秋田市にある通称「新国道」。名前から判断すると、そこは国道なんだろうし、 きっと最近できた国道に違いない‥‥そう思う人は、たぶん 秋田市に住んだことのない人でしょう。
通称「新国道」は、その名前とは異なり、じつは国道ではありません。 正式には「秋田県道56号線」 [Wikipedia]と 呼ばれる路線の一部なのです。でも、じゃあ、なんで「新国道」と呼ぶのかといえば。 ‥‥まあ、簡単に推測できることとは思いますけど、 この道は、以前はたしかに名実ともに「新国道」だった時期があり、 そのときの愛称が完全に定着してしまったため、今となっては 県道になっても「新国道」と呼ばれてしまっている、と。そんな話なんです。
でも。そうすると、昔の国道って、どこを、どんな感じで走ってたのか?? というのが、 ちょっと気になるじゃないですか。
ということで。ちょっとネットなどで秋田市中心部における国道の変遷を調べてみました。 現在の国道7号、13号のみです。 ネットなどで ざっと調べた程度の調査ですので、間違い箇所など相当多いとは 思いますが、そのへんは気付いたときに適宜訂正していく、そんな感じにしていきたいと思います。
[Table of Contents]※ 以下を おおいに参考にしています:: 山田安彦(1974)「出羽の古代交通路研究の回顧と展望」 (岩手大学教育学部研究年報, 第34巻第1・2部) [URL].
奈良・平安時代の道について。 当時存在していた「秋田城」(秋田市寺内)が 奈良京都政権の軍事行政拠点となっており、そこに至るための 道が整備されていたんでは? と期待されます。
まず秋田城関連の簡単な歴史から。 733(天平5)年12月26日、出羽国の拠点として 「出羽柵」を秋田・高清水岡に移設せよ、との勅令(直木他訳注(1988)『続日本紀2』(東洋文庫489), p.18b)。 実際の移転、そして「秋田城」命名は760頃か?と。 しかし775年にはすでに出羽国府を他の場所にさらに移動しないか? という話が出ていて、 780年にはすでに出羽国府は「河辺」に移動済だったみたいです[秋田城についての詳細はこちら]。
ここでいう「河辺」とは現在の秋田市南部にあたる河辺郡の河辺ではなく、 最上川河口付近であるセンが濃厚とのことですけど、それはさておき。 秋田城が西東北の中心たる「国府」として 名実ともに機能していたのは8世紀の約50年程度のことにすぎないことになります。 また単なる行政軍事拠点としても 平安時代の804(延暦23)年に行政拠点としては「停廃」。 ‥‥でも。なんでせっかく建設した秋田城から そんなに早く撤退しちゃうの? という 話になると。奈良京都政府の東北進出というのは、見方を換えれば「東北侵略」なわけです。 なので現地勢力、つまり当時の秋田人たちは そんなもの撃退したいに決まってますよね。 侵略者ですから。敵ですから。‥んで、この秋田人たちの攻撃は、奈良京都側からみると 「地元民(蝦夷)の叛乱」になるんですけど。この現地勢力の攻撃が激しすぎて、 秋田城を守りきるのがムリになってきた。‥というのがデカいみたいです。 ただこの秋田城、軍事拠点としては平安時代後期の11世紀まで細々と残っていたようです。
この秋田駅(秋田城)まで達するルートとして公式には2つ設定されているみたいで、それは‥
このうち山道駅路については、 秋田の前の駅とされる「助河」がどこかがハッキリしてないみたいですけど、 平鹿郡との説もある(新野説; 山田 p.5)、とのこと。 もし平鹿郡とすると、助河駅と秋田駅のあいだに距離がありすぎるのが 問題になります。 それゆえ、この道はじつは秋田まで繋がるものではなく、 いわゆる仙北三郡の建設のための道という可能性もあるみたいですけど。 そうでなくても、 この山道駅路が秋田市近辺をどんな感じで通っていたかに ついては まったく情報がない感じです。 (道がなくても、平鹿郡のあたりからなら雄物川を使えば イッキに秋田城のすぐ脇まで来れたはずですし、だったら道は不要だった?)
