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[book][memo] 李穀伝が伝える朝鮮少女略奪(14世紀)

題 [book][memo] 李穀伝が伝える朝鮮少女略奪(14世紀)
日付 2016.3
備考 書きかけ



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はじめに

ネット上でたまに『稼亭集』という言葉を見かけます。これに 李穀の「代言官請破取童女書」という文書が載っていて、それが 2015年前後に話題になっている「いわゆる慰安婦問題」についての 韓国側の主張(というか私見では妄想)と何か関係があるのでは? なんて ことが囁かれているんですけど。 でも『稼亭集』ってネットで探しても あまりヒットしないんですよね。 ハングルで書かれたサイトばっかりで‥。

 そんな中、どうやら『高麗史』中の「李穀伝」中に、どうやら 「代言官請破取童女書」と呼ばれているものと 内容がほぼピッタリ合う文書を見つけましたので、それを 忘れないうちメモっておきます。

 『高麗史』ができたのが1450年くらい、 李穀が亡くなったのが1351年、ということらしいですので、 さすがにこの記述については捏造とかの可能性は低そうです。

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本文

以下の文書は 「李穀伝 (高麗史・列伝22) [ Wikisource (zh) より ]」 の一部である。

 Wikisourceだけが出典だと不安なので、 鄭麟趾 奉敕修(1908-1909)『高麗史. 第3』国書刊行会 (近代デジタルライブラリー) における 対応ページ番号も追記したので、必要に応じて参照されたし。

高麗史109卷-列傳22-李穀-002

元屢求童女于本國穀言於御史臺請罷之代作* 曰: "古之聖王其治天下也一視而同仁. 雖人力所至文軌必同而其風土所宜人情所尙則不必變之. 以爲四方荒 風俗各異苟使同之中國則情不順而勢不行也. 勢不行情不順而善治之雖堯舜不能矣. 昔我世祖皇帝臨御天下務得人心. 尤於遠方殊俗隨其習而順治之. 故普天率土歡欣鼓舞重譯來王猶恐或後. 堯舜之治蔑以加也. 高麗本在海外別作一國苟非中國有聖人邈然不與相通. 以唐太宗之威德再擧伐之無功而還. 國朝肇興首先臣服著勳王室. 世祖皇帝釐降公主仍賜詔書奬諭曰: '衣冠典禮無墜祖風.' 故其俗至于今不變. 方今天下有君臣有民社惟三韓而已. 爲高麗計者當欽承明詔率祖攸行修明政敎朝聘以時與國咸休可也. 而乃使其婦寺之流根據中國寔繁有徒 恩恃寵反撓本國至有冒干內旨爭馳傳 遽歲取童女絡繹輦來. 夫其取人之女以媚于上爲己之利此雖高麗自取之也旣稱有旨豈不爲國朝之累乎? 古昔帝王發一號施一令天下  望其德澤故稱詔旨曰德音. 今 [p305a] 屢降特旨奪人室女甚爲不可. 夫人之生子鞠之育之將以望其反哺也. 無尊卑之別華夷之*閒其爲天性一也. 抑彼風俗寧使男異居女則不出若爲秦之贅壻然凡致養于父母者有女之尸焉. 故其生女也恩斯勤斯日夜望其長能有以奉養. 而一朝奪之懷抱之中送之四千里外足一出門終身不返其爲情何如也? 今高麗婦女在后妃之列配王侯之貴而公卿大臣多出於高麗外甥者. 此其本國王族及閥閱豪富之家特蒙詔旨或情願自來且有媒聘之禮焉固非常事. 而好利者援以爲例凡今使其國者皆欲妻妾非但取童女而已. 夫使于四方將以宣布上恩詢咨民隱. 詩不云乎: '周爰咨詢周爰咨諏.' 今乃使于外國貨色是 不可不禁也. 側聞高麗之人生女者卽秘之惟慮不密雖比隣不得見每有使臣至自中國便失色相顧曰: '胡爲乎來哉? 非取童女者耶非取妻妾者耶?' 已而軍吏四出家搜戶 . 若或匿之則繫累其隣里縛束其親族鞭撻困苦見而後已. 一遇使臣國中騷然雖 犬不得寧焉. 及其聚而選之姸醜不同. 或啖其使臣而飽其欲雖美而舍之舍之而他求. 每取一女閱數百家. 唯使 [p.305b] 臣之爲聽莫或敢違. 何者? 稱有旨也. 如此者歲再焉或一焉*閒歲焉. 其數多者至四五十. 旣在其選則父母宗族相聚哭泣日夜聲不絶及送于國門牽衣頓  欄道呼號. 悲痛憤 有投井而死者有自縊者有憂愁絶倒者有血泣喪明者. 如此之類不可 記. 其取爲妻妾者雖不若此逆其情取其怨則無不同也. 書曰: '匹夫匹婦不獲自盡民主罔與成厥功.' 恭惟國朝德化所及萬物咸遂 高麗之人獨有何罪而受此苦乎? 昔東海有寃婦三年天旱. 今高麗有幾寃婦乎? 比年其國水旱相仍民之飢莩者甚衆豈其怨歎能傷和氣乎? 今以堂堂天朝豈不足於後庭而必取之外國乎? 雖承恩於朝夕猶懷父母鄕黨人之至情也. 而乃置之宮掖愆期虛老時或出之而歸之寺人終無嗣者十之五六其怨氣傷和又何如也. 事有小弊而爲國之利者容或有之. 然不若無弊之爲愈也 無益於國家取怨於遠人其爲弊不小者哉? 伏望渙發德音敢有冒干內旨上瀆聖聽下爲己利而取童女者及使于其國而取妻妾者明示條禁絶其後望. 以彰聖朝同仁之化以慰外國慕義之心消怨致和萬物育焉不勝幸甚." 帝納之. [p.306a] 本國除判典校寺事.
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大雑把訳

元(中国)はしばしば童女を本国に送ることを求めた。 李穀は御史台に、その代行をやめるよう進言した。疏によると‥

 ‥以下、準備中ですけど。やらないかも

 とりあえず文中、太字になってる箇所は シンシアリーさんのブログ (2016-03-28 16:24:28) で 紹介されている和訳文の対応箇所です。 (手抜き‥ ^^;)

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つぶやき

  • 一軒ずつテッテ的に家探しされて財物女性を略奪される‥。たぶん、 世界中どこにでもあったはずの「負けるとは、こういうことだ」的な話のように 思われます。ので心が痛くなるような話ではありますけど‥
  • でもそういうのって普通、戦乱の時期などによくある話だと思うんですよね。 逆に、それなりに治安が保たれてる状況であれば起こりにくい話のはずなんですけど。‥‥んー。 当時の高麗は元の属国でしたから、まあ、抵抗できないでしょうね。
  • というか李穀、こんなこと言い出して元(中国)を怒らせたらどうする気だったの?! ‥とか思ったんですけど。たぶん李穀が活躍していた14世紀中頃の元は、 1320年頃から宮廷内の権力争い・軍閥の内部抗争に明け暮れるようになって 急速に衰退していた時期(そして1356年に元から断交独立、1368年に元は大都(北京)から撤退)だった から、だから そういう生意気な口(?)をきいても大丈夫になってた、という感じなんでしょうね。

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