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[memo] 朝鮮事情(韓流歴史風ドラマ関連)

題 [memo] 朝鮮事情(韓流歴史風ドラマ関連)
日付 2014.2



どーでもいいことなんですけど。2004年頃から、NHK総合の日曜夜11台の枠は 韓国ドラマが放送されるようになっています。 なぜかその時間帯、ウチのテレビはNHK総合がかかっていることが多くて、 なので いつのまにか私も韓国ドラマを「ながら見」な感じで見るようになって しまいました。私自身の基本的立場としては、 軽度の「嫌韓」なんですけど‥(^_^;

 んで、割と最近やってる 「イ・サン」とか 「トンイ」とかの、いわゆる 歴史(風)ドラマを見ていて、ちょっと気になることがいくつかありましたので、 そのへんのことについての簡単なメモを。

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大河ドラマと比べた印象

 韓流ドラマの歴史(風)ドラマで最初に見たのが 「チャングム」。 それに「イ・サン」「トンイ」と続けてみて感じるのは、なんかどれも 基本、同じじゃん、ということ。日曜夜11時ですから、その数時間前に放送される 大河ドラマと比較してしまうと、どうしてもその思いは強くなってきます。

 最近の大河ドラマは 「平清盛」 「八重の桜」ときて今やってるのが 「軍師官兵衛」。 開始して間もない「官兵衛」についての評価は保留しますが、その前の2作、 正直言ってイマイチ‥な感はあり、それと比較すると11時台にやってる韓流ドラマの ほうが面白いのでは? と思うこともあったりするんですけど。 これに関しては、おそらくドラマをどう作るかという態度が影響してるような気も しますよね。たとえば「清盛」の場合、開始直後に「画面が汚い」という話題が 出たりしてましたし、「八重」も主人公そっちのけで幕末の緊迫した情勢・ 正しいことをしてるはずなのに追いつめられていく会津の人たちについて 丹念に描写したりしていましたけど。これらを見てると、 大河ドラマの基本姿勢として「激動の時代の中を、人々がどう生きたか。 それを丹念に、リアルに近いかたちで描く」というのがありそうです。 例えるなら、有機農法で作った「ほんもの」の野菜を なるべくそのまま、 味付けといっても塩をちょっとかける程度で食わせる、と。 だから本物感はすごくあるんですけど、それが美味しいかというと なんかちょっと微妙というか何というか‥

 それに対する韓流ドラマ。なんか歴史を描いてるっぽくありますけど、史実との 関係はどうかといえば、ほぼ 「水戸黄門」とか 「暴れん坊将軍」とかのレベルですよね。 当時の時代を、きちんと考証している訳ではない。というか ほとんど妄想レベルの創作。視聴者の反応を見ながら、 受けそうなスパイスを とにかくぶち込んで作っている、そんな感じですよね。 食べ物にたとえるなら、合成着色料とか合成甘味料が大量に入った、 健康によいとは決して言えないながらも、なんかヤミツキになって食べてしまう 安っすいジャンクフード系。そんな感じですよね。

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動きがなくないか?

 んで、何故そういう印象を持ってしまうかといえば。 韓流の歴史(風)ドラマ、なんか「歴史の大きな流れ」というのが 全く感じられないんですよね。どのドラマ(といっても3つだけですけど)を 見ても、同じような人たちが徒党を組んでいて、それで宮廷内部で完結した同じような低レベルな陰謀劇、 足の引っぱり合いを延々と続けている感じです (なので「イサン」も「トンイ」も後半になるほどダレてくるんですよね。 あまりにもワンパターンすぎて)。

