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[memo] 朝鮮韓国に関する雑多なメモ(親中反日)

題 [memo] 朝鮮韓国に関する雑多なメモ(親中反日)
日付 2014.9
パッチワークの読書メモ



2014年前後に日本に吹き荒れる、嫌韓の嵐。--- そして日本人である我々から 見ると不可解にしか思えない、韓国における草の根的な反日。 そして日本の反論を一切許さないようなあの態度。 あの不可解な反日感情は一体どこから来るのか?? ということが気になって、 たまに 韓国系の本を読んだりしてみるんですけど。 それ関係の読書メモをちょっと整理してみます。

[ 朝鮮事情(韓流歴史風ドラマ関連) ] の続きみたいな感じです。


[Table of Contents]

中国(清)との関係

中国の皇帝は、巧みな政策によって、朝鮮政府の財産や感情を巧妙に利用した。中国は上述 の貢ぎ物を受け取り、その見返りとして、朝鮮使節と従者に毎年贈り物を与え、また新王には いつも国王にふさわしい外套と高価な装飾品を下賜した。同じく中国の皇帝は、朝鮮に食糧、 軍需品、兵隊の提供を要求する権限を持っていたが、これをほとんど行使しなかった。条文に 従えば、これらの権限を行使して朝鮮内政に干渉することができたにもかかわらず、干渉行為は 全くなされなかった。かつて元朝は、朝鮮国王を擁立したり、あるいは廃位させようとして しきりに干渉を加えたが、その結果、朝鮮人 のあいだに元にたいする非常に悪い記憶を残すこととなった。これに比べ思慮深かった明は、 朝鮮を属国として扱うよりよりも、むしろ同盟国とみなし、日本の大侵略のときには朝鮮国王を 救援するための派兵までした。中国においては、満州人の皇帝によって明代のさまざまな 慣習が廃止されたにもかかわらず、朝鮮においては大切に守られていることを見ても、朝鮮人の 彼らに対する愛情の深さや、恩義に忠実であったことが分かる。満州人皇帝は、朝鮮では 好感を得ることができなかった。もろもろの事件について、それを満州人皇帝の統治年度[元号]で 記した個人の記録は、存在しない。 (金容権 訳(1979)『朝鮮事情』平凡社東洋文庫367, pp.38--39) (原典は Dallet 1874 (『朝鮮教会史』という書物のイントロダクション部分))
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 朝鮮内政にいろいろ干渉した元が嫌われたのはいいとして、たぶん そこまででもなかった(?) 清が朝鮮からは好意を持たれなかった理由。朝鮮の小中華思想だろ? と私は思うわけ ですけど。漢民族が一番、朝鮮民族が二番、それ以外は人間以下。 だから元も清も(そして20世紀の日本も)嫌われて憎まれた。 ‥‥そういうことだろうと私は思うんですけど。

 ダレはそういうことは語ってないですね。ダレは小中華思想のことは十分承知していた んではと思うんですけどね。それがちょっと不思議。

[Table of Contents]

中国が中国

ところで「漢民族が一番、朝鮮民族が二番」という点について、 個人的にちょっと気になったことなんですけど。『新羅殊異伝』(10〜11世紀?)の「円光」に以下:

蓋採仏法於中国、導群迷於東海。 // 思うに仏法を中国で学び得て、道理に暗く迷う新羅の人々を導くのがよい。 (小峯和男・増尾伸一郎編訳(2011)『新羅殊異伝--散逸した朝鮮説話集』平凡社東洋文庫809, pp.55,57.; 太字による強調は引用者すなわち私による)
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こんな表現がありました。何が気になったかといえば「中国」という表現。 新羅のことを「東海」と言ってるのも日本海呼称問題絡みで気にならないこともないですけど(p.62の「注12」にシッカリと「東海…新羅のこと。」と明記されてます)、それは置いて。中国を「中国」と呼んでるんですね。問題なさそうに見えますけど、 日本での「中国」はたぶん「中華民国」「中華人民共和国」の略称で、近代以前に 「中国」なんて呼んでる用例はたぶんないと思うんですけど。 でもこの『新羅殊異伝』、10世紀頃の用例ですからね。中華民国が誕生する1000年くらい前。 その時点で中国を「中国」と呼んでいて朝鮮半島を東海と呼んでいるわけですから、 10世紀朝鮮人的には中国が「世界の中心」であったのは間違いなさそうですね。 (対する日本での中国はたぶん「圧倒的な先進国だけど外国」ですよね‥)