他方、水道駅路について。 秋田駅に接続する駅は「飽海駅」となっていますが、これは おそらく飽海郡(現在の山形県)で、それは いくら何でも遠すぎじゃね? ‥と思われているようです。 出羽国の地理に詳しくない人による、 単なるケアレスミスなのかもしれません。
それゆえ。そのひとつ前にある白谷(しらや)駅が秋田駅の隣では? という 話になるんですけど。それがどこかという話になると。 諸説あるものの、たぶん最も有力そうなのが新波(あらは; 秋田市雄和; 山田 p14b)。 たぶんそこから雄物川の水路によって秋田駅まで 移動したのではないかと推測されるようです。 なので、その推測が正しければ、現在の秋田市周辺の街道は なかったことになります(かね?)。 反対に「じつは陸上の道があった」という可能性を考えようとしても、 それがどのルートかについては まったく資料がありません。 ‥そんな感じみたいです。残念。
[Table of Contents]赤い線が「羽州街道」、青い線が「羽州浜街道」「北国街道」「酒田街道」など、 さまざまに呼ばれているやつです。
街道は秋田市中心部の大町通りを通っていますが、これはもともと ひとつ西側の茶屋町通りだったものを移動させたようです。
それと浜街道について。雄物川にかかる新川橋は1892(明治25)年完成です。 ということはつまり、江戸時代はここは船で渡っていたはずです。 船着場はどこ? ということで調べてみたら、 秋田市文化財イラストマップ「八橋・川尻地区編」 (秋田市役所のサイト) というのがあって、そこに船着場についての記述がありましたので、 それを参考にしました。川尻側が川尻毘沙門街区公園のあたり、新屋側がちょっと不明、という感じのようです。
それと雄物新橋のあたり。ここは現在は雄物川(放水路)となっていますが、 江戸時代、というか大正時代までここは陸地で地続きでした。 ですから浜街道は、新川橋のあたりで一度 川を渡れば、あとは 街道をトホトホ歩くだけで新屋まで到達できる、そういう感じでしたので、 念のため。 (なお、前述のとおり新川橋のあたりの‥「渡し場から割山までの松並木の旧道は、終戦ころまで残っていたが今は渡し場とともに、その所在も明らかでないほど変貌した」(交通運輸の要路であった新屋地区) そうです。区画整理で潰されたということ?)
[Table of Contents]1885(明治18)年、内務省による 「國道表」 (明治十八年二月二十四日)により、 山形から秋田までが「国道40号」、 秋田から青森までが「国道41号」に指定されます。 たぶんこれら国道は新設されたのではなく、 旧来の羽州街道をそのまま「国道」という名前に変えたのでは? と思います(根拠なし)ので、 街道のルートそのままにしてあります。
羽州浜街道(北国街道、酒田街道)のほうは残念ながら 国道指定されませんでしたので、線は引きませんでした。
[Table of Contents]上記、明治の国道は 大正9年4月1日施行の「道路法」(大正8年4月10日法律第58号) とかいうやつに置き換えられます。これが1920年です。 その間、国道の付け替えなどあったのか?? ‥よくわかりませんので、 とりあえず、江戸時代の街道そのままを基本としました。
それまでの国道40号、41号が国道5号に、そして 江戸時代の羽州浜街道(北国街道、酒田街道)がついに国道昇格して 国道10号に、それぞれ指定されます。
浜街道のほう、江戸期にはなかった新川橋の完成により、 ルートをちょっと変更し、新川橋を通る感じにしてみました。
[Table of Contents]1917(大正6)年にはじまった、雄物川放水路事業の大工事。 この工事は当時の国道10号(羽州浜街道)を新屋のあたりでブッタ切って そこに川を流してしまうという大土木工事なんですけど。 でもそれじゃあ、せっかくの国道10号が使えなくなるじゃん‥。
‥ということなんでしょう。昔の羽州浜街道+新川橋経由の ルートに替わるルートが計画されたようです。 それが現在の秋田大橋ルートですよね。 (ちなみに、旧ルートについても「雄物新橋」という橋が かけられることになりました。その歴史的経緯などについては 「橋梁レポート 雄物新橋 2014年編」(山行が)がかなり興味深いです。 橋に歴史あり‥)
そしてたぶん、それと同時に、牛島方面についても 新しく道を作っちゃえ、という計画が出てきたようです(憶測)。
んで、当初の計画がどうだったかは不明ですけど。 羽後牛島駅から現在の茨島交差点に行き、そこを右折して北上、 保戸野鉄砲町で旧街道に合流するルートができたようです。 1935(昭和10)年くらい? (参考: 「大町二丁目交差点・二丁目小路変遷」 (blog: 二〇世紀ひみつ基地); blog: 秋田の古い新聞記事)
1935(昭和10)年の地図を見ると、現在の茨島交差点は ぜんぜん交差していません。仁井田方面から延びる道と、 現在の山王十字路方面から延びる路が、「L字」というか「『く』の字」 の形に接続しています。 秋田大橋方面からの道がつながる予定だけど、まだ開通してない‥。 まさにそんな感じに見えます。