 んで、それが気になったのでちょっと調べてみたところ‥

 1636年以降、朝鮮は、日本とも中国とも戦うことはなかった。‥(略)‥ 諸外国との通商は、ほとんど全く禁じられた。こうした政策によって治安が維持されていたため、 最近の歴史をみると、王宮におけるいくつかの陰謀事件以外に、事件らしい事件は何もない。 一、二度は王室内の他の王子を擁立するのに成功したが、ほとんどの場合は、事件の陰謀者と 真のあるいは偽の共犯者は極刑に処せられてしまった。そのうえ、変化もなければ 本格的な改革もない。一般に、政治的活気とか進歩、革命といわれるものは、朝鮮には 存在しない。‥(略)‥ 朝鮮における最近三世紀の期間は、ただ貴族層の血なまぐさい不毛の争いの単調な歴史にしか すぎなかった。(金容権 訳(1979)『朝鮮事情』平凡社(東洋文庫367), pp.39--40; 以後「朝鮮事情1874」) (原著は Dallet(ダレ)(1874) ですけど、私はもちろん未見です。 19世紀のフランス語は私にはムリです。)
なるほど。その時期の朝鮮を描こうとしても、時代の変化を感じさせるような 何かが特にあったわけではないので宮廷内の陰謀劇くらいしか描くネタがない、 トンイとヒビンさま(張禧嬪)、その息子たちの相続争い(17世紀末〜18世紀初)が かなり大きなネタになってしまう、そんな感じなんですね。

 でも逆にいえば、とくに事件らしい事件もなかったということはつまり、 人々は17〜19世紀は平和に、ささやかな幸せを享受して暮らしてたんじゃないの? なんて思ってみたいこともありますけど。でもそのへんも微妙かもしれません。 上の引用文で省略した部分の中にこんな:

人民は無視され、彼らのいかなる意見も許されない。権力を一手に掌握している貴族階級が 人びとに関心を向けるのは、ただ彼らを抑圧してできるだけ多くの富をしぼり取ろうとする ときだけである。(朝鮮事情1874, p.40)
なんか現代の韓国での一般庶民とサムスンの関係というか、 北朝鮮の政治体制というか‥。というのはさておき。その時期、たしかに戦乱などは なかったかもしれないですけど、人々はあまり幸せではなかったような印象を受けます。

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歴史がない(残ってない)

 いや、でもさー。1636年以降の歴史は、ひょっとしてダレが言うとおり どよんとした歴史だったかもしれないけど、なんでそんな時代を取り上げるのか。 もっと波乱に満ちた時代もあるでしょ普通? と思ってしまうんですが、 実はそこにも問題があったみたいです。

漢文で書かれたさまざまな朝鮮史の本は、それらを一読した人によると、誇張された 朗読用のテキストに使われるため、多かれ少なかれ想像上の事実の雑多な寄せ集めに すぎないということである。 朝鮮の学者たち自身も、これらの文献になんらの信用もおいておらず、また決して研 究対象にすることもなく、中国の歴史書だけを読むことにしている。 ‥(略)‥ したがって、朝鮮史についてのある程度正確な知識は、主に日本や中国の文献を通して はじめて集め得るというわけである。 (朝鮮事情1874, pp.30--31)
自地域への学者たちの無関心‥これはちょっとヤバそうですよね。 こんなイナカ政権の過去なんで、どうでもいい! ‥なんて、「王様」は怒らないのかな??

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朝鮮への無関心

 この朝鮮の学者たちの自国・自地域への無関心さについては、 ただ歴史についてだけでなく、文化全般に関する傾向であったようです。

 しかし中国と朝鮮のあいだには、学問研究と科挙において、二つの明確な相違点がある。
 その一つは、朝鮮における学問は、全く民族的なものではないという点である。読む本といえば中国 のもので、学ぶ言葉は朝鮮語でなく漢語であり、歴史に関しても朝鮮史はそっちのけで中国史を研究し、 大学者が信奉している哲学大系は中国のものである。写本はいつも原本よりも劣るため、朝鮮の学者 が中国の学者に比べてかなり見劣りするのは当然の帰結である」(朝鮮事情1874, pp.130--131)
ここでちょっと引っかかるのは「写本はいつも原本よりも劣るため」という部分。 最初「中国人は原典を読むし、朝鮮人は写本を読む、だから劣る」と言ってるのか? とか 思ってしまい、「ええ?! 中国人だって、読むのは写本だろう?」と思ってしまって ちょっと混乱したんですけど。 たぶん「中国人による中国理解」を「原本」に例えていて、 「韓国人による中国理解」を「写本」に例えているんだと思います。現代的には、 中国文化を中国人自身が見るよりも、他の文化圏に属する人が中国文化を見たほうが 「別の視点」から中国文化を見ることができ、従来は誰も気付かなかった 新発見や新たな解釈の可能性が出てくる可能性があるわけですから、一概に 「韓国人による中国理解はレベルが低い」ということは言いきれないとは思いますけど。 19世紀の宣教師にそんな視点を求めるのはちょっと無理かもしれません。

