八木山橋。 仙台市の青葉山(青葉区)と八木山(太白区)という二つの山の山頂付近を結ぶ、 「自殺の名所」として仙台市内ではきわめて有名な橋です。
[Table of Contents]ネット見ると、こんな‥
でも実際のところ、自殺とか自殺未遂とかいう話、ない訳でもないみたいなのは確かです。
上の騒動でもいろんな人がコメントしていますが、この八木山橋というのは、 八木山、また八木山より南のほうに住んでいる人たちにとっては 交通の要衝といえる場所になっています。 つまり、八木山橋を越えることによって仙台市内中心部にすぐ行ける、 そんな感じの近道・バイパスとなっていて、それゆえ 朝夕などは通勤通学ラッシュで渋滞が起きている場所です。 そして昨今のTwitterなどの隆盛も考えると、もしここで飛び降り自殺があって、 その現場検証を警察の人たちがしていたなら、かなりの高確率で誰か、 とくに近場にある東北大学の学生(とくに人数が多い工学部)の誰かがそれを目撃して、 その様子をTwitterなどで情報発信する可能性が非常に高いと考えられます。 でもそんな感じの話はTwitterなどでもそれほど出ている訳でもなさそうですよね。
なので。おそらく現在は「報道規制」も何もなくて、ただ単純にここで自殺する人は 滅多にいなくなった。しかし たまに(年に一人くらい?)「あの自殺の名所」で自殺したいという人が 訪れることもある、そんな感じなんじゃないでしょうか。
なお、竜ノ口渓谷にかかる八木山橋は、かなり高い位置にあります。 そんなとこから落ちたらきっと、地面に落下したときの衝撃で死体はたいへんなことに なってるんじゃないかと思います。なので‥
でも八木山橋で自殺なんて、滅多にないのでは? ‥というのはたぶん最近の話であって、 昔は「自殺の名所」というのは本当だったんだろうと思います。
右の写真、右から左に向けて「名勝八木橋」とあります。たぶん「八木山橋」の 誤植だろうと思うんですけど。「名勝」と書かれてますよね。これ、 1938(昭和13)年発行の「最新版 地番入 仙台市街全図」(復刻版・塔文社)の裏面にある 「仙台及松島名勝写真」、写真が20枚ほど掲載されていますが、その一枚です。 たぶん当時は「青葉城址」とセットの観光名所だったんでしょうね。
私が見つけた、もうひとつの初代・八木山橋(現在の橋は二代目)の写真が左です。
ちなみに、 [ 満開の桜の下、吊り橋を渡り八木山へ歩いた (広瀬川の記憶 22) ] というサイトによると、 初代・八木山橋の周辺には桜が植えられていて(植樹は1935(昭和10)年〜1937(昭和12)年)、 桜の時期には満開の桜であふれ、 それゆえ八木山橋は花見の名所だったという感じみたいです。 大渓谷の絶景と、満開の桜の花‥‥現存してないのが非常に勿体ないですね。
‥てか、上で紹介した [ 八木山橋 あの頃 ] というサイト、私より いろいろ集めて、ちゃんと書いてますね。 しまった! そんな立派なページがあるなら、こんなページ作らなくても よかった! ‥いや、でもここまで書いちゃったんで、今更ページ作るの、やめませんけどね。
んで、この頃の、橋上の散策な雰囲気。そして、飛び込もうと思えばすぐに飛び込めそうな 高さにある欄干。うん。これなら十分「自殺の名所」となり得る感じですよね! まさに「みちのくの東尋坊」といった風情でしょうか。
[Table of Contents]この、風情のある初代・八木山橋ですけど。 どうやら八木家が私財を投じて建築し、 完成後に仙台市に寄付したみたいです。すごいなー。
(-人-)
さらに。石澤2000の、宮城県営八木山球場についての ところで:
ちなみに、二代目・八木山橋の開通直後(1965)の写真: これ [八木山橋開通]を見ると、あの、いかにも八木山橋らしい、 巨大な鉄柵というんですかね、あれって最初は なかったんですね。 [ 八木山橋 あの頃 ] というサイトを見ると その8年後、1973年頃には鉄柵がガッツリ付けられてるのは確認できますが‥。
八木山橋の麓には「八木山橋」という名前のバス停があります‥ありました
(地下鉄東西線開業とともに、2015/12廃止) [Youtube]。私も何度も
仙台市バスの「青葉城址循環」(後に「動物公園循環」と改称するも2015/12廃止)に乗ってあのバス停の前を
