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人は冥途に行かない説 [平田篤胤]

平田篤胤翁における死後世界観を紹介


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神も人も死ねばみな黄泉の国へ

本居宣長は何故こんなことを仰せになったのか、念のために文脈も書いておきたいと思います。

さて、是はみな神の御うへの事にこそあれ。凡人は、此世にあるほどの現身ながら、夜見國に往見る ことは無ければ、なべては、何れの道より往還るなどは、定め言べきに非れども、何事も、神代の跡を以て、 物は定むることなれば、然心得てあるべきものぞ。又、世に十王經と云ものに、閻魔王國、自人間地去五百臾 善那、名無佛世界、亦名預彌國云々。と云る、此經はもとより偽經と云中にも、此邦にて作れるものなり、預 彌國と云も、神典に依て作れる名なり。然るをかへりて、神典に預美と云る名は、此經より出たることかと、疑 ふ人も有なむかと思て、今辯へおくなり。] 貴きも賤きも、善も惡も、死ぬれば、みな此夜見國に往ことぞ。 (本居宣長『古事記傳』, 六之巻. 日本名著刊行会(1930), p.275)
(後半の大雑把訳) 十王経と呼ばれるものに、閻魔王国が五百ヨージャナ(臾善那)離れたところにあり、 無仏世界、またはヨミ(預彌)国という名前である云々、と書かれている。 この十王経は偽経のうえに、この日本で作ったものである。ヨミ(預彌)国という名前も、 神典から取った名前である。これを逆に「神典にヨミ(預美)とあるのは、この十王経から 取ったものか」と疑う人もいるかと思い、ここで説明しておく。] 貴賤・善悪も関係なく、 死ねば皆このヨミ(夜見)国に往くのだ。

 ‥仏教における「閻魔様が死者どもの生前の善悪を判断して地獄送りにしたりする」説、 これは主に 十王経(地蔵十王経)で説かれている説 というか世界観なんですけど、それを 否定するために敢えて端的に言ってみたという感じですね。 さらに「ヨミ」は仏教から取ったものではなく、逆で、 日本の神典にあったものを仏教が取ったのだ、と仰せです。

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神はこの世に満ちている

この世は神様たちに満ちている‥。

 このことについて吉田麻2016は以下のように説明しています:

篤胤は、自説を講釈するだけでなく、当地域に実際に散らばっているさま ざまなモノや奇談に興味を寄せ、それを実際に触ったり、拾ったり、夢に見たりしながら、 周囲に集うたくさんの人々を引き込んでその土地の神々と対話するのである。‥(略)‥ 自分たちの生活に根づいた土地、そのいたるところから、神々の息吹が吹き込んできて いる……。篤胤による講釈と現地での探究は、地域に暮らす庶民にとって、机上の学説か らだけでは得られない臨場感と、曖昧な迷信から離れた確かな学問的裏付けの双方を、一 度に強く実感させるものであり、それゆえ大きな影響力をもっていたに違いない。 (吉田麻子(2016)『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』平凡社新書819, pp.88--89)
このように、あちこちの地方に出向き、それぞれの土地におられる奇談、モノなどに実際に触れる ことで篤胤翁のみならず周囲の人たちまで「神々の息吹」を感じることになり、 それが篤胤説が多くの人たちの支持をうける要因の一つになっていたようですね。

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この世とあの世は似ている

この世と似ているのは死後の世界だけではなく、篤胤翁が非常に興味を示していたとされる (‥というよりも『霊の真柱』は「今の現の事実」については根拠が乏しいといわ ざるをえない(吉田真2017, p.318/全379) ため、その証拠の不足を補うためどうしても必要だった) 「あちらの世界」、仙境や異界など、またそこに棲むとされる生きものたちについても 基本的にはこの世のものたちと似ている、と考えていたようです:

 先に、寅吉に関心を示した知識人たちは、おぼろげながら仙境や異界の存在を前提とし ていた、と述べたが、そのあり方は人間とはまったく異なる物体がうごめく意味不明の世 界ではない、ということがこれらの質問からあぶり出されるのではないか。現世の私たち 人間と基本的には変わらぬ姿をした(もちろん羽根がはえたり、爪が長かったり少しは違うの かもしれないが)者たちがいて、口からものを食べ、言語のごときものを話し、着物を着 ている。この世と地続きであり、どこか親しみのある、けれど分からないことだらけで未 知の国、これが当時の人々の中に共通の「仙境」的イメージとしてあったのであろう。
 そして、このようなイメージは、まさに篤胤の主張する死後の世界・幽冥界とそう遠く ないものである。つまり、ここで強調したいのは、篤胤の説が、篤胤単独の頭の中から突 然変異のごとくに飛び出してきたものではない、ということである。 (吉田麻子(2016)『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』平凡社新書819, pp.180--181)
なるほど。つまり仏教の 地蔵十王経賽の河原地蔵和讃で 描かれるような超ハードな死後世界(冥途)って、なんか我々が(というか私自身が) お盆などに墓参りに行くときの心情と全然マッチしてないのが気になっていたんですけど。