そして秋田大橋が供用を開始したのが、1938(昭和13)年[Wikipedia]。 たぶんその時に「茨島L字路」から「茨島丁字路」になったんだろうと思います。
[Table of Contents]ということで。太平洋戦争の前の頃には、 現在の茨島交差点から秋田長崎屋(ドンキホーテ)前、 現在の山王十字路を通過して保戸野鉄砲町で羽州街道に接続する ラインが「新しい国道」(これが、いわゆる「新国道」なのか、 というのは不明)になったんだろうと妄想しますけど。
でもじつはこの「新しい国道」、北は保戸野鉄砲町の、羽州街道と接続するところで 終わっています。鉄砲町からは左折して西に進んで八橋、面影橋、寺内を通過して 土崎へ至る‥という、江戸時代からのルートのままでした。
しかし。土崎港を有効活用するにはもっと現代風な道路が必要だろう、という ことは政府も考えていたようで、保戸野から土崎までほぼ直線で移動できるルートも 戦争直前の頃から 着々と用意され、それがついに 1944(昭和19)年、 太平洋戦争末期頃になってようやく完成します。 (参考: 「昔も今も秋田市内の交通を支える 新国道」 (秋田河川国道事務所))
こうして狭義の「新国道」が誕生するわけです。ただこの場合の「新国道」に、 山王十字路から保戸野鉄砲町交差点までの部分は含まれないはずですから、 現在における狭義の「新国道」の定義とも ちょっと合わないですよね。 ‥‥んー、まあいいか。
[Table of Contents]1952(昭和27)年、またまた国道の再定義がおこなわれます。秋田市街地近辺では、 旧国道5号の秋田以北と、旧国道10号が「一級国道7号」に、 旧国道5号の秋田以南が「一級国道13号」に、 それぞれ番号が変更されました(のち、1965(昭和30)年に「一級」が「一般」に 替わりますけど、何が違うのかは不明です)。 それ以外の変化については、よくわかりません。
この時期と近い、1955(昭和30)年頃の 国道13号線の牛島・仁井田近辺の風景は 「なつかしの秋田の道」 (秋田河川国道事務所) というページで 見ることができます。「うおー」という感じです。
[Table of Contents]個人的によくわからないのが、羽後牛島駅近くの跨線橋がいつできたのか ということと、 仁井田地区の国道13号の現行ルートはいつできたのか? という あたりなんですけど。
どうやって調べたらいいのか、よくわかりませんでした。なので、 どちらも同時期の、1968(昭和43)年頃かな? と、 勝手に憶測してみました。 (参考: 「道路交通を支える基礎、一次改築完成」(秋田河川国道事務所))
そして1974(昭和49)年。あの「臨海道路(臨海バイパス)」が完成し、 そして「茨島丁字路」だったのが「茨島十字路」となり、 国道7号線のルートが変更されます ( 関連する「県政ニュース」記事を左に。この頃はまだ 「国道7号線山王十字路」と言ってます)。それまでは秋田大橋から 茨島交差点を直進、そのまま道なりに「新国道」を抜けて土崎へ達して‥ という感じだったんですけど。
この時から「臨海道路(臨海バイパス)」が国道7号線となり、 国道7号は秋田大橋から茨島交差点を左折して秋田運河に沿ったコースで 土崎に抜ける、そんな感じに変更されてしまいました。
そしてこのときから、通称「新国道」が国道でさえなくなってしまうという、 「何だそれ??」という、例の不思議な状況になったのです。 (いや。本当にそうだったのか、いまいち自信がないです。ひょっとして、 臨海道路と、いわゆる「新国道」ルートの両方が「国道7号」だった 可能性もありますから‥。 Wikipediaの「秋田県道56号秋田天王線」[URL]を見ると、新国道ルートが県道56号になったのは1994年と書いてますし。)
ちなみに。もし臨海道路完成とともに「新国道」が国道でなくなってしまっていた場合。 「新国道」が国道だったのは 1944(昭和19)年〜1974(昭和49)年の 30年間ということになります。 1974年といえば、今から約40年前。つまり「新国道」が 文字通り国道であった期間(30年)より、 国道でなくなったくせに「新国道」と呼ばれ続けている期間(約40年)のほうが ずっと長いという状況になるんですけど。んー。
[Table of Contents]2003(平成15)年。「秋田南バイパス」完成、それまで秋田大橋から茨島を 通ってきた国道7号が、またルート変更。 臨海交差点に接続して、そこから臨海道路に合流して北上して 土崎方向へ‥というルートになります。 新屋から秋田大橋、茨島交差点までの道路は秋田県道56号へ。
ちなみに、この国道7号線工事中の模様は 「ルートレポート 秋田南バイパス 臨海大橋」(山行が)で見ることができます。
また、それまでは国道7号線だった茨島交差点から臨海交差点までの区間は、 国道13号線に変わりました。つまり国道13号線の終端が、 それまでは茨島交差点だったものが、臨海交差点まで延びたということです。 最初そのことを知らなくて、たまたま臨海道路をブラブラ歩いていたら、 「13」と書かれた おにぎりを見つけて驚いた記憶があります。