通過したことがありますが、これまで一度もあそこで乗降する人に遭遇した経験がなく、
このバス停はいったい何故存在するのか?! というのは非常に疑問だったんですけど。
でもそのナゾの答えは、このページのここまで書いてきた情報で、もう明白ですよね。 [ 八木山橋 あの頃 ] というサイトにすでに書かれていますけど、(昔は) 八木山橋が、竜ノ口渓谷の絶景を見ることができる観光名所だったから。 今となってはそれを記憶している人もほとんど存在していないような状態ですけど、 もともと八木山橋は観光と実用を兼ね備えた橋であり、それゆえ、 青葉城址から散策しながら あのバス停の位置あたりまで歩いてくる人が結講、いたから。 ‥そういうことなんですね。
そして1965(昭和40)年の橋の架け替え、そしてその後の八木山地区などの宅地化により、 橋の自動車の交通量が増え、とてもじゃないけど徒歩散策というムードじゃなくなり、 単なる通勤通学のためのバイパス化してしまった八木山橋。 「八木山橋」バス停は、 大勢の人たちの散策、自殺、そして いつのまにか人が居なくなって車とバイクしか 通らなくなった八木山橋の移り変わりを(2015年まで)ずっと見続けてきたんですね。
‥いや、それはちょっと無茶かな? 初代の吊り橋は、バスのような 大型車は通れなかったんじゃないかという気もしますし‥
[Table of Contents]1962(昭和37)年、つまり初代の橋から二代目の現在の橋への架け替えが行われた年の3年前。 小林旭主演の日活映画『惜別の歌』の 撮影のため、小林旭さんが青葉城址を訪れていることは映画から確認できます。 そこまで来ていて、何故 八木山橋にロケに行かなかったのか? ロケはしたけど、その フィルムはボツになってしまったのか?? ‥などがちょっと気になります。 その頃はもう八木山橋は観光名所でなくなっていた可能性もあるかも‥ (「橋は戦後架け替えられます。仙台市は、昭和三十七年、新産業都市大仙台の 総合公園構想の一環として橋の再建に取り掛かり、二年半後に完成します。 これが今の橋です」(石澤2000, p.60) とあるので、ひょっとして 二代目八木山橋の工事が始まっていたから回避、という可能性もありそう)
心霊スポットとして、この橋を「怖い」という人は結講いるみたいです。
私にはそういう霊感みたいなのは ないですので、その話題については
何も言えません。けど私は、別の意味でこの橋が怖いです。
この橋、なんかちょっと段差があって、橋の上に上がると
「ごっとん」という感じの軽い衝撃があるんですけど。その音を聞くたび、なぜか
「この橋、まさか落ちないよな」という不安が頭をよぎるのです^^;
なので渋滞に巻き込まれて、この橋の上に長時間いるハメになったりしたとき
私は妙にイヤな汗ダラダラになってしまいます。
ちなみに八木山・青葉山近辺だと、この八木山橋以外にも、青葉橋とかも景色がよくて 私は好きなんですけどね。8月の花火の時とか、けっこう正面で花火が見れますし‥。 このへん、もっと気持ちよく歩けるようになってればいいんですけどね。
[Table of Contents]「八木山橋は心霊スポット」という話、検索すると あちこちで見かけますけど。
でもそれもそのうち忘却されるんだろうなー、と 思ってしまいそうな話を見つけたのでメモしておきます。 昔、仙台市の一番町にも心霊スポットがあったらしいぜ、 という話なんですけど‥
時期に関してですけど。そのへんが「化物横丁」と呼ばれた理由が 「お産の汚物の捨場」ということですから、 あそこに病院があった時期か? ‥とも思いましたけど (ちなみに そこに市立病院があったのは1930(昭和5)年〜1980(昭和55)年)、 文脈からすると江戸時代から明治初期までの話のようですから、 市立病院とは関係なく、あのへんは「出る」場所になってたみたいです。
ただ、ネット等で検索してみても、この「化物横丁」の伝説は ほぼ完全に忘却されてしまってるみたいですね。まあ、今あのへんは おどろおどろしい雰囲気って全然ないですから、仕方ないですけど。 ただ逆に言えば、「心霊スポット」ってやっぱ単なるムード、というか 単なる気分的なもの。って感じなんですかね。
だからきっと、あと50年もすれば「八木山橋は心霊スポット」なんて話、 知ってる人は誰もいなくなりそう‥