 ‥‥でもなー。「異文化理解」としての中国理解ではなく、 朝鮮人が「大中国の一員として中国文化を理解しようとする」感じですから、それだと確かに 微妙な感じかもしれません。やっぱ距離的に中国に近すぎたんですかね。 日本人にとっての中国文化はたぶん、近・現代日本におけるアメリカ・ヨーロッパ文化と同じで 「海外先進国の、外国文化。それをいかにしてローカライズ(日本化)して取り込むか」 であったのに対し、 朝鮮における中国文化は「外国文化」ではなく「われらの本当の文化」、つまり ローカライズなどせず、ひたすら丸呑みする、と。んでその結果、 自前の文化が育っていかない、と。 ‥‥んー。日本人にとって英語は「外国語」であるのに対して、 たとえばインドなどでは「第二言語」「共通語」となっている感じ? 英語を第二言語にしてしまった国とは違い、 現在の日本人にとって英語は所詮「外国語」であり 多くの人たちにとっては日常を生きるのに必須の言語ではないから 日本人は英語があまり得意にならない、 そのかわり日本の独自文化や伝統はしっかり守れている。‥と、そんな感じでしょうか。 (なので私は日本における英語の第二言語化の動きには反対ですけど、それはここでは どうでもいいか。)

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ハングル

 ちなみに、朝鮮半島独自の文字「ハングル」についての19世紀末の状況はこんな感じ:

En-mun, the Korean script, is utterly despised by the educated, whose sole education is in the Chinese classics. Korean has the distinction of being the only language of Eastern Asia which possesses an alphabet. Only women, children, and the uneducated used the En-mun till January, 1895, when a new departure was made by the official Gazette, which for several hundred years had been written in Chinese, appearing in a mixture of Chinese characters and En-mun, a resemblance to the Japanese mode of writing, in which the Chinese characters which play the chief part are connected by kana syllables. (Isabella Bird Bishop(1898), p.21. [Web Archive]) // 諺文---朝鮮文字は教育を受けた人たちにまるで軽蔑されている。彼 らの唯一の教育は中国の古典にある。朝鮮人は優秀で、東アジアでアルファベット を持っている。一八九五年一月まで女子供と教育を受けない者だけが諺文を 使用していた。一八九五年一月、数百年に亘って漢文で書かれていた官報 が新しい装いで出発した時、日本の書式 ---仮名混じり文---に類似した漢文と諺文の混合文が出現した。日本の仮名混じり文では その主要な役割を果たしている漢字が仮名文字と結び付けられている。 (朴尚得 訳(1993;原著は1898刊)『朝鮮奥地紀行1』東洋文庫572, p.42)
There are no native schools for girls, and though women of the upper classes learn to read the native script, the number of Korean women who can read is estimated at two in a thousand. (Isabella Bird Bishop(1898), p.342. (pdf.392) [Web Archive]) // この国には少女用の学校は一校も無い。上流階級の女性は、この国特有の文字を 読む事を学ぶが、その文字を読める朝鮮女性の数は千人中二人と見積もられている。 (朴尚得訳(1994)「朝鮮奥地紀行2」東洋文庫573, p.204)
En-mun is despised, and is not used as a written language by the educated class. I observed, however, that a great many men of the lower orders on the river were able to read their own script. (Isabella Bird Bishop(1898), p.79. [Web Archive]) // 諺文は軽蔑され、教育ある階級の書き言葉に は使われない。しかしながら私は、川上に居る下 層社会の非常に多くの男の人たちが、朝鮮固有の 筆記文字[諺文]を読める事に気付いた。 (朴1993, p.138)
朝鮮独自の文字ということで、20世紀末には「韓国人の誇り」という位置づけになっている ハングルではありますけど。 その100年くらい前だと「教育を受けた人たちにまるで軽蔑されている」、そんな感じの 扱いのようです。そのかわりに、教養人たちによって用いられていたのは漢文。このへん やはり、 当時の朝鮮の政治文化の中心にいた人たちの中国中心主義的傾向はかなり強かったみたいです。 他方、庶民の間ではハングルはそれなりに使われていたようですね。

 しかし当時すでにハングルを高く評価する人たちも存在していたようです:

外国人宣教師の多数の組織体が諺文を朝鮮人の創造物中の傑出し たものとしている事、 (朴1993, p.43)
外国人か‥。まあ、ヨーロッパ人からするとやはり、文字は表音文字が読みやすくて良い、と いう発想は当然あったでしょうからね。

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歴史抹消、捏造は昔から?

