマる人、ハマらない人』
シリーズ 幻冬社新書4
発行 幻冬社



[Table of Contents]

梗概

この色で示した部分が抜粋部分。 [Table of Contents]

1. 人は死んでも生き返る?

小中高生の二割が「生き物は死んでも生き返る」もしくは「生き返ることもある」と 考えている (2003年)(p.21)

大学生へのアンケート(大学1,2年135人;2006)(p.23)

一度死んだ人が生き返ることがあると思うか?
ある24% ない59% わからない16%
魂や霊魂があると思うか?
ある61% ない10% わからない28%
前世や生まれ変わりを信じるか?
信じる56% 信じない14% わからない30%
小学生より大学生のほうが「生まれ変わり」などを信じる率が高い。 オーラについても80%が「ある」と回答(p.34)

「生き返り」「死後の世界」をテーマにした名作がじつは1990年頃 から増えていて、それらが子ども・若者に浸透してきた? (p.33) そして女性も理解者。林真理子は スピリチュアルな現象に対して懐疑的なことを「柔軟性がない」「狭量」と批判し、 それはまた世の男性の欠点でもあると指摘している。(p.33)

スピリチュアリズムの目的は 自分が「なぜ生まれたのか」「生きている意味とは何か」「本当の幸福を得るためには どうすればいいのか」といったことについて考える。‥(略)‥ 実は圧倒的な自分中心主義であり、しかも「現世」中心主義なのだ。 (p.39)

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2.スピリチュアルのカリスマたち

ハッピー志向、前向き志向とスピリチュアリズムが合体

「この世に偶然はない、すべてのことに意味がある」というのが著者の基本的な考え (p.43;ここでの著者とは浅見帆帆子氏) 偶然に見えるが実は必然である現象は、「偉大ななにか」によって私たちに 送られているというのである。(p.45)

お金もうけを否定しない。 あくまで「お金をもうけたい」といういまの流れに乗っている人たちを「それでいいのですよ」と 肯定し正当化するようなスピリチュアルでなくては、広く受け入れられないのだ。 (p.53;佳川奈未氏(なみちゃん)についての分析)

アカデミズムとスピリチュアル。 スピリチュアル側からすると。 「正真正銘の学者も認めた」というのが"お墨付き"の役割を果たしていることがある」 (P.56)

アカデミズム側からすると。 研究者本人の人気に乗じて、その人が所属する大学も世間の注目を集め、それが少しでも 受験生増加や企業などからの研究費集めに寄与するのであれば、少々の"言いすぎ" "出すぎ"も 致し方ない。そういう雰囲気がアカデミズムの世界にも広がってきたのである。(p.60)

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3.江原啓之という現象

一般論から。 現代のスピリチュアルの祈りの文句は、「世界やすべての人類が幸せになりますように」では なくて、「私がより快適に暮らせますように」なのではないだろうか。(p.73)

江原氏。江原氏はスピリチュアル界のスーパーマン的存在。(p.92) 江原氏の成功の理由とは。 帯の推薦文の書き手になったのは、室井佑月氏、酒井順子氏など若い女性に人気の作家たち ‥(略)‥ 江原氏の場合、"お墨付き"は学者によってではなくて、女性のオピニオンリーダーたちによって 与えられることになった。(p.77) ‥なぜ彼女たちの役割が大きかったかといえば。 ポピュラーな人気を誇る作家やエッセイストの名前こそが現代の権威(p.78)。 内容は、 徹底的な「現世利益の追求」と「個人の幸福」だ。お金、仕事の成功、恋愛は肯定され、 自分が夢をかなえて幸せになることだけが追求される。(p.79) (ただ、江原氏の主張は実際のところそれとはちょっとズレている。有名になる前と、 大御所化した後の発言は、どちらも物質至上主義を戒め、「人のために生きれば あなたも幸せになる」という感じのもの。「個人の幸福」はその入口的なもの ‥‥らしいが、それはどうやらあまり聞いてもらえないらしい。p.90)

「オーラ」‥オカルトからも現世利益からも距離をおいた、マジックワード。 怪しい霊能者から人を幸せに導くカウンセラーにイメージチェンジさせるためには、 どうしても必要なものだったに違いない。(p.90)