 中国を世界の中心と思っていたという点について。未確認情報ではありますけど、 朝鮮には「趙漢俊」の伝説なるものがあるらしいです。 それは働き者で偉人な趙漢俊(1600年頃)が亡くなった後に 明の皇帝の娘として生まれ変わったものの、背中に「朝鮮趙漢俊」とあったためそれを気持ち悪がった 皇帝に殺されてしまった‥という話なんですけど[参考。いちおう宮田(1970)『ミロク信仰の研究』は見てみたんですけど対応箇所なし。新訂版じゃないとダメなのか‥]。この話では趙漢俊は中国(明?)に生まれ変わってるんですよね。 日本だと‥どうでしょう? 中国に生まれ変わる話あるのかなー? なんて考えてみると、 朝鮮では「世界の中心は中国なのだ!」という考えが10世紀頃からシッカリあったと言えそうです。

[Table of Contents]

[註] 中国は西方

しかし同じ『新羅殊異伝』の別の箇所を見たら、中国のことを「西」と書いた箇所も ありましたので念のため追記しておきます。

「崔致遠、西遊」(小峯増尾訳2011, p.142)、 「崔致遠、字孤雲、年十二、西学於唐」(小峯増尾訳2011, p.183)
閑話休題。

[Table of Contents]

明とウリ以外は皆、夷狄

小中華思想の話に戻って。 朝鮮人が、周辺の人たちをどう思っていたかといえば。 15世紀中頃、ハングルの創製のときに書かれた以下:

世宗大王のハングル創製に反対した崔万理(集賢殿学士・ 副提学)が、「蒙古・西夏・女真・日本・西蕃(チベット)のような種族はそれぞれの 文字を持っているが、彼らはすべて夷狄(野蛮人)であり、語る価値もない(唯蒙古 西夏女真日本西蕃類。各有其字是皆夷狄事耳。無足道者)」と述べているからである。 (野平俊水(2002)『日本人はビックリ! 韓国人の日本偽史』小学館文庫, p.73)

ここに出ています。漢民族の「明」を除けば、 蒙古(元)、女真(清)、そして日本。 みな「夷狄であり、語る価値もない(夷狄事耳。無足道者)」と書かれています。

 上下関係を非常に重視する 儒教的世界観のなか、 自分らより あからさまに格下かつ野蛮‥と、自分らが勝手に思っている相手に支配されるということ。 ‥‥まあ、相当に屈辱的な状況だったんだろうなとは思います。 (でも朝鮮も「東夷」に入るんですけどね。伝統的な中国の視点では (宋書 巻97列伝57夷蛮東夷百済国、梁書 巻54列伝48諸夷・東夷・百済、南斉書 巻58列伝39東夷・百済国 など)。‥ということは「明」が自分らを同盟国にしてくれた⇒それで俺らは「東夷」じゃなくなった‥ なんて解釈じゃないですよね、さすがに)

 ネットなどを見てみると、たとえば

など、東南アジアについてもたぶん昔から格下・野蛮扱いしていて、 その格下・野蛮扱いというのが 単なる昔の話というだけでなく、 現在もなお割と 当然の価値観として定着してるっぽいことを感じることができます。んー。 どうしても「上か下か」になっちゃうんですね。

[Table of Contents]

しかし割と親清的?