 あと、これはちょっと嫌韓色が強すぎて ここで引用するにはちょっと気が引けるのですけど。 別の本によると、こんな話も:

 実際、韓国人がそれほど歴史を大事にし、鑑にしているのかというと、そうでもない。たと えば、韓国の歴史はほとんどが漢字で記録されている。それなのに韓国では漢字がすでに全廃 され、ハングル世代は歴史の原典を読めなくなっている。韓国では、王朝が代わるたびに前王 朝の文物はすべて焼き捨てられてきた。残っているのは、日本が整理編纂した李朝時代のもの だけだ。 (黄文雄(2012)『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』徳間書店, p.97)
一つ目は、韓国では王朝が代わるたびに前朝の文物をすべて廃絶し、歴史を捏造してきた。 今でも南北とも政敵を葬るために、歴史を政治として利用するだけでなく、大々的に歴史の捏 造と撲滅が続いているからである。 (黄2012, p.106)
このような言及があったりします。これらの文についての裏を取ってないのでアレなんですけど。

 しかし、「韓国では王朝が代わるたびに前朝の文物をすべて廃絶」が本当だったとすれば、 李朝以前の歴史については正直あまりよくわからない、だって記録がないんだもん‥ という感じであってもおかしくないですよね。ましてダレが言うとおり、 昔の朝鮮の学者たちは朝鮮半島の歴史についてほとんど全く関心がなかったみたいですし、 さらに、科挙における不正を述べたところでこんなことも:

学問は損なわれ、大部分の官吏は、今では、公用語である漢文をほとんど 読み書きできなくなっている。真の学者は、いっそう深刻な絶望状態に陥っている。 (朝鮮事情1874, pp.135--136)
つまり。学者たちの中の「真の学者」たちは、周囲の状況を見て現状に絶望し、 その結果 さらに目の前の現実に背を向けて、中国文化を追い求める。 そして多くのエセ学者たちは そもそも漢文すらロクに読めない。 ‥‥これはもう、どうしようもない‥

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儒教

「トンイ」で気になったこと。トンイに二人目の息子クムが生まれ、彼がのちの 英祖(イサンの祖父)になるんですけど、 そのクムが 非常に優れた頭脳の持ち主であることを示すのに使われているのが、 四書五経です。ありえないスピードで四書五経を暗唱し、そして正しく理解している、と。 それがクムが卓越した頭脳の持ち主であることの証明になっているんですけど。 そこで四書五経使うか! ‥ということに、ちょっと驚きました。 (日本だとどうか? 考えてみましたけど、そういうエピソードのため四書五経(教科書的なもの)を 使うことは、たぶん、ないんじゃないでしょうか。ピンチな状況において、咄嗟の機転をきかせて 窮地を脱出する。それを知った大人たちが「こやつ、只者ではないな」と思う。‥だいたい、 こんな感じじゃないですかね。「学校の成績がよい」的な話はあまり使わないように思います。 ‥と、テキトーな思いつきで語ってますけど。)

 こんな感じの、朝鮮における儒教、四書五経の重視というのは やはり、 上で述べた学者たちの「自国文化への関心のなさ」と結びついてるんでしょうか。 ちょっとあやしい(?)出典ですけど、

 韓国人の儒教への信奉は、中国人や日本人よりも強い。ただ、日本人は「孝」よりも「忠」 が優先するが、韓国人は「孝」に関しては、中国人以上に絶対優先である。 (黄2012, p.115)
このように韓国人(朝鮮人?)が、当の中国人以上に儒教を信奉していたという話もあります ので、それとこの「トンイ」のエピソードを合わせてみると、そんな感じなんでしょうか。

 ちょっと話はズレますけど。この「孝」について、こんな話も見つけました。 朝鮮王宮における党派対立(ノロン派とか、ナミンとかいう例のやつ)について語っているところで、