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4.スピリチュアルで癒されたい

佐藤富雄氏の分析。 スピリチュアル本でも、お金や恋愛といった具体的で現実的な話のあとに、「生まれた意味」や 「存在の奇跡」といった大きなテーマが突然、出てくる場合が少なくない。 しかも、これもまた佐藤氏とスピリチュアル本の大きな共通点と言えるのだが、その 「奇跡」はこれから起こすものではなく「すでに起きている」ものであること、 さらにはその「奇跡」は偶然ではなくて必然であったり、自らが選んで起こしたもので あるものとして書かれる。(p.98) また佳川奈未氏(なみちゃん)の本でも 「奇跡」を起こすための「魔法の力」はすでに誰にも備わっているものであり、 あとはそれに気づくかどうかだけの問題だ、と繰り返されているのである。(p.100)

指田さよ子氏の分析の紹介。高学歴の働く女性たちの悩みを分析すると、結局は 周囲の人間関係や会社のシステム、その先の社会や政治が悪いのではない。すべて、 私が悪いのだ。私さえ変われば、この苦しみから解放されて癒されるはず。(p.109) ということらしい。さらに。 実際、彼女たちが求めているのは、積極的な自信の持ち方といったスキルを身につける ことですらない。内向きに構成された問いが最後に求めるのは、「そのままのあなたでいい」 「自分の中にいる本当の自分を愛そう」といった受容や慰撫のことばなのだ。」(p.110) まとめると。 江原氏の読者の中心層と思われる二十代から四十代の女性たちは、とかく内向志向で 自責的になりがちだが、自己責任ですべてを引き受けるほどの強さはなく、どこかで 「悪いのはあなたじゃない」「そのままでいい」と、許され、受け入れられることも 望んでいる人たち、とまとめることもできるだろう。(p.114) ただ、ここで許してくれる人はどんな人か、という問題もある。権威が必要。 だけど社会的権威じゃない権威。そこに超越世界の、まるでトトロみたいな イメージ的には「人間の男性」よりも「この世にはいない大きな動物」に近いかもしれない (p.117) 江原氏がピッタリ、と。 そしてそれは子どもが、毛皮のような素材やタオル地でできた ふわふわしたモノを 「移行対象」として求める、その移行対象に似てね?と。(p.121) (トトロと移行対象の類似については、大塚英志氏説) そして実は超越世界も、 外部ではない、移行対象と同じ「中間領域」のものではないか?と。(p.124)

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5.スピリチュアルちょい批判

「オウム事件」が明らかにしたのは、高学歴エリートたちの「むなしさ病」の根深さ。 そこにスピリチュアルが見事にマッチ。実はオウム真理教とそんなに違わないのだが、 「どうしてそんなことを言うんですか? 私が信じている女性の霊能者はいい人なんですよ。 オウムの麻原は悪い人、犯罪者でしょう? 全然、関係ないじゃないですか」(p.141) という反論。つまり「善人と悪人」という二分法的な違いが重要と考えられてる。 あるいは、昔は病気だった「解離」を生活の知恵として身につけたということ?(p.144)

飯田氏史彦氏の記述を引いて、「これは極論だが」的にワンクッション置きながら、 以下のような分析。 大切なのは真偽ではなくて、それが「望ましい心理的影響」を与えるかどうか、なのだ。 これをさらに発展させて考えれば、それがたとえ科学的には偽であっても、人の心を 豊かにし、望ましい影響を与えるならば、ある程度は大目に見てもよいではないか、という 主張にもつながらないだろうか(p.148)。 しかし、それよりも軽い 「目に見えないから、いまの時点では実証できないから、といって間違いとはいえない」 というこの主張 (p.150)が科学と結びついた例として、川島隆太教授「脳トレ」(p.150)。 スピリチュアルを正当化する考えと通じるものがアカデミズムにも流入している、と。 これはつまり以下に結びつきそう。 占い師のみならず、おそらく科学者も医者も、そしてスピリチュアル系のカウンセラーや ヒーラーたちも同じなのではないだろうか。  相手が喜び、自分の評判も上がる。喜ぶだけではなくて、前向きな気持ちになること で、本当の健康や幸運をつかむ人もいるだろう。また、お金が動き経済は活性化する。 誰も損せず、被害を受けるわけではないのだから、単純なインチキやだましとも違う。 だとすれば、たとえ科学的な正当性が立証されていなくても、そこに若干の作為や改竄 があっても、誰がそれを非難することができるだろう。  この価値観の広がりこそが、スピリチュアル・ブームを支える最大の要因になってい るのではないだろうか。(p.159) ポイントになるのは「楽しいかどうか」、明るい気持ちにしてもらえること、か。 小泉首相の例。ファンは 小泉首相の話の内容や政策にではなくて、その「オーラ」「丁寧な対応」 「やさしさ」にワクワクし、感動した、と語っているのだ。(p.168) そして彼女らは政治家だけじゃなく、科学者やスピリチュアル系カウンセラーにも 同じことを期待するわけで。