かくて朝鮮は明国の一番の子分であることを自負していて、 明国を倒した満州族、そして清国のことはバカにして憎んでいる‥はずなんですけど、 事実は案外そうではないみたいです。19世紀末の朝鮮(李氏朝鮮末期)では‥

and as the Koreans like the Chinese, they do some trade with them also. (Isabella Bird Bishop(1898),"KOREA And Her Neighbors",F.H. Revell Co.; p.44. [Web Archive]) // 朝鮮人は清国人を好いているので、朝鮮人も清国人とかなり多くの商売をしている。 (朴尚得訳(1993)「朝鮮奥地紀行1」東洋文庫572, p.81)
こんな感じで、清国人は好かれていた、とイギリス人が書いてます。 上流階級の人たちは清国を内心 見下していたが、 庶民はそうでもない。‥そんな感じでしょうか。

 これは同時期における反日感情とかなり対照的です。

and the Koreans, who hate the Japanese with a hatred three centuries old, also deal chiefly with the Chinese. (Isabella Bird Bishop(1898), p.31. [Web Archive]) // さらに三世紀前からの憎しみを持って日本人を憎んでいる朝鮮人は、 主として清国人と取り引きしているからである。 (朴1993, p.60)
The people hated them with a hatred which is the legacy of three centuries, but could not allege anything against them, admitting that they paid for all they got, molested no one, and were seldom seen outside the yamen gates. (Isabella Bird Bishop(1898), p.285. [Web Archive]) // 人びとは日本人を三世紀に亘 る宿怨で憎んでいる。しかし、日本兵に反対して何も強く主張できなかった。日本兵が手に 入れた物全てに代金を支払っている事は認めていた。日本兵は、誰ひとり苦しめなかったし、 衙門の外ではめったに見られなかった。 (朴尚得訳(1994)「朝鮮奥地紀行2」東洋文庫573, pp.118--119)
There, as elsewhere, though the people hated the Japanese with an intense hatred, they were obliged to admit that they were very quiet and paid for everything they got. (Isabella Bird Bishop(1898), p.304. (pdf.346) [Web Archive]) // そこでは他所でのように、朝鮮の人びとは強い恨みを抱いて日本人を憎ん でいたが、日本人が大層穏やかであり、手に入れた物全てに代金を支払ったのを已む無く認 めていた。 (朴尚得訳(1994)「朝鮮奥地紀行2」東洋文庫573, p.145)
They said, truly or falsely, that no foreigner had ever profaned Tok Chhön by his presence, that they lived in peace, and did not want to be "implicated with a foreigner" (all foreigners being Japanese). (Isabella Bird Bishop(1898), p.325. (pdf.373) [Web Archive]) // そこの人たちは言った、嘘か真か徳川は 外国人の存在によって、かつて一度たりとも冒涜された事は無かった、平和に暮らして来た。 「外国人とは関わりたくない」、と(外国人とは全て日本人の事である)。 (朴尚得訳(1994)「朝鮮奥地紀行2」東洋文庫573, p.179)
「朝鮮人は、三世紀前のことで日本人を憎んでいた」と、イギリス人が何度も書いてます。 すごいですね。また当時、日清戦争前後の時期ということで朝鮮にいた日本兵については 「彼らは憎んでいた。しかし日本兵は ちゃんと代金を払ってたし、誰を苦しめることもしてなかった(略奪も暴行もしてない)」と 書いてます。

 個人的にここで面白いと思うのは、19世紀末の朝鮮人たちは 300年前から伝わる、どこまで本当かよくわからない(まあ秀吉時代の朝鮮出兵自体は 史実で間違いないのですけど)伝承を信じきっていて、それで「日本人」に対する 評価は完全に確定している、と。 他方、実際に 自分たちの目の前にいる日本人たちの行動 ---「ちゃんと代金を払って、 誰ひとり苦しめなかった」ことが彼らの日本人に対する評価を変えることはないみたいで、 それが面白いですね。

 これってやはり「憎悪の世襲」というのもあるんでしょうか。 他のページで紹介してますけど、

このような憎み合いは、世襲され、父親はそれを子供に伝える。(朝鮮事情1874, p.41)
3世紀前の祖先から受け継がれた「世襲された憎しみ」だから。だから、何を置いてもまず日本を打倒しないと いけないし、それ以外のことはその後考えるとか、そんな感じなんでしょうか。 (清国への憎しみは? ‥んー。清国に酷い目にあった人らは その憎しみを世襲させる前に全員息絶えてしまったから、 憎しみは世襲されなかった、とか?)