このような憎み合いは、世襲され、父親はそれを子供に伝える。‥(略)‥ 敵の陰謀によって官職や生命を失った貴族は、その復讐を子孫に委ねる。しばしば、 復讐のための有形の形見が授けられる。たとえば、子に衣服を与え、自分の仇を討つまでは 決して脱いではならないという遺言が残される。子はその衣服を絶えず身につけており、 万が一、志を全うできずに死ぬ場合は、やはり前と同じ条件でまたその子に伝える。‥(略)‥ たとえ父が合法的に殺されたとしても、父の仇あるいはその子を、父と同じ境遇に 陥れなければならず、また父が流罪になればその敵を流罪にしてやらなければならない。 (朝鮮事情1874, pp.41--42)
‥いまの日韓関係を見ているようです(苦笑)。 理由とか経緯とかは関係なく(上の文をみる限り、たぶん逮捕された泥棒が警官を怨むといった 感じでも成立しますよね これ)、とにかく「俺はあいつが憎い」と思った人がいれば、 その憎しみは子孫にまで受け継がれ、復讐を遂げるまでは憎しみが消えることはない‥。 たとえ 心からの謝罪をどれだけ繰り返しても、絶対許す気ないんだろうな、 というのがよくわかる記述ですよね(「心からの謝罪」そのものの是非については、 いろいろ意見はありそうですけど)。‥‥とにかく、圧倒的に強い「孝」の感情を悪用して、 親の怨恨を子孫にまで伝えるのはやめてほしいですね。

 2013年の年末に北朝鮮で張成沢氏が失脚し、その結果、一族郎党はおそか 張氏に縁がありそうな人たちまでかなり派手に粛正されたというニュースがありましたけど。 上のような話を聞いてしまうと「ごく一部の身内だけを粛正して済ます」という選択肢は あり得ないことがわかります。怖い国だなー。

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「王様」の絶対性

 「トンイ」を見ていて気になったことのひとつが、「王様」の絶対性です。 この物語は、基本、主人公の「トンイ」一派と、敵役の「ヒビンさま」一派の 壮絶な足の引っぱり合いが延々と続くものなんですけど。 この両者の足の引っぱり合いの基本が「敵一味の弱点、そして悪事を、 いかにして効果的に王様に見せつけるか」ということなんですよね。 だから、何というか「王様を絶対的な存在にしすぎている」点に、なんか、 ものすごく違和感を感じてしまいますし、「トンイ」の「王様」を見るたびに、 ああ、北朝鮮の金第一書記もこんな感じの位置付けなんだろうな、なんて 思ったりしてしまいますけど。

 これと関連していそうなこと。‥‥あったあった。

 敵対する党派がふつうよく使う方法は、相手に国王の生命を奪う陰謀があるかのように仕組んで、 罪を負わせるやり方である。請願や偽証が跋扈し、大臣たちも多額の金で買収される。‥(略)‥ そのとき勝利した側の党派は、高位の官職を独占し、自派の栄華のために権力を濫用する。 一方、敵対派は、次に自分たちが権力を奪取できる好機のくるまでは、徹底的に迫害されることになる。 (朝鮮事情1874, pp.42--43)
んー。「本当のこと」は実はどうでもよくて、大事なのは自分らに有利な証言をいかに 多く集めるか。そしてそれを、いかに「王様」にアピールしてよりよい立場を勝ち取るか。 ‥‥これって、まるで2013年に就任した韓国の朴槿惠大統領の外交姿勢そのまま‥(以下略)

 いまの韓国の話はさておき。 朝鮮の王宮で盛大に繰り広げられる 足の引っぱり合い のダシにされているらしき 王様ですけど。 その存在については‥

[ 朝鮮韓国に関する雑多なメモ(上下関係) ] に続きます。

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「朝鮮事情」に出てくる人物像

「朝鮮事情」を見ていると、ところどころで「トンイ」などと関連する話題が 出てきます。時代が近いからでしょうか。それをちょっと紹介します。

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閔妃とかヒビンさま関連

私は、正室閔妃を別荘に引きこもらせ、第二王妃の張妃をその地位につけました。 このことについては、当時、陛下に詳細な報告をさし上げております。しかし、今に なって考えてみますと、閔妃は陛下から冊封免許状を授けられて王室をきりまわし、 私を献身的に助け、大王大妃や大妃によくかしずき、私と共に三年の喪にも服しました。 自然の法理と公正にもとづいて王妃を手厚く遇しなければならぬというのに、 私は、軽はずみも手伝って、成り行きまかせの行為をしたのでございます。 (朝鮮事情1874, pp.36--37)
これは、「トンイ」における「王様」こと粛宗が、一旦王妃としたヒビンさま(張妃)を 降格して、もとの王妃さま(閔妃。仁顕王后)を王妃に復活させる際に、それを許可してもらうため 清の康煕帝に提出された請願書の一部みたいです。こんな公文書、どうやって入手したのか‥。