 そういう、どこかのんびりした墓参りの気分にはこちらの篤胤翁的な異界・死後世界観のほうが マッチする感じがしますよね。つまり、21世紀を生きる私自身が漠然とイメージする 死後世界観て、じつはこの篤胤翁やその時代、江戸末期の人たちが漠然と感じていた 死後世界観とかなり似てるのかもしれないな、なんて思ったりしました。

 だから篤胤翁の説は当時の人たちに受け入れられた (「草莽の国学」(吉田麻2016, p.97))し、また何となく私にとっても 腑に落ちやすいものなんでしょうね。

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夜見では人生が無意味

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安心して死ねる?

ここでちょっと不安になることとしては、死後世界がそこまで日常と似てるものだったら、 人は死を畏れにくくなる、つまり 「何か」のために生命を投げ出すことを要求されたとき、人は自身の生命を簡単に賭すように なったりしないか? ということがあります。つまり「自分の大事な人たちを守るためだ」と 言われると割と簡単に「カミカゼアタック」とか「自爆テロ」みたいなことをしてしまうのでは? 篤胤翁の考えは(本人はそういうことは考えなかったとしても)そういう方向に人々を 引っ張り込んでしまうものではないか? ということを考えてしまいそうになります。

 この是非についてはよくわかりませんが、少なくとも篤胤翁自身はそういうことは 考えてなかったようです。吉田麻2016は以下:

ようするに、天皇 もアマテラスも、人民(篤胤はここに``おおみたから''というルビを振っている)が生命を捧 げ服従すべき対象ではないし、絶対の権威をもって人民に臨むものではない。むしろ、 人民(おおみたから)の生命や生活を豊かに育むためにこそアマテラスや天皇が存在するのである。 (吉田麻子2016, p.110)
このような篤胤翁の思想を吉田麻2016は「「人民」の側に主軸をおくような神話解釈」(吉田麻2016, p.109) と解説していますが、この発想は興味深いですし、私が上で書いたような不安、つまり 「神のために生命を捧げる」構図は篤胤翁の頭の中には全然なかったようです。

 ところで。天皇も神様も人が生命を捧げる対象にならないのは何故なのか? について、 同じ吉田麻2016によると‥

篤胤は、どんな に世代が離れていても先祖・子孫との繋がりは、自分の親や子と同様に色濃いものだとす る。そして、どこまでいっても変わらぬ親しさをそなえた先祖を、ずんずんとさかのぼり、 たどっていくと、この国は「神の本国」であるゆえに、必ず大もとである日本の神たちに 行き着く。つまり我々にとっては、神々も親しい気持ちで祈り祀るべき「オヤ」なのであ る。(吉田麻子2016, p.107)
神様は我々の「オヤ」だから。そして天皇や将軍は神様の代理人だから。それゆえ 人民は親に対する子供のような、そして神様や天皇・将軍家は子供に対する親のような 立場にいるから。
人民は、自然と一体の神々の愛情によって常にその価値がゆるぎなく肯定され ている。しかも人々の生活を守り支えているのは、現実社会の幕府や大名だけではない。 代々の先祖を含めた、数え切れないくらいに大勢の神々であり霊魂でもあったのだ。 (吉田麻子2016, p.115)
篤胤の肯定する「生」とは、このような神から授かった人間の生命や、男女の 性による命の誕生についてだけではなかった。それは、人間が生きていることそのもの −−つまり「生活」「いとなみ」という意味を含んでいる。「生活の肯定」、このことこそ が、平田篤胤の思想の大きな特徴の一つである。 (吉田麻子2016, p.138)
つまり神様は、世界は、人民のために用意されたものだから。だから人々は、 生まれたこと、そして生活すること、それが神様の意思どおりであるし、だからつまり 「僕はここにいてもいいんだ!」と実感して祝福されるべき存在という感じですよね。‥ なんかこれ、現代社会でものすごく必要とされてる考え方じゃね?? とか思ってしまったん ですけど、どうなんでしょうかね。