[Table of Contents]

清国とはDVカップル的?

ちなみに。こんなのもありました。清国兵に実際に ひどい目にあった朝鮮人らの話なんですけど:

The people gave a distressing account of their sufferings from the Chinese soldiers, who robbed them unscrupulously, took what they wanted without paying, and maltreated the women. The Koreans deserted, through fright, the adjacent ferry village of Ou-Chin-gang, ...(snip)... At Cha san, as elsewhere, the people expressed intense hatred of the Japanese, going so far as to say that they would not leave one of them alive; but, as in all other places, they bore unwilling testimony to the good conduct of the soldiers, and the regularity with which the commissariat paid for supplies. (Isabella Bird Bishop(1898), p.344. (pdf.394) [Web Archive]) // 人びとは、清国兵から受けた苦難の辛い話をしてく れた。清国兵は恥知らずにも略奪し、代金を支払わないで欲しい物を奪い取り、女性を虐待 した。朝鮮人は恐怖のために、慈山付近の渡し場のある竜淵里を見捨てた。‥(略)‥ 慈山で他所でのように、人びとは日本人に対する激しい憎しみを述べ、独りも生かし てはおけない、と言いさえもした。しかし全ての他の所でのように人びとは、日本兵の品行 の良さとその兵站部が必要品の代金を支払う規則正しさに対して、不本意ながら証拠を持っ ていた。 (朴尚得訳(1994)「朝鮮奥地紀行2」東洋文庫573, pp.206--207)
清国兵は略奪し虐待したから、現地民たちは逃げ出した。 しかし彼らが恨みを向けるのは清国兵よりも日本兵だ。 日本兵は何をしたか。事もあろうに 日本兵は品行よく、きちんと品物の代金を払っていたのだ! 許せん!! ‥ (^o^;

(日本人たちの行動についての朝鮮人たちの認識について 「不本意ながら証拠を持っていた(bore unwilling testimony)」 「已む無く認めていた(obliged to admit)」など、なんか「不本意」とか「已む無く」などの 形容がついてますけど。たぶん「日本人は絶対許せない!」と激昂する朝鮮人たちにバード女史が 「でも日本人は酷いことしてないのに?」と聞くとしぶしぶ「それはそうかもしれないが‥」と答えたとか、 そんな感じじゃないかと妄想してます。どうなんでしょう?)

 この最後の例を見ると、日本兵は甘いから、朝鮮人どもがツケ上がってるんじゃね?? なんて 思ったりもするんですけど。でもたぶん、そうじゃないんだと思います。何故かといえば、 実際には日本人とはほとんど接触がなかったのでは? と思われる徳川の人らが、 外国人(なかでも日本人)をムチャクチャ毛嫌いしてる描写があるからです。 つまり。最初からもう「日本は死ぬほど大嫌い」ということは決まっていて、その「大嫌い」を 正当化する理由を、少なくとも400年以上、探し続けてるんだよなー彼ら、と。 そういう印象を持ってしまいました。‥‥まあ、気付いてはいましたけど。 そしてたぶん現在もそれは続いている訳で、やはり、いろいろ、無理ですよね‥。

 他方、清国人に対する態度。略奪されても、虐待されても、朝鮮人たちは清国人への 愛情を捨てられない感じですかね。まるでDV男から離れられない女みたいな感じというか‥

[ 朝鮮韓国に関する雑多なメモ(格下ニッポン) ] に続くような感じです。


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