 「朝鮮事情」による後日談ですけど。この粛宗による請願は認められ、閔妃が無事に 王妃に復活したのはドラマと同じです。それはよかったんですけど。粛宗はその 翌年も清皇帝に請願書を送っていたらしいのですが、それは「礼を失している」と判断され、 清皇帝は「罰金として銀一万中国両と、皇帝が毎年貢納の見返りとして朝鮮国王に下賜している 贈り物を三年間停止することとを言い渡した」(p.39) ‥‥周辺国の、中国に対する朝貢貿易といえば。 中国皇帝の権威を認め、その配下につくと言って貢物を上納すれば、 その見返りとして 上納した品以上の いろんなものを下賜品としてもらえる。 それが周辺国にとっての旨味で、それゆえ周辺国はセッセと中国皇帝のもとに朝貢の使者を 出したんだと思うんですけど。しかも朝鮮の場合、日本などとは違って、完全なる属国として 毎年の朝貢を義務化されちゃってましたからね。その下賜の品を止められたのは痛いですね。 粛宗はいったい何を請願したんでしょうか。残念ながら、その翌年の請願の内容については 「朝鮮事情」は何も書いていません。ちょっと残念。

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景宗、英祖の兄弟

 今のところ、ドラマでは仲良さげに描かれている景宗(ヒビン子)と、 英祖(トンイ子。イサン祖父)。彼らに関する記述を見てみると‥

1720年に即位した朝鮮国王[景宗。在位1720〜24]には、世継ぎがいなかった。大臣た ちのあいだで意見が分裂し、一つの意見は、国王の実弟である狡猾残忍な英祖を、 即時世継ぎとして公表しようというものであり、もう一つの意見は、国王崩御の前に 世継ぎが出生することを期待するというものであった。前者の意見の側を「僻」あるいは 僻派と呼び、後者の意見の側を「時」あるいは時派と呼んでいる。‥(略)‥ 老王[景宗]は世継ぎのないまま没し、1724年英祖[在位1724〜76]が即位した。 この英祖は、国王である兄に世継ぎができないようさまざまな薬を使って妨害し、 あげくの果てに毒殺(ママ)するという二重の罪を犯してまで権力に這い上がってきたというので、 当然、この事実に、当時世論の非難が向けられた。この噂に激怒して、僻派の支持で 王座に就くや否や、新王は、敵とおぼしき多数の時派の人びとを殺害した。 (朝鮮事情1874, p.43)
ちょっ! あの子が、兄を毒殺?! ‥ただ、この毒殺のくだりに関しては、訳者の人も 訳すとき「ええ? マジかよ」と思ったらしく、「毒殺」の横にわざわざ「(ママ)」と 書き添えています。これは「俺が間違ったんじゃなくて、原文に書いてあったのを、 そのママ書いたんだからな!」という著者の意思表示ですから、 つまり訳者の人は「いや毒殺は違うでしょう」と思っている、ということですよね。 (なお、朝鮮では「母親のヒビン様が、景宗のキ○タマを握りつぶした」的な 噂もあったようなんですけど。朝鮮事情1874には そういう話はないです。)

 ダレの英祖評はたいへん厳しく、上で紹介したとおり「狡猾残忍」としています。 何故これほどひどい評価になっているのかというと。おそらく朝鮮入りしていた キリスト教宣教師たちらも朝鮮お得意の派閥対立とは無関係ではいられなかったという ことなんだろうと思います。

18世紀末にキリスト教が朝鮮に伝来したとき、最初に改宗した貴族[1784年、李承薫が北京で 洗礼をうけた]の大部分は時派の人で、しかも南人に属していた。これに対し僻派と老論は、 キリスト教に対する怒りをいっそうかきたてた (朝鮮事情1874, p.44)
つまり僻派と老論がかなり強くキリスト教迫害をおこなった、そして彼らを 強く支持したのが英祖であった、ということですよね。キリスト教宣教師らの天敵。