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6. あくなき内向き志向の果てに

なぜ既成宗教ではなくてスピリチュアルなのか。 「宗教はこわい」という宗教アレルギー説もあるが、たとえばオウムは宗教じゃなくて 「凶悪な犯罪者集団」として理解されてる訳なので、それはどうか。(p.173) `それよりも、宗教は「利他」を言うが、それが合わないのでは?と。 内向き志向、個人主義の人たちは自分だけで、他人に関心がないから。 それと、 「軽く、早く、マジカルに」効果が現れることを期待して、よりカジュアルな 手法に人気が集まる(p.179)点も、まあ合わない要因だろう、と。


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めも・つぶやき

  • 生まれ変わりどうこう‥という話のところで、それがゲームのリセットとの絡みで どうこう‥という話が出てきたところで、ふと、 ビデオゲームにおける「アヴァター」と、ヒンドゥー教におけるアヴァターラとの 関係について述べた文書のことを思い出しました。 Souvik Mukherjee(2012),"Vishnu and the Videogame: The Videogame Avatar and Hindu Philosophy".(presented at the Philosophy of Computer Games Conference, 2012 in Madrid.) というやつです。たしか映画のアヴァターと、 ビデオゲームのアヴァターを比べると、ビデオゲームのアヴァターのほうが 語源となっているヒンドゥー教のアヴァターラに近い、という趣旨だと記憶してるのですが‥。 そこで、ギーターを引いて(出典を書いてないが、たぶん4章の6--8と思われる) 「ヴィシュヌは悪を滅ぼすため何度も出現すると宣言する」と書かれていると述べ、 これはビデオゲームにて主人公(プレーヤー)が何度もゲームをやりなおし、 そして最終的にはゲームをクリアするのと似てね? 的なことを述べてるんですけど、 そう発想するか、というのは面白かったです。
  • 終わりのほうに出てくる「軽く、早く、マジカルに」というのは、 なんか日本に仏教が入ってきた頃のようですね。経典の内容にはほとんど関心がなく、 とにかく、お経が持つと勝手に信じた「験力」だけを期待する、という‥。 そういう点では、それは実は現代日本の人たち(とくに女性)がそうなってきちゃった のではなく、そもそも日本人てそういうもんじゃね? という気もしちゃうんですけど、 どうなんでしょうね。 あ、あと強烈な現世利益志向もそうですよね。一時的に「死後の世界」への関心が 高まることがあっても、時間が経過すると現世利益に戻っちゃう。
  • 最初のアンケートで「魂や霊魂があると信じるか」という質問項目がありますけど。 これ、近代だけ考えても、明治維新から現在までを通じて、 信じてない人はつねに極少数ではないでしょうか。でないと、終戦記念日とか、 大災害とかの記念日に国の行事として、我々の税金で行われる「慰霊祭」は、 いったいどういう茶番だ? 廃止しろ、あるいはせめて名前を変えろ、 ということが議論になっているはずだと思うのですが‥。 特定宗教団体との関連を感じさせる要素を極力排除することが「政教分離」の意味なのか、 というのがそれでわかる訳ですけどね。つまり「霊」の存在を認めることは 特定宗教団体に限られた考え方ではなく、ある程度は国民に広く受け入れられている、 だから多くの人たちが「(それで本人たちの慰めになるかは不明だが) 犠牲者の霊を慰める行事は必要」と思ってるということですよね。 なので「その質問は愚問じゃね?」と正直思いました。

関連(?)情報

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