 ダレの記述は 英祖即位の後、英祖に対して「時派に対する過去の遺恨を忘れ、全面的に休戦を 宣して、積極的に和解政策を取るよう、強く勧めた」(pp.43--44) 後継者候補の 荘献世子(イサンの父; 時派に近い?)に激昂し、王子を箱に密封して窒息死させた、 その後 時派と僻派の対立はさらに激化した‥と続いています。たしかにその文脈を 見る限り、自分の息子をあっさり殺害してしまう 英祖はちょっとアレとしか言いようがない感じになりますよね。 ドラマ「イ・サン」でも、最後はボケ老人化してしまって 正祖(イサン)らを大混乱させ、 ドラマをおおいに盛り上げてくれちゃってましたけど‥

 んで、英祖の後継者となった孫の 正祖(イサン)についてのダレの評価ですけど。 正祖はキリスト教徒らに対して「彼らを非常に重んじていたため、彼らの 政治上宗教上の政敵があらゆる陰謀の限りを尽くしたにもかかわらず、国王はついに、 彼らを犠牲にしようとはしなかった」(朝鮮事情1874, p.130) らしいです。 親キリスト教の立場だったみたいですから、ダレの評価はきっと高いです。 祖父の英祖とは対照的ですね。

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拷問

「トンイ」などで行われる、謎な拷問。足をなんか縛ってて、そこになんか棒を突っ込んで グリグリすると「うぎゃあ」とか「うわあ」とか叫んでるやつ。

 あれ、テレビで見るたびに何がどう痛いのかよくわからず、「ああ、またやってるよ キンタマ潰しの刑」とか思って見てたんですけど。でもあれはそうではないですよね。

 三 骨の脱臼と屈折(周牢の拷問)
 これは三つに分けられる。鋏形周牢は、両膝と両足の親指を縛りつけ、そのあいだに二本の太い棒を 貫通させ、骨が弓のように曲がるまで反対方面に引っ張り、徐々にもとの位置に戻るようにする。紐周 牢は、以下の点が鋏形周牢と異なる。すなわち、まず両足の指を一束にして縛り、両足のあいだに太い 棒を通した後、二人が両方の膝に結んだ紐を反対方向へ引っ張り、両膝がくっつくまで少しずつ近づけ る。腕周牢は、腕の骨を脱臼させることである。‥(略)‥ 手慣れた執行人なら、骨をただ曲げるようにして押さえつけることができるが、経験の浅い初心者の場合は、 骨は即座に折れ、血とともに骨髄が飛び出す。(朝鮮事情1874, p.123)
なるほど。足に関してみると、このタイプの拷問の仕方には二種類あるが基本は同じ。 一つ目は、両足首を縛り、両膝も縛り付けて、その足の隙間に太棒を突っ込んでグリグリする。 あるいは、両足首を縛って、両足のスネの間に太棒を置いたうえで、両膝を結わえたヒモを グイッと引っぱる。そうすると両足のスネのあたりが極度のO脚みたいな感じに曲げられるので、 それが死ぬほど痛い、場合によってはスネの骨が折れてしまうが、 熟練の執行人はそのへんの加減がうまいのでスネの骨は折らない。‥そんな感じみたいですね。

 ‥いや待て待て。ドラマ見ると、ヒザどうしを縛り付けてなくないか? ヒザとヒザの間、空いてないか? あれれ?? あれだと何が痛いか全然わからなくね?? ‥‥ということはやっぱ、史実はともかく、 あのドラマではあの拷問はつまり、キンタマ潰しの刑だったりするのかな??? (^_^;

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帽子

 韓国の歴史(風)ドラマを見ていて気になるのが、帽子です。 朝鮮の人たちは、とにかく帽子をかぶるのが好きだったように見えます。

 ‥でも、ちょっと気になることもあります。 私も外出時など、よく帽子をかぶります。私にとって帽子で重要なのは「つば」の部分。 あの「つば」があると 日射しも小雨も目に当たらず、 これが非常に快適だなと思ってるんですけど。でも、どうでしょう? ドラマに出てくる人たちの帽子を見てみると、「つば」の部分が網目状になっていて あれでは日光も雨粒も通過してしまいそうですので、 帽子かぶっても全然嬉しくないように思いませんか?

[ 朝鮮韓国に関する雑多なメモ(帽子) ] に続きます。
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